古代三河を語れ!
時の権力者持統天皇に消された七世紀までの歴史について。 三河とは…最後の出雲にして、最初の日高見
この場合「境界線上のホライゾン」における、名古屋や各務原まで含む広大な地域を指す。
(現在の「東海三県」+ 「(三)遠南信」) 「尾張」の由来は「おわり」。
出雲族の最後の安住の地、最後の生き残りの地を意味する。
邪馬台国と対立した狗奴国は尾張(一宮市周辺)にあったのが確定しているという。
ならば、邪馬台国は「三河」の中心になった国なのではないか?
卑弥呼=瀬織津姫=衣の貴人 出雲=いづも=いづ面(も)=いづの面(最初)
平泉=いずみ=いず尾(み)=いずの尾(最後)
三河以東は毛の国。
上野国(かみつ毛の国)群馬
下野国(しもつ毛の国)栃木
↑毛の国(エミシ毛人の国) ちんこ祭り
http://www5a.biglobe.ne.jp/~dai_/diary/timko.htm
ご神体の「ちんこ」に、みんなニコニコ、笑ったり。
http://nekomeshi.com/archives/50719932.html
放送事故。ちんこ祭りのニュース原稿で吹き出してしまった女子アナ。
髪もみだれて色っぽくなった。 古代三河権力の支配領域には現在の名古屋市の大部分が含まれる。 三河って家康の出身地でしょ。んでたしか江戸弁の元は三河弁なんでしょ。
んだけしか三河のこと知らない >>4
尾張の語源は、開墾地を意味する「はり」に、接頭辞の「を」が付いたもの
>邪馬台国と対立した狗奴国は尾張(一宮市周辺)にあったのが確定しているという。
いや、してないしw 古代東三河は「穂国」であって三河の一部ではない!
……ということにしたい豊橋市教育委員会が歴史をどんどん歪めています。
マジやめてほしい。 三河は現在の北朝鮮から満州にかけての半牧半農系、
大和は燕から黄海沿岸を伝って現在の韓国経由で入って来た大規模稲作系。
大陸でもこの両者は日本と時期を同じくして三韓付近で戦争を繰り返し、
一時は騎馬系遊牧民の力を得て半牧半農側が優位に立つが、(漢末期・弥生中期,出雲全盛期)
気候が回復し始め米と養蚕の体制が本格化し、徐々に経済力に違いが生まれ(晋〜南北朝・古墳期、出雲陥落)
やがて稲作側の圧倒的生産力に飲み込まれ、融合同化する。(随・尾張陥落、奈良朝のはじまり)
中国はその後大規模侵入は終息し唐王朝が生まれ、その頃に日本も異民族侵入はほぼ絶える(蝦夷討伐・同化の始まり)
記録では、韃靼人が江戸期に至るまで越中あたりに何度か侵入を試みようと
使節(スパイ)を送ってるのが伺えるが結局は断念している。
日本も東アジアの歴史と全く同じ流れの中にある。