◆◇◆日本の伝統文化を守ろう◆◇◆
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言ひ古されたことだが、一歩日本の外に出ると、多かれ少かれ、日本人は愛国者になる。先ごろハンブルクの 港見物をしてゐたら、灰色にかすむ港口から、巨大な黒い貨物船が、船尾に日の丸の旗をひるがへして、威風堂々と 入つて来るのを見た。私は感激措くあたはず、夢中でハンカチをふりまはしたが、日本船からは別に応答もなく、 まはりのドイツ人からうろんな目でながめられるにとどまつた。 これは実に単純な感情で、とやかう分析できるものではない。もちろん貨物船が巨大であつたことも大いに私を 満足させたのであつて、それがちつぽけな貧相な船であつたとしたら、私のハンカチのふり方も、多少内輪に なつたことであらう。また、北ヨーロッパの陰鬱な空の下では、日の丸の鮮かさは無類であつて、日本人の素朴な 明るい心情が、そこから光りを放つてゐるやうだつた。 それでは私もその「素朴な明るい」日本人の一人かといふと、はなはだ疑はしい。私はひねくれ者のヘソ曲りであるし、 私の心情は時折明るさから程遠い。それは私が好んでひねくれてゐるのであり、好んで心情を暗くしてゐるのである。 三島由紀夫「日本人の誇り」より これにもいろいろ複雑な事情があるが、小説家が外部世界の鏡にならうとすれば、そんなにいつも「素朴で 明るい」人間であるわけには行かない。しかし異国の港にひるがへる日の丸の旗を見ると、 「ああ、おれもいざとなればあそこへ帰れるのだな」 といふ安心感を持つことができる。いくらインテリぶつたつて、いくら芸術家ぶつたつて、いくら世界苦 (ヴエルトシユメルツ)にさいなまれてゐるふりをしたつて、結局、いつかは、あの明るさ、単純さ、素朴さと 清明へ帰ることができるんだな、と考へる。 いざとなればそこへ帰れるといふ安心感は、私の思想から徹底性を失はせてゐるかもしれない。しかしそんなことは どうでもよいことだ。私は巣を持たない鳥であるよりも、巣を持つた鳥であるはうがよい。第一、どうあがいた ところで、小説家として私の使つてゐる言葉は、日本語といふ歴然たる「巣鳥の言葉」である。 「いざとなればそこへ帰れる」といふことは、同時に、帰らない自由をも意味する。ここが大切なところだ。 帰る時期は各人の自由なのであつて、「いざとなれば帰れる」といふ安心感があればこそ、一生帰らない日本人が ゐるのもふしぎはない。 三島由紀夫「日本人の誇り」より 私はこの安心感を大切にするのと同じぐらゐに、帰る時期と、帰る意思の自由とを大切にする。人に言はれて 帰るのはイヤだし、まして人のマネをして帰つたり、人に気兼ねして帰るのもイヤだ。すべての「日本へ帰れ」と いふ叫びは、余計なお節介といふべきであり、私はあらゆる文化政策的な見地を嫌悪する。日本人が「ドイツへ 帰れ」と言はれたつて、はじめから無理なのであつて、どうせ帰るところは日本しかないのである。 私は十一世紀に源氏物語のやうな小説が書かれたことを、日本人として誇りに思ふ。中世の能楽を誇りに思ふ。 それから武士道のもつとも純粋な部分を誇りに思ふ。日露戦争当時の日本軍人の高潔な心情と、今次大戦の特攻隊を 誇りに思ふ。すべての日本人の繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐひ稀な結合を誇りに思ふ。この 相反する二つのものが、かくもみごとに一つの人格に統合された民族は稀である。…… しかし、右のやうな選択は、あくまで私個人の選択であつて、日本人の誇りの内容が命令され、統一され、 押しつけられることを私は好まない。 三島由紀夫「日本人の誇り」より 実のところ、一国の文化の特質といふものは、最善の部分にも最悪の部分にも、同じ割合であらはれるものであつて、 犯罪その他の暗黒面においてすら、この繊細な感受性と勇敢な気性との結合が、往々にして見られるのだ。 われわれの誇りとするところのものの構成要素は、しばしば、われわれの恥とするところのものの構成要素と 同じなのである。きはめて自意識の強い国民である日本人が、恥と誇りとの間をヒステリックに往復するのは、 理由のないことではない。 だからまた、私は、日本人の感情に溺れやすい気質、熱狂的な気質を誇りに思ふ。決して自己に満足しない たえざる焦燥と、その焦燥に負けない楽天性とを誇りに思ふ。日本人がノイローゼにかかりにくいことを誇りに思ふ。 どこかになほ、ノーブル・サベッジ(高貴なる野蛮人)の面影を残してゐることを誇りに思ふ。そして、たえず 劣等感に責められるほどに鋭敏なその自意識を誇りに思ふ。 そしてこれらことごとくを日本人の恥と思ふ日本人がゐても、そんなことは一向に構はないのである。 三島由紀夫「日本人の誇り」より 昭和42(1967)年、イギリスの歴史家、A・J・トインビー博士が伊勢神宮を参拝されました。 清らかな五十鈴川の流れに手をひたし、本殿前で敬虔に拝礼された後に、博士は神楽殿の休憩室で、毛筆で 次のように記帳されています。 Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions. (この聖地において、私はあらゆる宗教の根底をなす統一的なるものを感ずる。) 地球上には無数の宗教がありますが、その根底には、神に対する畏敬と感謝が共有されているのでしょう。 そびえ立つ杉の大木に囲まれた伊勢の神殿は、その畏敬と感謝とを最も純粋な形で表現していると、博士は 感得されたのではないでしょうか。 この「根底的な統一性」とは、ふたたび、糸に結ばれた「まがたま」を連想させます。 <老いを寿ぎ敬う心ー日本の心> (保田與重郎) ・お祖母様の手を引く孫娘という形は、つい近頃までは、田舎の村道などの光景で、世間で一番美しい風景だった。 なつかしく、うれしく、そのほのぼのとした風景は、ただのどかであった。 ・西洋では生活に余裕のある人も親を平気で養老院にいれますし、そうでなくても親とは決して同居しないものです。 老年にとっては家族や世間とのつながりはいよいよ大切になってくるのに、西洋では「老いた親の世話は 社会保障がするもの」と老人は家族とのつながりから離され、「人生の流タクの境涯」にあり、「みな孤独に 苦しんでいる」のです。 <子供を慈しむ伝統ー日本の心> (保田與重郎) ・百年ほど前の英国では子供に対する虐待行為を法律で禁止しなければならないほど、それが酷かった。 西洋人は、人間観、子供観において性悪説に立っており、「仮借ない躾によって、ジャングルの野蛮人を 文明へと教育する」やり方です。 ・子供を慈しむ伝統は、国語の自称詞、対称詞の中にも自然と現れています。 我々が夫婦の間でもお互いを「お父さん、お母さん」と呼び、両親を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶのも、 子供を中心に見ているからです。 子供に対しても上の子を「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ぶのも、今度は下の子を中心にしているからです。 ・「銀も金も玉も、何せむに、優れる宝子にしかめやも」(山上億良) 一旦身に受けた醜聞はなかなか払ひ落とせるものではない。たとへ醜聞が事実とちがつてゐても、醜聞といふものは、 いかにも世間がその人間について抱いてゐるイメージとよく符合するやうにできてゐる。ましてその醜聞が、 大して致命的なものではなく、人々の好奇心をそそつたり、人々に愛される原因になつたりしてゐるときには 尚更である。かくて醜聞はそのまま神話に変身する。 (中略) アメリカにおける日本娘の名声の高さは大へんなものである。われわれスポイルされた日本男性は、風呂の中で 妻が背中を流してくれるのを当然のサーヴィスと心得てゐるが、アメリカ人の感激は大へんなものらしいのである。 しかしアメリカ婦人だつて、自分の愛犬の背中を喜んで洗つてやるではないか。とすれば、アメリカ婦人が良人の 背中を流したがらない理由は、男性を犬から区別する敬意に出てゐるのかもしれないのである。 三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略) 日本のサーヴィス業といふものには、微妙な東洋的特色があるのである。西欧では、快楽といふものは、 キリスト教的伝統によつて、肉体的快楽と精神的快楽にはつきり分けられてゐるらしい。日本ではこのへんが ひどくあいまいで、肉体から精神にいたるひろい領域を、いろんな種類の快楽が埋めてゐて、そのひとつひとつに 対応するサーヴィス業があるわけだ。だから日本人は、外人が芸者やバアの女給を娼婦と混同するやうな誤解に ひどく気を悪くする。芸者は断じて娼婦ではない。かと云つて素人女でもないのである。いや、娼婦ですらも、 厳然たる合理的娼婦ではない。十八世紀の日本の純粋な恋愛劇は、ほとんど娼婦と客との恋を描いてゐる。 この点では、封建時代の日本人はよく割り切つてゐた。恋愛とは、金を払つた女とやるものであり、結婚と 恋愛とは何の関係もないと思つてゐたのである。今でも日本人にはこの気分が残つてゐて、恋愛といふものは、 金を払へる場所で、たとへば女のゐる酒場で、次第に精神的に成立するものだといふやうな考へがある。 三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略) 日本人はほとんど英語を話さない。と云ふとアメリカ人の旅行者はおどろくだらうが、ホテル業者やガイドや 貿易商社関係や、つまり英会話の能力で利益を得る人たちが英語の巧いのは当り前である。だから、本当の日本人、 外人と附合はなくてもやつて行ける日本人は、ほとんど英語を話さない、と云つたはうが正確だらう。そして かういふ本当の日本人は、外人風に肩をすくめたり、身ぶり手ぶりを使つたり決してしない。英語で話しかけられると、 「わからない」といふしるしに、例の有名な「不可解な微笑」をうかべるだけである。 この微笑が、西洋人には、実に気味のわるい、謎に充ちたものにみえることは定評がある。しかしわれわれに とつては単純な問題である。悲しいから微笑する。困惑するから微笑する。腹が立つから微笑する。つまり、 「悲しみ」と「困惑」と「怒り」は本来別々の感情だが、それをXならXといふ同じ符号で表現するわけだ。 このX符号を示された相手は、すぐ次のやうに察しなければならない。 三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より 「ははア、これはきつと何か、隠しておきたい感情があるんだな。そんなら触れずにそつとしておかう」 つまり微笑は、ノー・コメントであり、「判断停止」「分析停止」の要請である。こんなことは社会生活では 当たり前のことで、日本のやうに個人主義の発達しない社会では、微笑が個人の自由を守つてきたのである。 しかもそれは礼儀正しさの要請にも叶つてゐる。 ところが外国人はさうは行かない。殊にアメリカ人となると、絶対に我慢できない。一体このX符号は何だらう。 彼は頭を悩まし、分析し、判断し、質問する。そしてあげくのはてに、相手が怒つてゐるのだと知ると、茫然と してしまふ。「そんならはじめから、微笑したりせずに、怒ればいいぢやないか」しかしそれは礼儀に外れた 方法である。 三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略) 日本の伝統は大てい木と紙で出来てゐて、火をつければ燃えてしまふし、放置(はふ)つておけば腐つてしまふ。 伊勢の大神宮が二十年毎に造り替へられる制度は、すでに千年以上の歴史を持ち、この間五十九回の遷宮が 行はれたが、これが日本人の伝統といふものの考へ方をよくあらはしてゐる。西洋ではオリジナルとコピイとの 間には決定的な差があるが、木造建築の日本では、正確なコピイはオリジナルと同価値を生じ、つまり次の オリジナルになるのである。京都の有名な大寺院も大てい何度か火災に会つて再建されたものである。かくて 伝統とは季節の交代みたいなもので、今年の春は去年の春とおなじであり、去年の秋は今年の秋とおなじである。 だから一般的に云つて、日本人くらゐ、伝統を惜しげなく捨て去つて、さつさと始末してしまふ国民もゐない。 伝統の重圧といふものは、日常生活には少しも感じられず、東洋風な敬老思想もなくなつて、今日では、日本の 老人は、若者の御機嫌をとるのに汲々としてゐる。 三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略)二十歳以下の連中は、ブルー・ジンズで街を歩きまはり、ロックン・ロールにうつつを抜かしてゐる。 外人旅行者は目をうたがふ。これが日本なのか? 旅行案内社のポスターと何たるちがひだらう! しかしこれが日本の伝統なのである。鎖国時代の日本人でさへ、今日の若い日本人が、ジャックとかメリーとかいふ アメリカ名前のニック・ネームを使つてゐるやうに、支那式の名前を別に持つてゐた。当時、支那は日本にとつて、 今日のヨーロッパのやうなものであつた。 二十年目毎の改築と遷宮、これは実に象徴的である。終戦後十五年あたりから、もうすつかり死に絶えたと誰もが 思つてゐた古い日本思想が、あなどりがたい力で復活して、若い世代の一部を惹きつけてゐる。一九六〇年に、 十五年ぶりでハラキリが復活した。岸内閣の政治に憤慨した或る僧侶が、官邸の前で切腹したのである。これから 又たびたびハラキリが出て来ても、おどろくには当らないのである。サムラヒもやがて復活することであらう。 三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より ここのスレの人さ。 俺にはどうでもいい話だが 著作権か版権はまだ生きてるはずだぞ。 訴えられたら即罰金だがいいのか。 尾崎紅葉の「金色夜叉」の箕輪家の歌留多会の場面は大へん有名で、お正月といふと、近代文学の中では、まづ この場面が思ひだされるほどです。 (中略) 三十人あまりの若い男女が、二手にわかれて、歌留多遊びに熱中してゐるありさまは、場内の温気に顔が赤くなつて ゐるばかりでなく、白粉がうすく剥げたり、髪がほつれたり、男もシャツの腋の裂けたのも知らないでチョッキ姿に なつてゐるのやら、羽織を脱いで帯の解けた尻をつき出してゐるのやら、さまざまですが、 「喜びて罵り喚く声」 「笑頽(わらひくづ)るゝ声」 「捩合(ねぢあ)ひ、踏破(ふみしだ)く犇(ひしめ)き」 「一斉に揚ぐる響動(どよみ)」 など、大へんなスパルタ的遊戯で、ダイヤモンドの指輪をはめた金満家のキザ男富山は、手の甲は引つかかれて 血を出す、頭は二つばかり打たれる。はふはふのていで、この「文明ならざる遊戯」から、居間のはうへ逃げ出します。 三島由紀夫「『日本的な』お正月」より ――むかしの日本には、今のやうなアメリカ的な男女の交際がなかつた代りに、この歌留多会のやうな、まるで ツイスト大会もそこのけの、若い男女が十分に精力を発散して取つ組み合ひをする機会がないわけではありませんでした。 紅葉がいみじくも「非文明的」と言つてゐるやうに、かういふ伝統は、武家の固苦しい儒教的伝統や、明治に なつて入つてきた田舎くさい清教徒のキリスト教的影響などと別なところから、すなはち、「源氏物語」以来の みやびの伝統、男女の恋愛感情を大つぴらに肯定する日本古来の伝統に直につながるものでありました。百人一首の 歌の詩句は、古語ですから柔らげられてゐるやうだが、どれもこれも、良家の子女にはふさはしくない、露骨な 恋愛感情を歌つたものばかりでした。 三島由紀夫「『日本的な』お正月」より お正月といふと、日ごろスラックスでとびまはつてゐるはねつかへり娘まで、急に和服を着て、おしとやかに なるのは面白い風俗ですが、今のお嬢さんは和服を着馴れないので、たまに着ると、鎧兜を身に着けたごとく コチンコチンになつてしまふ。必要以上におしとやかにも、猫ッかぶりにも見えてしまふわけです。 私はさういふ気の毒な姿を見ると、ちかごろの日本人は、「日本的」といふ言葉をどうやら外国人風に考へて、 何でも、日ごろやつてゐるアメリカ的風俗と反対なもの、花やかに装ひながらお人形のやうにしとやかなもの、 ととつてゐるのではないかといふ気がします。 「日本的」といふ言葉のなかには、十分、ツイスト的要素、マッシュド・ポテト的要素、ロックンロール的要素も あるのです。たださういふ要素が今では忘れられて、いたづらに、静的で類型的なものが、「日本的」と称されて ゐるにすぎません。 三島由紀夫「『日本的な』お正月」より 実際、地球上どこでも、人間が大ぜい集まつて住んでゐるところで、やつてみたいことや、言つてみたいことに、 そんなにちがひがあるわけはなく、たまたま日本が鎖国のおかげで孤立的な文化を育て、右のやうな要素までも すべて日本的な形に特殊化して、表現してきたのは事実ですが、今日のやうに、世界のどこへでもジェット機で 二十四時間以内に行けるほどになると、「日本的なもの」の中の、ツイスト的要素はアメリカ製で間に合はせ、 シャンソン的要素はフランス製で間に合はせ、……といふ具合に、分業ができてきて、どうにも外国製品では 間に合はない純日本的要素だけを日本製の「日本趣味」で固める、といふ風になつてくる。 それでは、一例がお正月の振袖みたいな、わづかに残されたものだけが、純にして純なる本当の「日本的なもの」で あるか、といふと、それはちがふ。そんなに純粋化されたものは、すでに衰弱してゐるわけで、本来の 「日本的なもの」とは、もつと雑然とした、もつと逞ましいものの筈なのです。 三島由紀夫「『日本的な』お正月」より (中略) 今年はいよいよオリンピックの年ですが、今から私がおそれてゐるのは、外人に向つての「日本趣味」の押売りが、 どこまでひどくなるか、といふことです。振袖姿の美しいお嬢さんが、シャナリシャナリ、花束を抱へて飛行機へ 迎へに出ること自体は、私はあへて非難しませんが、一例が次のやうな例はどうでせうか? 日本の服飾美学の伝統はすばらしいもので、江戸の小袖の大胆なデザイン、配色など、今のわれわれから見ても、 超モダンに感じられます。日本人の色彩感覚はすばらしく、それ自体で、みごとな色の配合のセンスを完成して ゐます。この感覚の高さは、決してフランス人にも劣るものではありません。しかし一方、先年、フランスから コメディー・フランセエズの一行が来たとき、舞台衣裳の配色の趣味のよさ、調和のよさ、(中略)カーテン・ コールで、登場人物一同が手をつないで舞台にあらはれたときは、その美しさに息を呑むくらゐでした。しかし、 突然、日本のお嬢さん方の花束贈呈がはじまり、色彩の城はとたんに、見るもむざんなほど崩壊しました。 三島由紀夫「『日本的な』お正月」より 色とりどりの振袖姿、色とりどりの花、わけても花束につけた俗悪な赤いリボンの色、……これで、今まで 保たれてゐた寒色系統の色の調和は、一瞬のうちにめちやくちやにされ、劇の感興まで消え失せてしまひました。 かういふのを「日本的」歓迎と思ひ込んでゐる無神経さ、私はこれをオリンピックに当つてもおそれます。本当に 「日本的な」心とは、フランスの衣裳美にすなほに感嘆し、この感嘆を純粋に保つために、かりにも舞台上へ ほかの色彩などを一片でも持ち込まない心づかひを示すことなのです。そこにこそ「日本的な」すぐれた色彩感覚が 証明されるのです。右のやうな仕打は、決して「日本的」なのではありません。 「日本的なもの」についていろいろと心を向ける機会の多いお正月に、今年こそ、ぜひ、本当の「日本的なもの」を 発見していただきたいと思ひます。 三島由紀夫「『日本的な』お正月」より G・W・ギルモア『ソウル風物誌』 日本を旅行すれば、人々の間にある種の活気が感じられる。 日本女性の目には、ほとんど常に楽しげな快活さがあり、愉快な生気を発している。 そして彼女らの目は、微笑に応えるよう誘惑する。 彼女らの人生は、遊びや遠足のように見える。 ところが朝鮮女性には、このような活気や快活さ、そして生気のようなものが不足している。 彼女らの人生は深刻で真摯だ。 したがって憂鬱さが、朝鮮女性の特徴的な姿である。 カール・ツュンベリー 江戸参府随行記 日本は一夫一婦制である(庶民に関しての観察)。 また支那のように夫人を家に閉じこめておくようなことはなく、 男性と同席したり自由に外出することができるので、 路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、 私にとって難しいことではなかった。 この国の男性が娶れる婦人は一人だけで、何人も娶ることはない。(庶民の事) 夫人は自由に外出できるし、人々の仲間にはいることもできる。 隣国の朝鮮や支那のように隔離された部屋に閉じこめられていることはない。 シュリーマン旅行記 人々の勤勉で誠実で清貧なところ、町の清潔さ、工芸品の巧みさ等におどろき、 「この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、 そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる」 と高く評価しているのである。 人々は世界中で「入浴」の最大の愛好者であり、疑いなくもっとも清いと知られているのである。 日本の大衆はどんな臭味もない。 ほとんどの男性、女性の足は美しく見える。 西洋人の男性、女性の足にしばしばみられるいたましいねじれの様子はみられない。 そのねじれはきつく尖った長靴や短靴の結果である。 日本女性のほとんどの手はいつも上品で、時には絶対的に魅力的である。 母方の祖父が漢学者であつたため、私はごく稚ないころから、お正月といふと、母の実家へ年始に行つて書初めを やらされた。それも固苦しい書初めではなく、座敷いつぱいに何枚もきいろいのや白いのや長大な紙をひろげられて、 文鎮で留められ、そのまはりを大ぜいの親戚の子がわいわい言つてゐるなかで、ごく小さな子には長い白髯の祖父が、 筆を一緒に待つて運筆を教へてくれる。 「力いつぱい! さう、さう。思ひ切つて! コセコセしてはいけない。思ひきり、勢ひよく」 と男の子は特に声援される。 大きな筆にたつぷり墨を含ませて、大きな紙に思ひ切り書くのは、一種の運動の快感があつて、子供を喜ばせる。 子供は自分の体より大きな字を自分が書いたことに、何ともいへない満足を味はふのである。 それから、それは又、度胸といふもの、決心といふやうなものを教へる。力いつぱいふくらませた風船のやうに 自分がなつて、その空気を一気に紙上にぶちまける「機」ともいふべきものを、しらずしらずに教へられる。 三島由紀夫「習字の伝承」より 日本の最も崇高な美俗たる衆道・男色の制度を再興して、末代まで守り続けようゼッ! それが出来ネエ徒輩は非国民でしかネエだろうナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!! 羞恥心は微妙なパラドキシカルな感情である。自分について羞恥心を抱いてゐるとき、人は又、ひそかに、 あたかも罪悪感のやうなナルシシズムを抱いてゐるかもしれず、憎悪と愛とのアンビヴァレンツを隠してゐるかも しれない。それだけ羞恥心は、自分の内部の深いものとインティメートな感情の、隠れ家であつたかもしれない。 日本人が日本の古い習俗を「蛮風」として恥ぢてゐたときには、どこかで心の一部がその蛮風に支配されて ゐたときかもしれない。心のみならず、自分の生活感情や社会意識に、ひそかに、そんな蛮風が影を落してゐた時 かもしれない。 文明人がプリミティヴィズムを内部に蔵してゐるのは、何と素敵なことであらう。蒼ざめた都市生活者であること よりも、noble savage であるといふことは、現代人として何と誇らしいことであらう。一国の文化の底の底を 掘り起しても、何ら原始的な生命の根に触れえないやうな「文明国民」とは、何と十九世紀的で、何と時代おくれな ことであらう! 三島由紀夫「序(矢頭保写真集『裸祭り』)」より さっきおばさんが家を訪れて家族調査してきた 昨日ご長男の方が見えたけど今は休みで?トヨタは木金休みですもんね。休みもいろいろありますもんね。あはは。うふふっ。 夫はふだんはどうしてらせるのですか?奥さんは、婦人会。大変ですわよね。あははうふふ。次男の方は… そういう曲者の女が増えてる。見た目は普通のおばん。挙動不審なところあり。 日本は核家族化して他人様と比較ばかりしている内面的に未熟なじじばばのいかに多いことか。 自分の家の犬は飼い主に似て吠えまくるのに家の前を通ればお前の犬が家にしょんべんまるのは失礼だと因縁をつける。 引っ越してきた核家族は産土神社など絶対奉仕することない。そういう人に限って自分がなにかの順番が後になると文句を言う。 今の劣化した日本人に日本の伝統など精神から理解できることなどないだろうな。知能指数が落ちてる。ゆとりが理由ではない。もっと深い理由がある。 真の東洋的なもの、東洋的神秘主義の最後の一線を、近代的立憲国家の形体に於て留保したものが日本の天皇制である。 天皇制は過去の凡ゆる東洋文化の枠であり、帝王学と人生哲学の最後の結論である。これが失はれるとき 東洋文化の現代文化へのかけはし、その最後の理解の橋も失はれるのである。 三島由紀夫「偶感」より 誰だか知らんが言いたい事があるなら自分の言葉で語れ 庭はどこかで終る。庭には必ず果てがある。これは王者にとつては、たしかに不吉な予感である。 空間的支配の終末は、統治の終末に他ならないからだ。ヴェルサイユ宮の庭や、これに類似した庭を見るたびに、 私は日本の、王者の庭ですらはるかに規模の小さい圧縮された庭、例外的に壮大な修学院離宮ですら借景に たよつてゐるやうな庭の持つ意味を、考へずにはゐられない。おそらく日本の庭の持つ秘密は、「終らない庭」 「果てしのない庭」の発明にあつて、それは時間の流れを庭に導入したことによるのではないか。 仙洞御所の庭にも、あの岬の石組ひとつですら、空間支配よりも時間の導入の味はひがあることは前に述べた。 それから何よりも、あの幾多の橋である。水と橋とは、日本の庭では、流れ来り流れ去るものの二つの要素で、 地上の径をゆく者は橋を渡らねばならず、水は又、橋の下をくぐつて流れなければならぬ。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 橋は、西洋式庭園でよく使はれる庭へひろびろと展開する大階段とは、いかにも対蹠的な意味を担つてゐる。 大階段は空間を命令し押しひろげるが、橋は必ず此岸から彼岸へ渡すのであり、しかも日本の庭園の橋は、 どちらが此岸でありどちらが彼岸であるとも規定しないから、庭をめぐる時間は従つて可逆性を持つことになる。 時間がとらへられると共に、時間の不可逆性が否定されるのである。すなはち、われわれはその橋を渡つて、 未来へゆくこともでき、過去へ立ち戻ることもでき、しかも橋を央にして、未来と過去とはいつでも交換可能な ものとなるのだ。 西洋の庭にも、空間支配と空間離脱の、二つの相矛盾する傾向はあるけれど、離脱する方向は一方的であり、 憧憬は不可視のものへ向ひ、波打つバロックのリズムは、つひに到達しえないものへの憧憬を歌つて終る。 しかし日本の庭は、離脱して、又やすやすと帰つて来るのである。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 日本の庭をめぐつて、一つの橋にさしかかるとき、われわれはこの庭を歩みながら尋めゆくものが、何だらうかと 考へるうちに、しらぬ間に足は橋を渡つてゐて、 「ああ、自分は記憶を求めてゐるのだな」 と気がつくことがある。そのとき記憶は、橋の彼方の薮かげに、たとへば一輪の萎んだ残花のやうに、きつと 身をひそめてゐるにちがひないと感じられる。 しかし、又この喜びは裏切られる。自分はたしかに庭を奥深く進んで行つて、暗い記憶に行き当る筈であつたのに、 ひとたび橋を渡ると、そこには思ひがけない明るい展望がひらけ、自分は未来へ、未知へと踏み入つてゐることに 気づくからだ。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より かうして、庭は果てしのない、決して終らない庭になる。見られた庭は、見返す庭になり、観照の庭は行動の 庭になり、又、その逆転がただちにつづく。庭にひたつて、庭を一つの道行としか感じなかつた心が、いつのまにか、 ある一点で、自分はまぎれもなく外側から庭を見てゐる存在にすぎないと気がつくのである。 われわれは音楽を体験するやうに、生を体験するやうに、日本の庭を体験することができる。又、生をあざむかれる やうに、日本の庭にあざむかれることができる。西洋の庭は決して体験できない。それはすでに個々人の体験の 余地のない隅々まで予定され解析された一体系なのである。ヴェルサイユの庭を見れば、幾何学上の定理の 美しさを知るであらう。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より ……それにしても、仙洞御所を一時間あまり拝観して、辞去するとき、私ははなはだ畏れ多いことながら、その庭が 自分の所有に属さないことを喜んだ。いづれ又、紅葉の季節や、花の季節に、私は拝観を願ひ出て、仙洞御所を 再訪することもあるだらう。しかし、この御庭を愛すれば愛するだけ、私はそれが決して自分の所有に属さず、 訪れない間は、京都へ行けば必ずそれがそこにあるといふ、存在の確実さだけを心に保つことができるのを喜ぶ。 それといふのも、所有といふことの不幸と味気なさを、私は我身で味はつたのは貧しい例でしかないが、人の 身の上にしみじみと見て来たからである。或るフランスの大富豪の貴族のシャトオに数日滞在してゐたときのこと、 私は次々とあらはれては去る来客を、主人夫妻が、ほぼ同じ順序でもてなすのを見た。(中略) 自分のシャトオにゐる間、主人夫妻は、いはば、案内役と司会者の役割を毎日つとめて、倦きもせずに、ただ 次々と新らしい客の讃嘆の声だけを餌にして生きてゐた。これを見てゐて、私はつくづく、所有する者の不幸と 味気なさを感じたのである。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 庭も亦所有を前提としてゐる。他人に思ふまま蹂躙された庭は、公園であつてもはや庭ではない。しかし厳密に 言ふと、所有者にとつても、それは徐々に「庭」であることをやめるのである。なぜなら、見倦きた庭は、 庭であることから、何かただ、習慣のやうなものになつて、われわれの存在の垢とまじり合つてしまふからである。 四季の変化からなるたけ影響を受けぬやうに作られた幾何学的な庭はもちろん日本の庭の中でも竜安寺の石庭の やうな抽象的な庭は、所有者にとつては、忘れられた厖大な蔵書の一部のやうになつてゆくにちがひない。 ある庭を完全に所有すまいとすれば、その庭のもつ時間の永遠性が、いつも喚起的であるやうに努めねばならない。 理想的な庭とは、終らない庭、果てしのない庭であると共に、何か不断に遁走してゆく庭であることが必要であらう。 われわれの所有をいつもすりぬけようとして、たえず彼方へと遁れ去つてゆく庭、蝶のやうに一瞬の影を宿して 飛び去つてゆくやうな庭、しかもそこに必ず存在することがどこかで保証されてゐるやうな庭、……さういふ 庭とは何であらうか。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 私はここで又、仙洞御所の庭に思ひ当る。なぜならその御庭は、私の所有でないと同時に、今はどなたの住家でも ないからである。しかもそれは確実に所有されてをり、決して万人の公園ではない。もしわれわれが理想的な庭を 持たうとするならば、それを終らない庭、果てしのない庭、しかも不断に遁走する庭、蝶のやうに飛び去る庭に しようとするならば、われわれにできる最上の事、もつとも賢明な方法は、所有者がある日姿を消してしまふ ことではないだらうか。庭に飛び去る蝶の特徴を与へようとするならば、所有者がむしろ、飛び去る蝶に化身すれば よいのではないか。生はつかのまであり、庭は永遠になる。そして又、庭はつかのまであり、生は永遠になる。…… そのとき仙洞御所の焼亡は、この御庭にとつて、何かきはめて象徴的な事件のやうに思はれるのである。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 生きてゐる芸術家とは、どういふ姿になることが、もつとも好ましく望ましいか。 私は或る作家の作品を決して読まない。それは、その作家がきらひだからではない。その作家の作品を軽んずる からではない。それとは反対に、私は彼の作家としての良心を敬重してをり、作品を書く態度のきびしさを 尊敬し、作品の示す芸のこまやかさと芸格の高さにいつも感服してゐる。それなのに、私は彼の作品を読まうと しないのである。 何故かといふのに、私が読まなくても、彼は円熟した立派な作品を書きつづけてゐることがわかりきつてゐる からである。さういふ作品が彼を囲んで、ますます彼の芸境を高めてゐることを知つてゐるからである。 さうなつた作家は、すでに名園である。いはば仙洞御所の御庭である。行かなくても、そこへ行けば、その美に 搏たれることがわかつてをり、見なくても、そこにその疑ひやうのない美が存在してゐることがわかつてゐるからだ。 だが、私は、自分の作品の、未完成、雑駁を百も承知でゐながら、生きてゐるあひだは、決してさういふ千古の 名園のやうな作家になりたいとは望まないのである。 三島由紀夫「『仙洞御所』序文」より 近代日本が西洋文明をとりいれた以上、アリの穴から堤防はくづれたのである。しかも、文明の継ぎ木が 奇妙な醜悪な和洋折衷をはやらせ、一例が応接間といふものを作り、西洋では引つ越しや旅行の留守にしか 使はない白麻のカバーをソファーにかける。私はさういふことがきらひだから、いすが西洋伝来のものである以上、 西洋の様式どほり、高価な西洋こつとうのいすにも、家ではカバーをかけない。 昔の日本には様式といふものがあり、西洋にも様式といふものがあつた。それは一つの文化が全生活を、 すみずみまでおほひつくす態様であり、そこでは、窓の形、食器の形、生活のどんな細かいものにも名前がついてゐた。 日本でも西洋でも窓の名称一つ一つが、その時代の文化の様式の色に染まつてゐた。さういふぐあひになつて、 はじめて文化の名に値するのであり、文化とは生活のすみずみまで潔癖に様式でおほひつくす力であるから、 すきや造りの一間にテレビがあつたりすることは許されないのである。 三島由紀夫「日本への信条」より 私はただ、畳にすわるよりいすにかけるはうが足が楽だからいすにかけ、さうすれば、テーブルも、じゆうたんも、 窓も、天井も、何から何まで西洋式でなければ、様式の統一感に欠けるから、今のやうな生活様式を選んだのである。 それといふのも、もし、私が純日本式生活様式を選ばうとしても、十八世紀に生きてゐれば楽にできたであらうが、 二十世紀の今では、様式の不統一のぶざまさに結局は悩まされることになるからである。 私にとつては、そのやうな、折衷主義の様式的混乱をつづける日本が日本だとはどうしても思へない。 また、一例が、能やカブキのやうなあれほどみごとな様式的美学を完成した日本人が、たんぜんでいすにかけて テレビを見て平気でゐる日本人と、同じ人種だとはどうしても思へない。 こんなことをいふと、永井荷風流の現実逃避だと思はれようが、私の心の中では、過去のみならず、未来においても、 敏感で、潔癖で、生活の細目にいたるまで様式的統一を重んじ、ことばを精錬し、しかも新しさをしりぞけない 日本および日本人のイメージがあるのである。 三島由紀夫「日本への信条」より そのためには、中途はんぱな、折衷的日本主義なんかは真つ平で、生つ粋の西洋か、生つ粋の日本を選ぶほかはないが、 生活上において、いくら生つ粋の西洋を選んでも安心な点は、肉体までは裏切れず、私はまぎれもない 日本人の顔をしてをり、まぎれもない日本語を使つてゐるのだ。つまり、私の西洋式生活は見かけであつて、 文士としての私の本質的な生活は、書斎で毎夜扱つてゐる「日本語」といふこの「生つ粋の日本」にあり、 これに比べたら、あとはみんな屁のやうなものなのである。 今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、といふのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、 われわれは日本につかまれてゐる。だから私は、日本語を大切にする。これを失つたら、日本人は魂を失ふことに なるのである。戦後、日本語をフランス語に変へよう、などと言つた文学者があつたとは、驚くにたへたことである。 三島由紀夫「日本への信条」より 低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、かういふ 劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを 卒業してゐると考へてゐる。ただ無言の自信をもつて、偉ぶりもしないで、ドスンと構へてゐればいいのである。 さうすれば、向うからあいさつにやつてくる。貫禄といふものは、からゐばりでつくるものではない。 そして、この文化的混乱の果てに、いつか日本は、独特の繊細鋭敏な美的感覚を働かせて、様式的統一ある文化を 造り出し、すべて美の視点から、道徳、教育、芸術、武技、競技、作法、その他をみがき上げるにちがひない。 できぬことはない。かつて日本人は一度さういふものを持つてゐたのである。 三島由紀夫「日本への信条」より 左翼はいつも、より良き未来世界といふものを模索してゐる。いつもより良き未来社会へ向かつて我々は進歩して ゆくと考へてゐるのです。(中略) ところがソビエトはご承知のやうな状態になつた。これは完全な官僚社会のみならず、その常套語を使へば、 帝国主義なのです。そして、かつて日本人が未来社会と思つたのが帝国主義になつてしまつた。もうスターリン批判 以来、日本人のソビエトに対する夢も崩れた。では、中共はどうか。中共はどうも日本人の西洋崇拝から言ふと少し 外れる処があつたんだけど、文化大革命といふことがあつたので、ますます日本人の理想から遠くなつてしまつた。 近頃は経済的には先進国になつてゐますので、その点でも、あらゆる後進国的なラディカルな革命のやり方で やれるものかどうかといふ疑問は幼稚園ぐらゐ出てゐれば大体分るわけです。 そこで未来社会の展望を失つたところに彼らの焦燥と彼らの一種の絶望感があることは確かなのです。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より (中略) それで、より良き彼らの本当の未来社会とは何であるか。皆さんは、「自由からの逃走」といふエーリッヒ・フロムの 本などをお読みになつたことがあるだらうと思ひますが、“われわれの窮屈に閉込められたこの自由といふ名の下に 於いて、人間が一種のフィクションに堕してしまつた社会”から何とか抜け出して、“自由な人間主義の本当に 実現される世界、しかもそこでは社会主義がその最も良いところを実現してゐるやうな社会”であります。 いはゆる、ヒューマニテリアン・ソシャリズムですが、完全な言論自由化の社会主義といふやうな、誰が考へても 実現不可能のやうな、より良き未来に向かつて進んで行かうと、それがまあ大体の左翼型のラディカルな革命の 行動の先にある未来国であると考へて良いと思ひます。(中略) 何も私は共産主義に対抗して生きてゐるわけではありません。別にそれを職業にしてゐる人間でもありません。 ですけれども彼らの考へにうつかり動かされ、蝕まれていつたならば、どういふ結果になるか目に見えてゐる。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より (中略) 私は未来といふものはないといふ考へなのです。未来などといふことを考へるからいけない。だから未来といふ言葉を 辞書から抹殺しなさいといふのが私の考へなのです。(中略)我々はアメーバが触手を伸ばすやうに、闇の中を 手探りで少し先の未来までは予測ができる。或ひは来年くらゐまでは予測できるかもしれない。しかし、人間が 予測されない闇の中を進んでゆくためには、その闇の彼方にあるものを信ずるか、或ひはその闇といふものに 対決して本当に自分の現在に生きるかといふことの二つの選択を迫られてゐるといふのが私の考へ方の基本であります。 “未来に夢を賭ける”といふことは弱者のすることである。そして、自分をプロセスとしか感じられない人間の することであります。(中略) このやうな思考の中からは人間の円熟といふことも出て来なければ、人間の成熟といふ思考も絶対に出て来ない。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より 実は、人間は未来に向かつて成熟してゆくものではないんです。それが人間といふ生き物の矛盾に充ちた 不思議なところです。人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。 「葉隠」といふ本を御覧になつた方があるとみえて、笑つてゐる方がそこに居りますが、やはり死といふ事を 毎日毎日起り得る状況として捉へるところから人間の行動の根拠を発見して、そこにモラルを提示してゆく。 非常に極端な考へ方なのですが、あれ程生きる力を与へられた本を私は知りません。 あの思考には、未来が無いのです。我々は常識で考へて「未来がない」と言ふと、まるで破産宣告を受けた人間とか、 ガンの宣告を受けた人間のやうに考へますが、さうではなくて、私は、「青年にこそ未来がない」と、私自身の 考へから、経験から言へるのです。(中略) 青年といふのが“未来を所有してゐる”のではなくして、“未来を夢みてゐた”のであります。そして、未来を 所有してゐる人間といふのは、棺桶に片足を突つ込んだ人間のことを言ふのです。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かといふことを考へますと、次のやうになります。未来を 信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであつて、今日の私、 現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後に過去の無限の蓄積がある。そして、長い文化と 歴史と伝統が自分のところで止まつてゐるのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。つまり、自分が支へてきた 文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。今、私が四十歳であつても、 二十歳の人間も同じ様に考へてくれば、その人間が生きてゐる限り、その人間のところで文化は完結してゐる。 その様にして終りと終りを繋げれば、そこに初めて未来が始まるのであります。 われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、これこそ自分であると いふ気持で以つて、全身に自分の歴史と伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ、今日の仕事に完全な 成熟といふものを信じられないのではなからうか。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より 或ひは、自分一個の現実性も信じられないのではなからうか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。 自分の背中に日本を背負ひ、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負つてゐるのだといふ気持に一人一人がなることが、 それが即ち今日の行動の本になる。 「今日も行動を起す」と言つて、何も角材を持つて飛び出すのではなくて、その気持の中から、自分は果して それに相応しいのだらうか、自分は果して本当に日本の歴史と伝統といふものを正確に且つ立派に代表して ゐるだらうか、といふ気持がその人の倫理になります。また、成熟の本になります。 「俺一人を見ろ!」とこれがニーチェの「この人を見よ」といふ思想の一つの核心でもありませう。けれども、 私は中学時代に「この人を見よ」といふのは「誰を見よ」といふのかと思つて先輩に聞きましたところ、 「ニーチェを見よ」といふことだと教へて貰ひ、私は世の中にこんなに自惚れの強い人間がゐるのかと驚いたことが あるのです。しかし、今になつて考へてみると、それは自惚れではないのであります。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より 自分の中にすべての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。しかし、 そのかはり何時でも身を投げ出す覚悟で、それを毀さうとするものに対して戦ふ。(中略) ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な、非現実的な未来ではないものがある。 そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つといふことが必要です。これは又、人間の行動の強さの 源泉にもなると思ふ。といふのは人間といふものは、それは果無(はかな)い生命であります。しかし、 明日死ぬと思へば今日何かできる。そして、明日がないのだと思ふからこそ、今日何かができるといふのは、 人間の全力的表現であり、さうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思ひます。 大体、中南米諸国の民族は、間に合はないと何でも明日に延ばしてしまふのですが、日本人の精神といふのは、 その間に合はないといふところがない。さういふところが日本人の良いところであつて、それが日本精神で あるとさへ私は思ひます。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より 本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間に全力表現を尽すことのできる民族が、その国民精神が 結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。しかし、その未来は何も自分の一瞬には関係ないのである。 これは、日本国民全体がそれぞれの自分の文化と伝統と歴史の自信を持つて今日を築きゆくところに、生命を 賭けてゆくところにあるのです。 特攻隊の遺書にありますやうに、私が“後世を信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと 思ふのです。ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世を信じない”といふこととは違ふのであります。 私は未来は信じないけれども後世は信ずる。特攻隊の立派な気持には万分の一にも及びませんが、私ばかりでなく、 若い皆さんの一人一人がさういふ気持で後輩を、又、自分の仕事ないし日々の行動の本を律してゆかれたならば、 その力たるや恐るべきものがあると思ひます。 三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より 英国人バジル・ホール・チェンバレン 一般的に考察して、世界に冠たるこの日本人の清潔は、敬神と関係はない。日本人はきれい好きだから清潔なのである。 西洋人はわざとらしく上品ぶるが、日本人はそれにもまして清潔を尊ぶのである。 日本人が風呂に入る習慣の魅力は、この国に居住する外国人のほとんどすべてがそれを採用しているという事実によって証明される。 外国人はほとんどすべてが廻り道をして、結局は日本式に到達するのである。 文学史とは一体何なのか。千年前に書かれた作品でも、それが読まれてゐるあひだは、容赦なく現代の一定の 時間を占有する。 われわれは文学作品を、そもそも「見る」ことができるのであらうか。古典であらうが近代文学であらうが、 少くとも一定の長さを持つた文学作品は、どうしてもそこをくぐり抜けなければならぬ藪なのだ。自分のくぐり 抜けてゐる藪を、人は見ることができるであらうか。 それははつきりわれわれの外部にあるのか。それとも内部にあるのか。文学作品とは、体験によつてしか つかまへられないものなのか。それとも名器の茶碗を見るやうに、外部からゆつくり鑑賞できるものなのか。 もちろん藪だつて、くぐり抜けたそのあとでは、遠眺めして客観的にその美しさを評価することができる。しかし、 時間をかけてくぐり抜けないことには、その形の美しさも決して掌握できないといふのが、時間芸術の特色である。 この時間といふことが、体験の質に関はつてくる。なぜなら、われわれがそれを読んだ時間は、まぎれもない 現代の時間だからである。 三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より 美、あるひは官能的魅惑の特色はその素速さにある。それは一瞬にして一望の下に見尽されねばならず、その速度は 光速に等しい。それなら、長篇小説のゆつくりした生成などは、どこで美と結ぶのであらうか。きらめくやうな 細部によつてであるか。あるひは、読みをはつたのち、記憶の中に徐々にうかび上る回想の像としてであるか。 (中略)文学史は言葉である。言葉だけである。しかし、耳から聴かれた言葉もあれば、目で見られることに 効果を集中した言葉もある。 文学史は、言葉が単なる意味伝達を越えて、現在のわれわれにも、ある形、ある美、ある更新可能な体験の質、 を与へてくれないことにははじまらない。私は思想や感情が古典を読むときの唯一の媒体であるとは信じない。 たとへば永福門院の次のやうな京極派風の叙景歌はどうだらうか。 「山もとの鳥の声より明けそめて 花もむらむら色ぞみえ行く」 ここにわれわれが感じるものは、思想でも感情でもない、論理でもない、いや、情緒ですらない、一連の日本語の 「すがた」の美しさではないだらうか。 三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より (中略) われわれは文学史を書くときに、日本語のもつとも微妙な感覚を、読者と共有してゐるといふ信念なしには、 一歩も踏み出せないことはたしかであつて、それは至難の企てのやうだが、実はわれわれ小説家が、日々の仕事を するときに、持たざるをえずして持たされてゐる信念と全く同種のものなのである。 かくて、文学史を書くこと自体が、芸術作品を書くことと同じだといふ結論へ、私はむりやり引張つてゆかうとして ゐるのだ。なぜなら、日本語の或る「すがた」の絶妙な美しさを、何の説明も解説もなしに直観的に把握できる人を 相手にせずに、少くともさういふ人を想定せずに、小説を書くことも文学史を書くことも徒爾だからである。 享受はそれでよろしい。 しかしいかに作者不詳の古典といへども、誰か或る人間、或る日本人が書いたことだけはたしかであり、一つの 作品を生み出すには、どんな形ででもあれ、そこに一つの文化意志が働らいたといふことは明白である。 三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より (中略) 文化とは、創造的文化意志によつて定立されるものであるが、少くとも無意識の参与を、芸術上の恩寵として 許すだけで、意識的な決断と選択を基礎にしてゐる。ただし、その営為が近代の芸術作品のやうな個人的な 行為にだけ関はるのではなく、最初は一人のすぐれた個人の決断と選択にかかるものが、時を経るにつれて 大多数の人々を支配し、つひには、規範となつて無意識裡にすら人々を規制するものになる。私が武士道文献を 文学作品としてとりあげるときに、このことは明らかになるであらう。 文化とは、文化内成員の、ものの考へ方、感じ方、生き方、審美眼のすべてを、無意識裡にすら支配し、しかも 空気や水のやうにその文化共同体の必需品になり、ふだんは空気や水の有難味を意識せずにぞんざいに用ひて ゐるものが、それなしには死なねばならぬといふ危機の発見に及んで、強く成員の行動を規制し、その行動を 様式化するところのものである。 三島由紀夫「日本文学小史 第一章 方法論」より 今もなほ、私は、「古事記」を晴朗な無邪気な神話として読むことはできない。何か暗いものと悲痛なもの、 極度に猥褻なものと神聖なものとの、怖ろしい混淆を予感せずに再読することができない。少くとも、戦時中の 教育を以てしても、儒教道徳を背景にした教育勅語の精神と、古事記の精神とのあひだには、のりこえがたい亀裂が 露呈されてゐた。儒教道徳の偽善とかびくささにうんざりすればするほど、私は、日本人の真のフモールと、また、 真の悲劇感情と、この二つの相反するものの源泉が、「古事記」にこそあるといふ確信を深めた。日本文学の もつともまばゆい光りと、もつとも深い闇とが、ふたつながら。……そして天皇家はそのいづれをも伝承して ゐたのである。 (中略) これ(教育勅語)に比べると、「古事記」の神々や人々は、父母に孝ならず、兄弟垣にせめぎ、夫婦相和せず、 朋友相信ぜず、あるひは驕慢であり、自分本位であり、勉強ぎらひで、法を破り、大声で泣き、大声で笑つてゐた。 三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より (中略) 戦時中の検閲が、「源氏物語」にはあれほど神経質に目を光らせながら、神典の故を以て、「古事記」には一指も 触れることができず、神々の放恣に委ねてゐたのは皮肉である。ともすると、さらに高い目があつて、教育勅語の スタティックな徳目を補ふやうな、それとあらはに言ふことのできない神々のデモーニッシュな力を、国家は望み、 要請してゐたのかもしれない。古事記的な神々の力を最高度に発動させた日本は、しかし、当然その報いを受けた。 そのあとに来たものは、ふたたび古事記的な、身を引裂かれるやうな「神人分離」の悲劇の再現だつたのである。 (中略) これ(倭建命〈やまとたけるのみこと〉の挿話)がおそらく、政治における神的なデモーニッシュなものと、 統治機能との、最初の分離であり、前者を規制し、前者に詩あるひは文化の役割を担はせようとする統治の意志の あらはれであり、又、前者の立場からいへば、強ひられた文化意志の最初のあらはれである、と考へられる。 三島由紀夫「日本文学小史 第二章 古事記」より 古代において、集団的感情に属さないと認められた唯一のものこそ恋であつた。しかしそれがなほ、人間を 外部から規制し、やむなく、おそろしい力で錯乱へみちびくと考へられた間は、(たとへば軽王子説話)、なほ それは神的な力に属し、一個の集団的感情から派生したものと感じられた。このことは、外在魂(たまふり)から 内在魂(みたましづめ)へと移りゆく霊魂観の推移と関連してゐる。万葉集は、(中略)夥しい相聞歌を載せてゐる。 相聞は人間感情の交流を意味し、親子・兄弟・友人・知人・夫婦・恋人・君臣の関係を含むが、恋愛感情がその 代表をなすことはいふまでもない。 記紀歌謡以来、恋の歌は、別れの歌であり遠くにあつて偲ぶ歌であつた。(中略) 別離と隔絶に、人間精神の醇乎としたものが湧き上るのであれば、統一と集中と協同による政治(統治)からは、 無限に遠いものになり、政治的に安全なものであるか、あるひはもし政治的に危険な衝動であつても、挫折し、 流謫されたものの中にのみ、神的な力の反映が迫ると考へられた。 三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より (中略)われわれは、ふしぎなことに、太古から、英雄類型として、政治的敗北者の怨念を、女性的類型として、 裏切られた女の嫉妬の怨念を、この二種の男女の怨念を、文化意志の源泉として認めてきたのであり、成功した英雄は 英雄とみとめられず、多幸な女性は文化に永い影を引くことがなかつた。政治的にも亦、天皇制は堂々たる 征服者として生きのびたのではなかつた。いかに成功した統治的天皇も、倭建命以来の「悲劇の天皇」のイメージを 背後に揺曳させることによつて、その原イメージのたえざる支持によつて、すなはち日本独特の挫折と流謫の 抒情の発生を促す文化的源泉の保持者として、成立して来たのである。 さて、相聞歌は、非政治性の文化意志の大きな開花になつた。それは、統治が集中的になればなるほど、そして、 「万葉集」のやうな文化的集大成が行はれれば行はれるほど、この求心性に対して、つねに遠心力として働らき、 拡散と距離と漂泊を代表した。 三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より (中略) 万葉集は、人が漠然と信じてゐるやうな、素朴で健康な抒情詩のアンソロジーなのではない。それは古代の巨大な 不安の表現であり、そのやうなものの美的集大成が、結果的に、このはなはだ特徴的な国民精神そのものの 文化意志となつたのである。それなくしては又、(文化に拠らずしては)、古代の神的な力の源泉が保たれない、 といふ厖大な危機意識が、文化意志を強めた考へられる。のちにもくりかへされるやうに、一時代のもつとも 強烈な文化意志は、必ず危機の意識化だからである。 (中略) 芸術行為は、「強ひられたもの」からの解放と自由への欲求なのであらうか。相聞歌のふしぎは、或る拘束状態に おける情念を、そのままの形で吐露するといふ行為が、目的意識から完全に免かれてゐることである。「解決」の ほかにもう一つの方法があるのだ、といふことが詩の発生の大きな要素であつたと思はれる。その「もう一つの 方法」の体系化が、相聞だつたのである。 三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より それにしても、この歌は美しい。沈静で、優雅で、嫉妬に包まれた女性が、その嫉妬といふ衣裳の美しさに自ら 見惚れて、鏡の前に立つてゐるやうな趣がある。自己に属する情念が醜くからうなどとは、はじめから想像も できない、といふ点では、女性は今も昔も変りはしない。(中略)一人の悩める女の姿を描き出すことで、 磐姫皇后は、卓抜な自画像の画家であつた。しかしそれは、何ら客観視を要しない肖像画であり、皇后は、一度も 自分の情念を、客体として見てゐるわけではないのである。 情念にとらはれた人間にとつて、解決のほかにもう一つの方法がある。しかもそれは諦念ではない。……これが詩、 ひいては芸術行為の発生形態であつたとすれば、「鎮魂」に強ひて濃い宗教的意識を認め、これを近代の個性的 芸術行為と峻別しようとする民俗学の方法は可笑しいのである。表現と鎮魂が一つのものであることは、人間的 表出と神的な力の残映とが一つのものであることを暗示する。それはもともと絶対アナーキーに属する情念に属し、 言語の秩序を借りて、はじめて表出をゆるされたものである。 三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より しかしこれを慰藉と呼んでは、十分でない。それは本来、言語による秩序(この世のものならぬ非現実の秩序)に よつてしか救出されないところの無秩序の情念であるから、同時に、このやうな無秩序の情念は、現世的な 秩序による解決など望みはしないのである。相聞は、古代人が、政治的現世的秩序による解決の不可能な事象に、 はじめから目ざめてゐたことを語つてをり、その集大成は、おのづから言語の秩序(非現実の秩序)の最初の 規範になりえたのである。人はこの秩序が徐々に、現世の秩序と和解してゆく過程を「古今和歌集」に見、さらに そのもつとも頽廃した現象形態として、ずつと後世、現世の権力を失つた公家たちが、言語の秩序を以て、現世の 政治権力に代替せしめようとする、「古今伝授」といふ奇怪な風習に触れるだらう。そして「古今和歌集」と 「古今伝授」の間には、言語的秩序の孤立と自律性にすべてを賭けようとした「新古今和歌集」の藤原定家の おそるべき営為を見るであらう。 三島由紀夫「日本文学小史 第三章 万葉集」より 神戸市長田区天照山大日寺明泉寺。大日と天照の習合寺院。住職が長年にわたり甲斐和里子の和歌『御仏の御名を唱える我声は、我声ながら尊かりけり』を自分が作った和歌と盗作し、大勢の人々の前で語ってきたが、最近盗作を認めたようだ。 はじめそれはもちろん一種のダンディズムだつた。ダンディズムは感情を隠すことを教へる。それから生な感情を 一定の規矩に仮託することによつて、個の情念から切り離し、それ自体の壮麗化を企てることができる。漢文による 表現が公的なものからはじまつたのは当然であり、公的生活の充実が男性のダンディズムを高めると共に、ますます それが多用されたのも当然だが、政治的言語として採用されたそれが、次第に文学的言語を形成するにいたると、 支那古代詩の流れを汲む「政治詩」の萌芽が、はじめて日本文学史に生れたのだつた。 しかし「離騒」以来の慷慨詩の結晶は、「懐風藻」においては十分でなかつたのみならず、はるかはるか後代の 維新の志士たちの慷慨詩にいたるまで、その自然な発露の機会を見出すことができなかつた。きはめて例外的に、 又きはめてかすかに、それが窺はれるのは「懐風藻」の大津皇子の詩である。 三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より その数篇の詩に、「離騒」のやうな幾多の政治的寓喩を読むことも不可能ではないが、私はこれを読み取らうとは 思はぬ。しかし、ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日のわれわれの 胸にも直ちに通ふのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起つた以上、人は最終的実行を以てしか、つひにこれを 癒やす術を知らぬ。遊猟の一見賑やかな情景の中にも、自然の暗い息吹は吹き通うてゐる。恋によく似て非なる この男の胸の悶えを、国風の歌は十分に表現する方法を持たなかつた。外来既成の形式を借り、これを仮面として、 男の暗い叛逆の情念を芸術化することは、もしその仮面が美的に完全であり、均衡を得てゐれば、人間感情の もつとも不均衡な危機をよく写し出すものになるであらう。それはあの怖ろしい蘭陵王の仮面と、丁度反対の 意味を担つた仮面なのだ。 七世紀後半のこの叛乱の王子は、天武天皇の長子であつた。 三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より (中略) 支那の詩文学から日本人がいかなる詩情を探り出したかは、返り点を使つた日本的な読み下しといふ読み方の 発明と無縁ではないと思はれる。読み下し自体が一種の翻訳であり、原典の韻律はそれによつて破壊され、或る 舌足らずな翻訳文体のリズムは、そのまま日本語の文体として日本語の中へ融解されてしまふ。漢詩がかくて、 音楽化される極点が謡曲の文体である。 韻律は失はれても、一そう美しい廃墟のやうに、構造とシンメトリーは残つてゐた。大体、支那原典から見れば、日本人の漢詩鑑賞は、 廃墟の美の新らしい発見のやうにさへ思はれる。 (中略) 対句的表現によるシンメトリー自体が新らしい美の発見であり、詩のサロン化の大きな布石であつた。やがて これが国風暗黒時代ともいふべき平安朝初期の、純支那風な官吏登庸制度に基づく官僚機構のシンメトリーを 用意するのである。すなはち詩を通じて、政治的言語と文学的言語は相補ひ、政治的言語は詩情を培ひ、培はれた 新らしい詩情は、さらに整然たる政治的言語の形成に参与するのであつた。 三島由紀夫「日本文学小史 第四章 懐風藻」より もし秩序がなかつたら、何ら抒情の発想をもたらさぬものが、秩序の存在によつて焦燥や怒りや苦痛が生み出され、 それが詩の源泉になることを自覚するとき、われわれはすでに古今集の世界にゐるのである。 (中略) われわれの文学史は、古今和歌集にいたつて、日本語といふものの完熟を成就した。文化の時計はそのやうにして、 あきらかな亭午を斥すのだ。ここにあるのは、すべて白昼、未熟も頽廃も知らぬ完全な均衡の勝利である。 日本語といふ悍馬は制せられて、だく足も並足も思ひのままの、自在で優美な馬になつた。調教されつくしたものの 美しさが、なほ力としての美しさを内包してゐるとき、それをわれわれは本当の意味の古典美と呼ぶことができる。 制御された力は芸術においては実に稀にしか見られない。(中略)そして古今集の歌は、人々の心を容易く 動かすことはない。これらの歌人と等しく、力を内に感じ、制御の意味を知つた人の心にしか愬へない。 これらの歌は、決して、衰へた末梢神経や疲れた官能や弱者の嘆きをくすぐるやうにはできてゐないからだ。 三島由紀夫「日本文学小史 第五章 古今和歌集」より 文化の白昼(まひる)を一度経験した民族は、その後何百年、いや千年にもわたつて、自分の創りつつある文化は 夕焼けにすぎないのではないかといふ疑念に悩まされる。明治維新ののち、日本文学史はこの永い疑念から 自らを解放するために、朝も真昼も夕方もない、或る無時間の世界へ漂ひ出た。この無時間の抽象世界こそ、 ヨーロッパ文学の誤解に充ちた移入によつて作り出されたものである。かくて明治以降の近代文学史は、一度として その「総体としての爛熟」に達しないまま、一つとして様式らしい様式を生まぬまま、貧寒な書生流儀の卵の殻を 引きずつて歩く羽目になつた。 古今和歌集は決して芸術至上主義の産物ではなかつた。(中略)この勅撰和歌集を支へる最高の文化集団があり、 共通の文化意志を持ち、共通の生活の洗練をたのしみ、それらの集積の上に、千百十一首を成立たしめたのだつた。 或る疑ひやうのない「様式」といふものが、ここに生じたとてふしぎはない。一つの時代が声を合せて、しかも 嫋々たる声音を朗らかにふりしぼつて、宣言し、樹立した「様式」が。 三島由紀夫「日本文学小史 第五章 古今和歌集」より 源氏物語の、ふと言ひさして止めるやうな文章、一つのセンテンスの中にいくつかの気の迷ひを同時に提示する文体、 必ず一つのことを表と裏から両様に説き明かす抒述、言葉が決断のためではなく不決断のために選ばれる態様、 ……これらのことはすでに言ひ古されたことである。紫式部が主人公の光源氏を扱ふ扱ひ方には、皮肉も批判も ないではないが、つねに、この世に稀な美貌の特権をあからさまに認めてゐる。他の人ならゆるされぬが、 他ならぬ源氏だから致し方がない、といふ口調なのである。何故なら、源氏にさへ委せておけば、どんな俗事も 醜聞も、たちどころに美と優雅と憂愁に姿を変へるからだ。手を触れるだけで鉛をたちまち金に変へる、この 感情と生活の錬金術、これこそ紫式部が、自らの文化意志とし矜持としたものだつた。 それは古今集が自然の事物に対して施した「詩の中央集権」を、人間の社会と人間の心に及ぼしたものだつたと 云へよう。実際、藤原道長が地上に極楽を実現しようとしたことは、日本文学史平安朝篇に詳しい。 三島由紀夫「日本文学小史 第六章 源氏物語」より 日本の伝統文化と言えば、 男色・衆道の制度に尽きるナッ!!! 今の日本の大威張りの根拠は、みんな西洋発明品のおかげである。 これはそもそも、大東亜戦争の航空機についてさへ言へることで、あの戦争が日本刀だけで戦つたのなら 威張れるけれども、みんな西洋の発明品で、西洋相手に戦つたのである。ただ一つ、真の日本的武器は、航空機を 日本刀のやうに使つて斬死した特攻隊だけである。 そして今日の「日本は大したもんだ派」は、みんなこの上に立脚してゐるのである。私がお茶漬ナショナリストと いふのは、かれらのナショナリズムの根拠を追ひつめてゆくと、舌の上に感じる「ものの味」といふ、どうにも 否定できない、しかも主観的で説得力のない、さういふもののエモーションを一方に持ちながら、一方では 文明開化以来の迷妄に乗つかつてゐることだ。 では、「日本はまだ貧しい」とか、「日本はどうして大したもんだ」とか言はないで、問題をそんな風に大きく しないで、ただ、 「お茶漬は実にうまいもんだ」 とだけ言つたらどうだらうか? 比較を一切やめたらどうだらうか? 三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より (中略) 自然な日本人になることだけが、今の日本人にとつて唯一の途であり、その自然な日本人が、多少野蛮であつても 少しも構はない。これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ、衰亡して しまふ。子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちよぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした 家畜道徳に乗ぜられてはならない。 ところで、私はこの元旦、わが家の一等高いところから、家々を眺めて、日の丸を掲げる家が少ないことに 一驚を喫した。こんな美しい国旗はめづらしいと思ふが、グッド・デザインばやりの現在、むづかしいことは 言はずに、せめてグッド・デザインなるが故に、門毎に国旗をかかげることがどうしてできないのか? 三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より 去秋の旅で、私は二度鮮明な日の丸の思ひ出を持つた。 一つは私の泊つてゐたニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルに、たまたまオリエント研究関係の 国際会議か何かで、三笠宮殿下が御来泊になり、正面玄関に大きな日の丸の旗が掲げられ、パーク・アヴェニューに ひるがへつた。これは実に晴れがましい印象だつた。自分も一日本人、一同宿者として、その巨大な日の丸の旗の、 一センチ角ぐらゐを受持つてゐる感じがして、心がひろがるのであつた。 もう一つは、他にも書いたが、ハムブルグの港見物をしてゐたとき、入港してきた巨大な貨物船の船尾に、 へんぽんとひるがへつてゐた日の丸である。私は感激おくあたはず、その場にゐたただ一人の日本人として、 胸のハンカチをひろげて、ふりまはした。 三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より かういふことを、私は別に自慢たらしく言ふのではない。私にとつては、ごく自然な、理屈の要らない、日本人の 感情として、外地にひるがへる日の丸に感激したわけだが、旗なんてものは、もともとロマンティックな心情を 鼓吹するやうにできてゐて、あれが一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、胸を搏つのである。 ところが、こんな話をすると、みんなニヤリとして、なかには私をあはれむやうな目付をする奴がゐる。 厄介なことに日本のインテリは、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになつてゐる。(中略) 自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だつてもつてゐる筈の心情である…(中略) 私の言ひたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬の味とは縁の切れない、さういふ 中途半端な日本人はもう沢山だといふことであり、日本の未来の若者にのぞむことは、ハンバーガーをパクつき ながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。 三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より 政府によって禁止された今宮えびすの伝統 【今宮戎神社】大阪市浪速区 旧暦の1月10日にキンマラ市 がたち、金粉を塗った張子の男根 が売られ、大半の人がこれを買って福運を願った。どうも昔は笹で はなく、張子の男根を授かってたようだ。ただし、明治5年の太 政官布告で全面的に禁止となりました。因みに福笹は京都ゑびす神 社が最初に授けていたようだ。 ▼【キンマラ】 ⇒旧・正月10日、今宮戎神社(大阪府) 金粉を塗った土製 や木製や張り子の男根が山と積まれ、大半の人がこれを買って 福運を祈った。ただし、明治5年の太政官布告で全面的に禁止 となった。「十日恵比寿」とも言った。→大阪・大阪市浪速区 ▽【……余聞】 喜田川守貞の『守貞漫稿』には『恒例の売物として張抜き 製の陰茎に金粉を置き、あるいはべんがら塗りの物を売る』と ある。 私は民主主義は妥協を産物とした賢明な制度であると思ふが、しかしそれはあくまで技術としての政治制度であり、 これはわれわれの誇りであるのだが、これにはこれなりの限界がある。私は、われわれの守るべきものを民主主義が 保障するとも思はないし、また民主主義を守ることがわれわれの守るべきものを最終的に保障するとも考へてゐない。 それではいつたい何を守るのか。私は日本の歴史と伝統の純粋性を守ることであり、それをしない人間は 日本人ではないと思ふ。文化のタテの連続性を守つていかねばヨコにいくらひろがつても、結局われわれが 日本人としての魂を保持できないのではないか。そして私は天皇のお姿が日本の文化をよくあらはしてゐると思ふ。 天皇は権力ではないと思ふ。権力とは、あるものを拒絶することによつて自分の存在を定立する力であると考へる。 民主主義ではこの権力特有の拒絶の機能を非常ないろんなかたちで薄められてゐるからこそこのやうないろんな問題が 起きてゐるのだが、もし権力といふものが拒絶を本質とするならば、何ものも拒絶しないものが天皇であるといへる。 三島由紀夫「私の自主防衛論」より 天皇といふ“鏡”はどんな顔でも映してしまひ、スターリンの“鏡”は自分の気に入らない顔は映らないやうに できてゐる。日本の文化の全体を天皇といふ“鏡”は包摂してゐる。 日本の歴史をみてわかるやうに天皇は多くの時代日本文化の中心であられた。日本文化のおほらかな、人間性を あらはした明かるく素直な伝統が天皇の中に受容されてゐる。この文化の象徴である天皇を守るにはどうしたらいいか。 私は、天皇の鏡にもし日本の文化、歴史、伝統とちがつた、大御心といふことのためでないものが映つてきたならば、 それは陛下は拒絶なさることはできないので、国民がそれを拒絶することが忠義であると思ふ。 共産主義が日本の政体を変へて天皇を日本の文化、伝統から引き離し、あるひは日本の文化を破壊して天皇をすら 破壊しようといふ意図を秘めてゐるのであるから、われわれはこれと戦はねばならないと思ふのである。 三島由紀夫「私の自主防衛論」より そして天皇の伝統が絶たれた場合にわれわれの祖先代々の文化の全体性が侵食されてしまふからこそ、それを守つて 戦はねばならない。そのためにはやはりいまの憲法下でも、非常に制約があるけれども陛下があるときには 自衛隊においでになつて閲兵を受けられることも必要であらう。 あるひは国の名誉の中心として文武いづれの名誉の中心も陛下であられるといふかたちをなんとか新憲法下でも つくつていけることができるんぢやないかと考へるのである。 私は日本を守るとはどういふことか、守るべきものは何なのかといふことについていま青年たちと議論してゐる。 私はまづ手近なところから、自分にできる範囲のことで小さくやつていきたい。すべてそこから始めなければ 何ごとも始まらない。 国民一人一人がいざといふ場合は銃をとつて立ち上がるぐらゐの気持を持つてやらないと将来の日本はえらいことに なるぞといふ感じを持つてゐる。 三島由紀夫「私の自主防衛論」より 私は必ずしも栄誉大権の復活によつて「政治的天皇」が復活するとは信じません。問題は実に簡単なことで、 現在の天皇も保持してをられる文官への栄誉授与権を武官へも横辷りさせるだけのことであり、又、自衛隊法の細則に 規定されてゐるとほり、天皇は儀仗を受けられるのが当然でありながら、一部宮内官僚の配慮によつて、それすら 忌避されてゐるのを正道に戻すだけのことではありませんか。 いはゆるシヴィリアン・コントロールとは政府が軍事に対して財布の紐を締めるといふだけの本旨にすぎないが、 私は日本古来の姿は、文化(天皇)を以て軍事に栄誉を与へつつこれをコントロールすることであると考へます。 三島由紀夫「橋川文三への公開状」より ■日月神示 http://www.asahi-net.or.jp/ ~vb7y-td/k6/161030.htm 日月神示とは、岡本天明氏が自動書記で書いたという神からのお告げである。この予言は大本教の出口王仁三郎の「立替え立直し」の 予言、世界の雛型理論を引き継ぐ形で、戦争末期の昭和19年から書かれ始めた。 この内容は、日本も世界も神が望んでいる方向になく、まず日本から大掃除をされる。まず最初に、世界が日本を袋叩きにする。 これは既にバブル崩壊と日食10年とノストラダムスにも予言されたことであるが終わった。そして引き続き、日本の大掃除とは 火山の爆発や地震、水害、台風などが押し寄せてきて、日本は苦難な状況になるという。 そして、食糧も無くなる。天と地がどろどろな状態になると神は示した。この状態で、日本人が悔い改めて、昔ながらの生活・菜食の 粗食で物質的にも欲張らない神が望む道に戻れば、日本は復旧すると。特に酒やタバコより肉食(牛・ブタ肉)は絶対にいけないと 言う。牛乳やチーズもやめるべきという。このように、物質文明から精神文明に変換したら日本は立ち直るということのようだ。 その後、日本が味わった苦難の何倍も大きな苦難が世界に押し寄せる。その時、日本は世界を助けるために行動する必要がある。 この行動は日本の精神文明を広めることである。半霊半人間に日本人が変化している。このため、核爆弾で汚染された地球で生きて いけるような体に変化していると。 このような日本人が世界を指導して、日本的な高度精神文明を目指すように世界に働きかける必要があるようだ。 22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人におにぎりの食事他の1人に肉の食事を摂らせ、 80kgの荷物を積み、40km距離を走らせ、どちらが長く続けられるかを試してみた。 結果は、肉料理を加えた車夫には、疲労が甚だしく募り3日でダウンし、もとの食事にもどした。 一方、おにぎりは3週間走り続けることが出来たのである。肉の食事の車夫も、食べ物を 元に戻すと元気に走れるようになったそうだ。 この経験からベルツ博士は、帰国後ドイツ国民に菜食を訴えたと言う。 (外国人が見た日本人の体力より引用) *** *** *** 車夫は特別かもしれないが、明治初期の日本人は西欧人が驚くほどの体力があったのだ。 肉食が体力が出る、筋肉が育つというのは、西欧で肉食が定着し始めたこの時代から既に 疑問視されていることに注目される。 アメリカでも遅れること80年、1970年にはマクガバンレポートで肉食の危険性が叫ばれており、 ガイドラインとしてアメリカ人の80年以降の食生活を実際に変えていっている。 >>182 世界が日本を袋叩きにするのは予定通りだったのか さすがだな 今日の人類の上に君臨する近代物質文明は、日本のみならず、世界規模で、余りにも多くの犠牲の上に成り立っています。 動物達への無益な殺生と無惨な殺戮、自然環境の破壊、資源の浪費、そして弱者を犧牲にした富裕層の傲慢。 どれ一つとってみても、人間が人間の魂を生贄(いけにえ)にしつつ、民主主義と言うエゴイズムの中で、自分一人の幸せの為に奔走しているという姿が、この世界の偽わざる実情です。 人間は、自分一人の為だけに、ご都合主義と独善的利益を追求して、その皺(しわ)寄せを弱者に押し付けている習性があります。 http://www.daitouryu.com/iyashi/frame/f-reitekijouka.html 2 :日本@名無史さん 今だって正常な日本人男性は みんな男色しているのサッ! 「ヘテロは畜生に劣る変態だ」という真理を早く学べよナッ!!!! ■【浅草】第5回フジテレビ偏向報道抗議デモ【東京】■ 【日時】平成24年3月25日(日)14:00集合 14:30出発 【集合場所】金竜公園(東京都台東区西浅草3-25) 【公式ブログ】http://fujidemodec.blog.fc2.com/ 東京都教育委員会が作っている教材の「日本の伝統・文化」教材集はいい本なので欲しいのですが,一般人が買うことできるのですか?どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。 :: .|ミ| :::::::: ::::: ____ |ミ| :::: :: ,. -'"´ `¨ー 、 :: :: / ,,.-'" ヽ ヽ、 :: :: ,,.-'"_ r‐'" ,,.-'"` ヽ、 :: :: / ヾ ( _,,.-='==-、ヽ ヽ、 :: i へ___ ヽゝ=-'"/ _,,> ヽ :: ./ / > ='''"  ̄ ̄ ̄ ヽ :: / .<_ ノ''" ヽ >>1 i :: / i 人_ ノ .l :: ,' ' ,_,,ノエエエェェ了 / i じエ='='='" ', / :: ', (___,,..----U / :: ヽ、 __,,.. --------------i-'" :: ヽ、_ __ -_'"--''"ニニニニニニニニヽ :: `¨i三彡--''"´ ヽ :: / ヽ :: ┼ヽ -|r‐、. レ | / ヽ:: d⌒) ./| _ノ __ノ ロ奄 詞詞詞 尾三摩曳 薩婆訶 ロ奄 詞詞詞 尾三摩曳 薩婆訶 ロ奄 詞詞詞 尾三摩曳 薩婆訶 http://search.yahoo.co.jp/search?p=tukipientaeous ~社仏閣の御神籤の吉凶はなぜ連続・起伏しやすいのか 「以心伝心」「霊性感応」「因果応報」エトセトラ… そんな事を述べていても主観でしかないんですが、お神籤は連続しました。 …15年ぶりの恋愛で、迷っていた折りにお神籤が習慣化したのですが 2010年夏、両想い(と思われる)時には大吉が8回連続しました。 不思議なので写真に記録する事にしたのですが、その後も6回連続しました。 恋愛は叶えられず 震災前に半吉が出て以来 19回大吉は出ませんでした。 写真に記録してあるお神籤の吉凶を俯瞰すると全体的に起伏しています。 大吉の確率を14%(奉仕している寺では50枚中7枚が大吉)で計算すると 大吉が6回連続する確率は1000000分の8。大吉率20%でも100000分の6。 怖さを感じた。この数値を見て。 要するに何がいいたいかというと、神は存在しているという事ね。 マイナスを減らす事で国体の維持に貢献できる ・祝詞とお経を唱える事 (霊障を減らす) ・伝統宗教を信仰する (民度の低下を防ぐ事)(地域の結束を強める) ・貪瞋痴慢疑悪見を減らす事 (諍いを減らす) ・酒やタバコの量を減らす事 (感受性をすり減らさない) ・仕事でミスをしない事 (資源が無駄になる) ・交通事故を防ぐ事 (怨霊を生み出す。環境破壊になる) ・公共の交通機関を利用する事 (動力がもったいない) ・虐めを減らす事 (愛国心が消える)(因果応報が来る) ・虐めを減らすには自然環境を破壊しない事 (DNAの劣化を防ぐ事) 好きに綱領を増やしたり減らしたりして拡散してね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる