古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
古代豪族の氏姓と現代人の姓についてかつての大和朝廷で与えられた氏姓(ウジカバネ)とに関連した苗字の現代人を上げるスレです。
本姓はそのままで苗字を持った一族も可です。
その場合古代豪族に結び付くはっきりした証拠が必要です。
古代豪族の氏姓は本姓と言います。
平安末期になると別の土地に住む同じ氏を区別する為に苗字(家名)を付けるようになってきました。
現代では本姓は無くなり、苗字だけとなっています。
古代豪族の氏は殆どが住んでいた土地を名乗っていました。
先祖の郷族が住んでいた土地が特定できる苗字を持つ人は古代豪族とのつながりが強いでしょう。
しかし現代では古代の地名はそのまま残っている事は少なく、一部だけ別の漢字で残っていたりもします。
八色の姓(かばね)以前の姓は通称に近いものでした。
ここでは主に平安時代までの氏姓に関連する苗字と言う事にしましょう。
本姓は新撰姓氏録(815年)に書かれた1182の氏姓を参考にしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/新撰姓氏録
それ以降も天皇が姓を与える(賜姓)事も有りましたが、段々苗字を与えるようにもなったようです。
前スレ
古代豪族の氏姓と同じ苗字の現代人
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/min/1165758071/
>>1 新撰姓氏録から主な姓を削除した物(真人、朝臣、宿祢、連、忌寸を削除)
皇別**********
息長、山道、坂田酒人、八多(波多、羽田)、三国、路、守山、甘南備、飛多、英多、大宅、大原、島根、豊国、山於、吉野、桑田、池上、海上、清原、香山、登美、蜷淵
、三島、淡海、三園、笠原、高階、氷上、岡、息長丹生、多治、為名、春日、高額、当麻、文室、豊野、酒人、為奈。
源、良岑、長岡、広根、春原、三原、永原、橘、淡海、阿倍、布勢、完人、高橋、許曽倍、阿閉臣、竹田臣、名張臣、佐々貴山公、膳大伴部、阿倍志斐、石川、田口
、桜井、紀、角、坂本、林、道守、雀部、生江臣、布師首、箭口、多、小子部、吉備、下道、道守、御使、犬上、坂田
、間人、新田部、大春日、小野、和安部、和尓部、櫟井臣、和安部臣、葉栗臣。
吉田、丸部、丈部、下毛野、上毛野、池田、住吉、池原、上毛野坂本、車持公、大網公、桑原公、川合公、垂水史、商長首、吉弥侯部、甲能、葛城、稲城壬生公、小槻臣、牟義公、守公、治田、軽我孫、鴨県主
、八多(波多、羽田)、巨勢、巨勢斐太臣、紀、平群、平群文室、都保、高向、田中、小治田、川辺、岸田、久米、御炊、玉手、掃守田首、上毛野、佐味、大野、垂水公、田辺史、ほか。
神別**********
藤原、大中臣、中臣酒人、伊香、中臣宮処、中臣方岳、中臣志斐、殖栗、中臣大家、中村、石上、穂積、阿刀、若湯坐、舂米、小治田、弓削、氷、穂積臣、矢田部、矢集、物部肩野
、柏原、依羅、柴垣、佐為、葛野、登美、水取、大貞、曽祢、越智直、衣縫造、軽部造、物部、真神田曽祢、大宅首、猪名部造、大伴、佐伯、大伴、榎本、神松造、日奉、県犬養
、大椋置始、雄儀、竹田、掃守、小山、畝尾、久米直、浮穴直、宮部造、間人、爪工、多米、出雲、出雲、入間、佐伯、伊勢、弓削、若倭部、尾張、伊福部、湯母竹田、竹田川辺
、石作、檜前舎人、榎室、丹比須布、但馬海直、大炊刑部造、坂合部、額田部湯坐、三枝部、奄智造、額田部、弓削、石辺公、采女ほか。
諸蕃
太秦公、秦長蔵、秦、文、武生、桜野首、伊吉、常世、山代、大崗、大崗、楊侯、木津、楊胡史、浄村、清宗、清海、嵩山、栄山、長国、清川、新長、当宗、丹波史
、大原史、桑原村主、下村主、上村主、筑紫史、吉水、牟佐村主、和薬使主、大石、和、百済、百済公、調、林、香山、高槻、広田、石野、神前、沙田史、大丘造
、小高使主、飛鳥部、高麗、豊原、福当、御笠、出水、新城、高史、日置造、福当造、河内民首ほか。
八色の姓で賜った姓(姓)
◆ 「真人」姓
天武天皇13(684)年10月1日下賜。
守山公・路公・高橋公・三国公・当麻公・茨城公・丹比公・猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山路公
◆ 「朝臣」姓
天武天皇13(684)年11月1日下賜。
「臣」姓を中心とした構成で皇別出身が多いの特徴。
大三輪君・大春日臣・阿倍臣・巨勢臣・膳臣・紀臣・波多臣・物部臣・平群臣・雀部臣・中臣連・大宅臣・粟田臣・石川臣・桜井臣・采女臣
田中臣・小墾田臣・穂積臣・山背臣・鴨君・小野臣・川辺臣・檪市臣・柿本臣・軽部臣・若桜部臣・岸田臣・高向臣・宍人臣・来目臣・犬上君
上毛野君・角臣・星川臣・多臣・胸方君・車持君・綾君・下道臣・伊賀臣・阿閉臣・林臣・波弥臣・下毛野君・佐味君・道守臣・大野君・坂本臣
池田君・玉手臣・笠臣
◆ 「宿禰」姓
天武天皇13(684)年12月2日下賜。
「連」姓が中心で神別を出自とするものが多い。
大伴連・佐伯連・阿曇連・忌部連・尾張連・倉連・中臣酒人連・土師連・掃部連・境部連・桜井田部連・伊福部連・巫部連・忍壁連・草壁連
三宅連・児部連・手繦丹比連・靫丹比連・漆部連・大湯人連・若湯人連・弓削連・神服部連・額田部連・津守連・県犬養連・稚犬養連・玉祖連
新田部連・倭文連・氷連・凡海連・山部連・矢集連・狭井連・爪工連・阿刀連・茨田連・田目連・少子部連・菟道連・小治田連・猪使連・海犬養連
間人連・春米連・美濃矢集連・諸会連・布留連
◆ 「忌寸」姓
天武天皇14(685)年6月20日下賜。
「連」姓の以前は「直」姓だったものが多い構成となっている。
大倭連・葛城連・凡川内連・山背連・難波連・紀酒人連・倭漢連・河内漢連・秦連・大隈直・書連 >>4 公、君、臣、連等は削除して氏を見てください。 o(・_・= ・_・)oきょろきょろ
なんだ、小林はいないの? 新撰姓氏録 全1182有るページ
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/mokuroku/syoujiroku/syoujiroku.htm
>>6 ここを見ても小林は無いね。
小林が出てくるのはもっと後で、菅原氏族、山口県・他の藤原氏族、甲斐君
橘氏族、三浦氏族、伊勢氏流等の子孫として出ている。
日本の家族
http://www1.tcn-catv.ne.jp/sasaeai/060_book/book.html うちは、防風林がある屋敷の農家だからというだけなので (・・*)ゞ たかじんの「やしき」って何かすげえらしいけど
本当? うちのオヤジの実家が「藤本」
つまり藤原氏の分家かもしれない。
家紋も「下がり藤」で、藤原氏と同じ系統になってる。 >>11
伯父の家ならあるかもしんないけど、連絡とってない(とる気もない)から分からない。
ジイさんの弟が、天皇の近衛兵をしてたという話があるから、多少は信憑性があるとは思ってる。
まあ、過去に名家であったとしても、今のオレがとるにたらない小市民である事実は変わらんし。 >>13 みんな小市民なのは確かだが、先祖がわかり先祖の意思や行いを知ることで、心の支えになることも有る。
たとえ確証がなくて独りよがりの解釈でも自分の心の支えになるのならそれでも良いと思う。 近衛兵って珍しいの?うちの曾祖父さんも近衛兵だったけど。
ちなみに、ただの庄屋筋です。 荘園の持ち主が、自分の姓(の一部)や家紋をそこの住民に分け与えたって例はザラにあるらしいね。
そうなの?おふくろ方のひいばあちゃんが佐藤なので
どちらのルーツをさかのぼってみても藤原氏の影がちらつくんだけどね。
>>15
珍しさはともかく、血筋がよろしくないとなれないと聞いたけど、事実は知らない。
それと>>1に聞きたいんだけど、>>2に羅列されてる名字の中に
オレの名字「大野」があるのが気になるんだけど、つまりどういうことになるの? 昔の氏は、土地の名前をそのまま名乗って居たから、大野と言う何処にでも有る地名を持つ氏は、日本各地に同時発生で沢山有った物と思われる。
新撰性氏録の大野と同じかどうかは、同じ土地出身かどうかをまず見極めないといけない。
まず99.999% は、関係ないだろう。
右京 皇別 大野朝臣 上毛野朝臣同祖。崇神天皇皇子豐城入彥命四世孫大荒田別命之後 >>17 栃木県出身なら多少関係がある可能性も出てくるが、それ以上は昔からと現代からの両方から接点を見つけていかないと難しいだろう。 事細かな即レスさんすく。
さすがに記紀の時代までさかのぼるのはムリだし、
オレもこの話はじぶんに関わりないように思ったよ。 ま、でもね、系譜ってのは実際に血のつながりがどうとか以上に、
ある種の思想というか信仰というか、一族の自負が受け継がれてきたってことで
それはそれで歴史もあるし、尊いことだと思うよ
もちろん、近世に突然名乗りだしたとかいういい加減な例も多いけどね 古代の皇別・神別も自称や僣称の類いは多かっただろうけどね。
それに、古代には服属関係を血縁に擬制するのが普通だったという見方もある。
擬制氏族はむしろ戦国時代にもっとも盛んになったような印象もあるね
もちろんそれは、古代・・・については確かなことを言えないが、
少なくとも平安時代からの伝統的な手法だったようには思う 職場の人妻OLちゃんとどうしてもやりたい
子供産んで35歳くらいなのに細くていいケツして超可愛い顔してる
毎晩妄想でセックスしてる
どうにかしてやりてえなあ >>24
>擬制
というよりも、普通に招婿婚や訪問婚(おとないこん)による一体化だよ。
古代〜中世においては、中央から婿を招いて出来た跡取りは姓は父方のものを名乗るけど養育は母系氏族の中でなされる。
そして、これは中央貴族にとっても地方に経済的基盤や拠点を築けるので中央氏族・地方氏族双方にとって上手い話でもある。
まあある意味現代でもこのテの遺風は続いているけどね。
前田っていう姓どう?
おれのおじいさん前田家から今のおれの名字の家に養子に入ったそうなんだけど、
家も大阪だったし、もしかしたらいい血脈なのかなと思って。
死ぬとき病院に入院してた時、
お医者さんが、このひとは高貴な人だって言ったんだって。
おばあさんも有力な寺の娘さんで、
父も上のおばも一流大卒、下のおばもIQが高かったんだって。
安住(あずみ)某大臣は古代豪族安曇氏(福岡県志賀島周辺が出身地。)の末裔の可能性あり(綿津見神/海神が氏神)
阪神淡路大震災や先般の東日本大震災の際に復興の旗振りを任された五百旗部(イオキベ)氏は
天孫、天火明命(天照国照彦天火明尊/天照御魂大神。ほか神名数多有り)-天香山命-天村雲命を始祖とする神裔、伊福木部氏の末裔?。
去年扱き下ろされた菅直人首相は天穂日命-野見宿禰(土師氏の始祖)-菅原道真(天満自在天神)の苗裔
因みに、ぽっぽさんの鳩山元首相の先祖は菅氏(先祖は美作管七家といわれた土豪。地元の名士一族)の出身地、岡山県勝山藩(徳川普代の旗本〜城持ち大名(三万石クラス)に異例の出世した三浦氏)の藩士(江戸勤番)。
意外と古代豪族の苗裔、神裔が国や地方の官吏や政治家として多く居るのかもしれません
後で恥ずかしい思いをしない様に嘘はやめましょう。
安曇野の安住は霊能一族。
アナウンサーの本名は別。
但し、有難い名前なので『安曇』と名乗る事になりました。 m(__)m
本家に家系図があって祖は藤原なんだけど名字が藤○で
○の部分に別の氏族のが入るんだけどこれってどっちもの血をひいているってことなのだろうか…
(例えば 橘なら藤橘みたいな感じ)
ちなみに家紋は下がり藤で三つ巴の家紋もあります。
宇都宮氏が関連してたらしいが那須氏関連の記述にも記載あり。
元々加賀にいたのですが途中から下野に移ったと代々言われていて
加賀を調べてみたらとあるとこに藤○の地名がありました。
そこを支配していた一族も藤原氏だったので藤原の家系ってことでやっぱいいのかな…
一応家系図は中臣鎌足から始まっているので古代関連でいいのかなと思って書いたけど
スレチだったらすみません。
家系図の偽造とかあったかもしれませんし本当かは分かりませんが…
漢字自体は普通にありそうなのですが読み方が珍しいのでちょっと伏せました。
>>38 家系図が正しければこのスレの話題となるけど、伏字では話が膨らまないね。
家の苗字も珍しいので出すわけにいかないが、氏ウジと姓カバネの方は出してもよいかな。 私の苗字は、珍しくて
佐賀とかに数百世帯しかいない。
小さい山に、苗字と同じ名前があって
そこに小さな神社があるんだ。
古代あたりに何か関係があるかなあ〜って
考えてみたんだけど
情報少なくて、妄想のなかに消えていきそう 奈良と大阪と京都の中間あたりに、
私市(きさいち)と言うところがあり、
私市という姓の知り合いが居る。
この人の先祖は豪いのか?
教えてくれ。 そこかしこにある「和田」(◯和田、大輪田、和田◯ほか)の地名、氏姓は古代豪族の海部族がルーツ。
少童神、海神、綿津見神(全て、ワタツミ/ワダツミ。素戔嗚尊の別称とも)
その神を奉祭する豪族、安曇氏らが進出、開発、マーキングした痕跡の地名。
貧乏人はすぐに死ぬから
今生きてる人間は間違いなく昔は偉い人だったと思う
現在を見てもそうとしか考えられない
先祖代々のDQNもいるか…?w 下のリークはもう失効したよ、なおすことができますか? 貧乏人は生存率は低いが沢山産む。君達は貧乏人の子孫でおじゃる。 >>42 神社関係者に聞いて見たら?
神社系はかなり古い家柄のはず。
うちの本家も神社 福岡 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています