古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人
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惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち) 十一月・秋季大祭 一月号・269号
惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。
伊邪那岐命の十握剣から生み出された人間が・・島族だった・・。 >>108の訂正。
豊受大神の祖神、火之迦具槌神からみたい・・。
豊受大神=国常立命=天之御中主神は、渡来系島族の島津の祖が秦氏で秦が漢族だから、盤古=で、国常立命と言う観念だな・・ 伊勢神宮の中臣氏の本姓が伊勢志摩氏で島氏・島族だったのなぁ・・
伊勢津彦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E6%B4%A5%E5%BD%A6
伊勢津彦(いせつひこ)は、『伊勢国風土記』逸文内に記述される国津神で風の神。
元の名を出雲建子(イズモタケコの)命、またの名を櫛玉(クシタマの)命
三韓征伐 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90
神功46年以降[編集]神功46年以降は『百済記』が構文されている。
神功46年(246年または366年)3月1日、斯摩宿禰を卓淳國に遣す。
卓淳王の末錦旱岐は、百済の久?(くてい)、弥州流(みつる)、莫古(まくこ)らが日本に朝貢したいと斯摩宿禰に伝えた。
斯摩宿禰は、爾波移(にはや)と卓淳人の過古(わこ)を百済に遣した。百済の肖古王(近肖古王)は喜んだ。
王は財宝を贈り、また蔵をみせて、これらを朝貢したいと爾波移に告げ、のち志摩宿禰らは日本へ帰還した。
翌年4月、百済は日本に朝貢した。
神功皇后49年(249年または369年)3月には、神功皇后将軍荒田別(あらたわけ)及び鹿我別(かがわけ)を卓淳国へ派遣し、
新羅を襲撃しようとするが、兵の増強が進言され、百済の将軍木羅斤資と沙沙奴跪(ささなこ)と沙白(さはく)・蓋盧(かふろ)らに合流を命じて、新羅を破った。
比自[火+保](ひじほ)、南加羅、喙国(とくのくに)、安羅(あら)、多羅(たら)、卓淳、加羅の七カ国を平定した。
さら西方に軍を進めて、比利(ひり)、辟中(へちゅう)、布弥支(ほむき)、半古(はんこ)の四つの邑は抵抗もなく降伏した。
神功51年(251年または371年)3月、百済は久?を派遣し、日本に朝貢した。
神功52年(252年または372年)9月10日、百済王は、百済と倭国の同盟(済倭同盟)を記念して神功皇后へ七子鏡と七枝刀を献上した。
なお、七支刀に彫られた「泰和四年」は369年ともいわれ、この場合、百済が朝貢していた東晋の年号太和4年とされる。
国造 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
伊勢国造 いせ 天日鷲命(神武天皇期) 伊勢氏(直)
志摩国 島津国造 しまづ 出雲笠夜命(成務天皇期) 島氏(直)
要するに、藤原氏秦氏説の実態だな。 そして、中臣の祖が、天之御中主神だからね。
豊受大神=国常立命=天之御中主神な訳だ。
中臣島族は、藤原麻生氏と似てる家系だな。 弓月君 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
徐福と弓月の君 ひもろぎ逍遥
lunabura.exblog.jp/i211/
徐福 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
要するに、始皇帝徐福が渡来したのが今の九州で
後に、秦王族の弓月君が渡来したのが京都の太秦・・
太秦 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%A7%A6
百済経由の弓月君の秦王家が出雲族の志摩族との縁で渡来し
出雲族となり、後の、伊勢志摩の伊勢中臣氏一族の斯摩氏系譜は
伊勢氏中臣氏にば列していないが、志摩国造家の島族内の総領氏が惟宗島津氏となり
これが、鎌足が名乗り始めの藤原の名の謂れなのでしょうね。
※斯摩氏自体は、伊勢津彦の子孫で、惟宗島津氏が斯摩氏の志摩国造家に入った形なのでしょう。
九州の徐福秦氏の島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
元寇の際、九州薩摩の島津の国に大規模遠征したのが惟宗島津の弓月の君王族の関係。 秦氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
惟宗氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%AE%97%E6%B0%8F >>115訂正。
九州の徐福秦氏も島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。 大陸の秦朝は、たった20年三代で滅んだ訳で、徐福を頼って、日本へと避難を試みたのでしょう。 >>80
戦国期には北畠家臣福山出雲守、福山越後守
尼子家臣福山次郎左衛門茲正、福山肥後守、福山綱信などそうそうたる武将が
江戸期には徳川家康家臣の福山月斎、島津家臣、細川家臣、黒田家臣、高槻藩士の福山氏
又、越後新発田藩主溝口直薄側室の福山氏稲美
高槻藩主土岐頼行側室の福山氏、越前福井藩主松平重富の側室福山氏
これだけ排出していて出自が不明とか不思議ですよね。
宇多源氏佐々木氏族、清和源氏氏族、藤原氏族、惟宗姓伊集院氏族
の四系統があるとの根拠に乏しい説もあるようですが
徐福の末裔とかは余りにオカルトですよね。 伊勢津彦と建御名方命との関係
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/isetuhiko1.htm
倭史人物推定系譜私案
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/keifu/keizu00.htm
伊勢津彦
■「出雲国造いずものくにつくり・千家せんげ・北島きたじま、武蔵国造」推定系図
志摩氏=志麻氏
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
━神魂━角己利━五十狭布魂━天底立━天背男━櫛明玉[玉祖宿禰祖][出雲国玉作の祖]・・
・・━天日鷲翔矢━・・━志麻名布━
■「物部・石上・和田・建内・蘇我」・「阿部氏」推定系図
饒速日━宇麻志麻治━・・━国志麻━・・
↑
饒速日━宇麻志麻治 可美真手[磯城1神武]━・・
神武天皇家の氏姓判明です。
伊勢志麻の志麻が天皇家の氏姓だった。
志麻国造家の島氏島族が、元伊勢の祠掌や神主・・
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/ 錦織は素晴らしい苗字当然
貴族系苗字だから
証拠http://www.cnet-sc.ne.jp/nisigori/nisigori.htm
貧民系の苗字のヤツなんなの?生きてて恥ずかしくないの?
錦織な僕はかわいい彼女とお風呂wwwうらやましがんな貧民の皆さん
http://i.imgur.com/j6UOrwN.jpg 対馬・島根・伊勢志摩の地名の由来が島族が由来。
武蔵国造家も島族=出雲族で出雲族の開拓地。 >>126は
伊勢神宮・諏訪大社と鹿島神宮の官職・中臣氏の事 >>123は×
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族。
A物部氏・穂積氏のルーツ
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族。
※天太玉命は天日鷲あめのひわし命、手置帆負たおきほおい命、彦狭知ひこさち命、櫛明玉くしあかるたま命、天目一箇あめのまひとつ命をひきいた。
天日鷲命は阿波国忌部等の祖。手置帆負命は讃岐国忌部の祖。
天津彦根命=天若日子命。その子神が、天目一箇命=天御影命で天日鷲命と天鈿女命は、兄弟の神。北伊勢大神(多度神) >>128の事を調べた結果。
どうも、A物部氏・穂積氏のルーツとは、応神代で氏姓のつながりが観えるが
末代には、島谷氏は居ないようで、やはり
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族ルーツの縁で
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族のようだ。 >>106>>107
友人の姓名が含まれているのですが<島○
彼女の祖父は日本で数名の「キリスト教の大司教」でした
優秀な医者家系です 顔もギリシャ人のような彫の深い美人です
キリスト教関係なので秦氏・安曇氏あたりなのかもしれないです >>130
島津氏は、惟宗氏で、秦の始皇帝七世、弓月君の末代だからね。 武内宿禰の家系の末裔、葛城氏・紀氏の蘇我氏も島族で、島大臣名乗ってるよ・・蘇我馬子 綿津見大神=天照大神の皇統氏族・天穂日の出雲族や大国主命の神門臣島族の近縁を名乗る事で、権威を示していると思われる。 大陸・半島で斯摩宿祢と縁を結んで渡来したのが、三国志覇者の晋国の司馬氏なのかも・・ 弓月君が渡来し、応神天皇を頼ったのも、徐福氏が時の天皇と、大国主の神門氏を呑も込んで支配に成功した出雲族としって、渡来してのかもね。 薩摩人の島津氏と惟宗島津氏に血縁無いと聞きました。
薩摩の島津氏は、薩摩国が惟宗島津藩領で、荘園制度で薩摩人が島津を名乗ったと聞きました。 これ、凄いよ
↓
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false (;´Д`)江戸時代の呑百姓が明治維新で住所を苗字にしたのとはどうやったら見分けがつくのでしょうか御教授下さい >>141 見分けはつきません。
でも大半はその土地に昔から住み着いていた人しか土地の名前をつけてはいないんじゃないでしょうか。
そういう家系は地元でも重要な仕事をしていたり尊敬されている人が多いんじゃないでしょうか。
ただ昔の豪族の名前は各地に散らばって全国に同じ名前の土地が沢山できました。 だから、そのうちの一つの同じ名前をつけたからといって昔の豪族と繋がりがあるとは言えません。 なんらかの繋がりがある家系は子々孫々言い伝えられているはずです。 必ずしも真実とは限りませんが。
大抵は家系図が親族の何処かに残っています。
神主とかの家系に繋がっていれば昔の家系の確率は高いと思います。 繋がりが薄いと、明治以降の皇統系譜筋の同じ姓だからと勘違いしてしまい易いのでしょうね。 >>141 その土地の近くに住んでいるのであれば墓を見ればある程度わかる。 古い家系であれば先祖代々一族が使う墓の集落が有ると思う。
例えばうちの一族は勿論同じ名前の墓がずらりと山一面に建てられている。
段々土地も少なくなっていくので何十年も墓参りにも来ないで放置されている墓はまとめて祖廟に移されている。
祖廟を持つ家系と言うのも珍しいとは思うが。 江戸時代より前の墓も祖廟に移されている。 毎年先祖祭りも行っている。 飛鳥時代の仏師の鞍作止利(鳥)は姓は村主氏で渡来系の人だっけ? 鞍作止利は中国からの渡来人の司馬達等の孫みたいだね。 古代は結構渡来系を名乗る家系も多かったみたいだね。
渡来系はエリートだったのかもしれないが。 村主でおもいだした。古代大友家の姓も村主だったな。もちろん渡来系 藤原氏はよく目にする
天皇家に近い?由来に出て来る家系である
忌部系・物部系などいろいろあり過ぎて、バカな私にはまだ理解出来ていない
何故、藤原にしたのか。ふじわら・ふじはらの語源が分からない
富士は安易であり、藤原には通じない
鈴木も同じで、語源が分からない
日本の根拠地から発展した地域には同じ名が並び、根拠地を不明にするが
藤原も鈴木も根拠地には未だ見つけれ無い。地元民に頼るしかないのか
地図に存在しない地名が必要である
その他なら幾らでも説明できる地名が存在するのに
想像が足りないのだろうか
ここは間違い無く日本発祥の地である事だけは譲れ無い
古事記が現実である場所である >>150 藤原という土地にその昔お姫様が住んでたんだよ。
高取(波多郷)、橿原市の辺り。
そこに藤原氏の祖先が住み着いたという話。 藤原。
一説にホゼワラ。百済倭国ホゼ・ワラ(倭国の百済)。
一氏族の姓が一時期とはいえ我が国の首都の名(藤原京)になるのは異常な事。
中臣氏の内、藤原を名乗れたのは結果的に本宗家筋のみ。傍系は藤原から中臣に戻された。 藤(フジ)という文字と読みは我が国には元来なく、
同じ蔦植物の葛(カツラ、クズ)をもって表していた。
葛(弦植物)は龍蛇神様のトーテムで葛木族とはその龍蛇神様(天神)を信奉する者たち。
葛クズをクスとして同じような木肌の楠木を神木とした? >>156
縄文系・弥生系の苗字
>完璧ではないが、苗字でだいたいのルーツが縄文系か弥生系かが わかると思う。
>たとえば・・・、
>縄文系の苗字・・・塚本、蜷川、古賀、石原…
>弥生系の苗字・・・○村、○田、○藤…
根拠が無い。妄想だよ 何が無くとも藤原だよ、羨ましい苗字だ
俺、藤原。言いたい
菊川・菊池などの菊を持つ苗字も羨ましい
菊は天皇家の紋章である
子供の名を付けるのに、画数や姓名判断を考えるだろう
子々孫々に受け継ぐ苗字は、それ以上の事である
苗字は奥が深く、面白い 紀元前700年 生国魂神社(大阪市)
645年難波宮(大阪市)(日本初の首都、天皇制の始まり、元号の始まり) >>158
君もお尻に菊の紋を持っている 誇りも持つがよい 先住の出雲系
神門臣家と向家とその親類・子筋・・
神門臣家分家・・宗像家
神門臣家子筋・・神門氏(出雲氏)・建部(武部)氏と斯摩(志摩・島・島族の司馬)・島谷氏(三字以音(散自出雲族)?)
向家子筋・・富(登美・鳥海)家
※南関東国造に参加した島族(島氏と近縁としての百済渡来王族)と奥州に移住した登美家(富家交わった新羅渡来王族)・渡来姓の司馬は、島族の蘇我氏との近縁の可能性あり。
後は、全て、饒速日の徐福・秦氏=物部開祖と邇邇芸の崇神天皇(物部印恵)兄弟を始祖とする物部氏や同族の秦本体(大綿津見)を祖とする、安曇(安倍)・海部(尾張)氏・その部下の天穂日(千家家・北島家開祖)と天若日子(七夕の天稚彦・牽牛)を祖とする忌部氏
出雲での忌部氏の祖は、大国主や事代主で神門臣家や向家・富家の出自と重なる家柄。
言い伝えの天若彦が、大国主(八千矛)の娘、下照姫を妻としており、大国主の子、阿遅須枳高日子と同一視されている関係もある。
南関東国造家の神門臣家の散自出雲はさて置き、その国造に加わった、百済などの渡来の関東人には、阿遅須枳高日子と誤認して天若彦の子神・・事代主とも言われている大国主副王の天少名彦や出雲建子=伊勢津彦などとごっちゃに成っているようです。
忌部氏から今に残っている中臣氏が伊勢の中臣氏。
藤原氏は渡来で、祖は半島に居た秦氏と思われる。 >>161 >藤原氏は渡来で、祖は半島に居た秦氏と思われる。
ちゃうと思うな。 二つの痕跡が全く違う。
どちらも真っ当な氏を持っていない事から渡来系ということは推測できるが。 蘇我氏は、武内宿禰の子供とされている。
蘇我石川宿禰。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E6%B0%8F
武内宿禰は200年間天皇に仕えた忠臣中の忠臣と言われ、長期に天皇家を支えた一族とされている。
その子供達は後の豪族達の祖とされている。 >>168
Thank You so much
種は皇族になるんですね。 大陸、半島との往き来は活発だったからね…
人名でなく地名だけど、東京の狛江市なんか高麗の人の住む処-みたいな意味だとか 菅原って名字なんだが、父に聞いた話だと九州の方の豪族だったらしいけどどうなんだろう >>178
菅原道真が太宰府に左遷されたことに関連性がある家系かもね
家紋は梅鉢? 日本じゃないが、清王朝家 愛新覚羅
でも清王朝は1644年だからこのスレの古代には入らないな。 江戸時代相当だからかなり新しいか。
金王朝からの名前だとすると1115-1234年 鎌倉時代相当 それでも古代には入らないな。 ぎりぎりかな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91_(%E7%8E%8B%E6%9C%9D)
愛新覚羅維
https://pbs.twimg.com/media/BbIKWmHCEAAi6ZQ.jpg >>168
蘇我の名は、武内宿禰のルーツに関わる出雲の地の出雲大社の摂社の素鵞(そが)社に由来と思われる。 素鵞(そが)社とは、素戔嗚尊を祀る社殿である。
向家家伝では、武内宿禰は、母系を神門臣家で大国主とし、先住出雲族側だったが
男系を、素戔嗚尊の子とする、五十猛で、素戔嗚尊の名の社の名で・・蘇我氏は、素鵞(そが)社の蘇我と名乗ったのだろう。
向家家伝では、五十猛の父を、徐福・饒速日としている。
※向家とは、出雲王国の2大王家の西出雲王家・旧出雲大社(杵築大社)司祭家の神門臣家と対の東出雲王家・熊野大社司祭家の向家である。
両家は、ルーツを同じくする、先住出雲族のクナト(国常立)大神=イザナギの末代である。
国譲り後、天皇家・天穂日・天若日子(の孫が、饒速日)の一族がクナト大神を己等の渡来祖神の素戔嗚尊とした。 武内宿禰は複数の要人の事象を合わせたものだから出雲系が加わっていたとしても不思議ではないがそれでも武内宿祢は主に高良山にまつわる人物だと言うのが主流。
高良山(高良大社)は久留米市にあり、近くには武内の宿祢の父の名前である武雄も有る。
高良山の周辺にも息子達の名と同じ名前を持つ土地が固まっている。
特に平群と言う珍しい地名に注目。
九州王朝説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC
高良大社の祭神高良玉垂命は、武内宿禰と言われている。武内宿禰の子供達の名前の地名がこの一帯に散らばっている。
羽田(波多)、肥前基肄郡基肄(紀)、肥前佐嘉郡巨勢(巨勢)、肥前三根郡葛木(葛城)、曾我(蘇我)、平群(平群)。 預言者シマヤ検索・・。
ヘブライ語で「シマヤシマヤ」とは・・「注目っ注目ぅ〜」の意味。
登場人物で読む聖書の物語 シェマヤ 列王記・歴代誌
http://flamboyant.jp/bible/bib179/bib179.html
JBS-iばいぶる-聖書全文検索
http://www.bible.or.jp/i2/vers_search_i.cgi?cmd=search&trans=ni&book=2ch.old&chapter=12
Tテモテ6章11〜21節 「神の人として」 大田原キリスト教会
http://otawara-church.com/?p=2111
投稿ナビゲーション← 民数記21章イザヤ45:1-13 レジュメ →Tテモテ6章11〜21節 「神の人として」
いよいよテモテへの第一の手紙も結びの部分に入ります。
きょうは、この結びの部分から、「神の人として歩もう」というタイトルでお話したいと思います。
パウロはこの結びのところでテモテを、「しかし、神の人よ」と呼んでいます。
聖書の中でこのように「神の人」と呼ばれている人は稀です。
旧約聖書ではモーセ(申33:1)やエリヤ(T列王17:18)、
また その弟子であったエリシャ(U列王4:16)などが神の人と呼ばれました。
また あの有名なダビデもそのように呼ばれました(U歴代8:14)。
その他、預言者でシェマヤ(T列王12:22)という人や、
イグダルヤの子ハナン(エレミヤ35:4)もそのように呼ばれました。
他にそのように呼ばれた人はいません。
新約聖書でこのように呼ばれているのはテモテだけです。
パウロはこの「神の人」という言葉をテモテに用いました。
それは牧会で苦労していたテモテにとって、どんなに大きな励ましであったことでしょう。
※・・旧約聖書ではモーセやエリヤまた その弟子であったエリシャなどが神の人と呼ばれました。
また あの有名なダビデも そのように呼ばれました。
その他、預言者でシェマヤ・・。
神の人・・シマヤ 父方
源氏→武士→大名→僧侶→軍人→今、2ちゃんねらー
母方
外国へ行った官僚武士→役人→今、2ちゃんねらー
ご先祖様ゴメンなさい さらに父方の母君は
中臣氏…
血だけはサラブレッドなのに…
今、2ちゃんねらーでゴメンなさい 古代豪族やん〜十分凄いっすっ!
直系男子なら尚よろし 馬鹿ってこんな事で妄想してホルホルしてるんだな
苗字なんてそこらの地名から来てるだけでお前らそんな古代の豪族とは無縁だっての フジワラとは朝鮮語のホゼワラから変化したものである。ホゼとは百済の事を言う。ワラとは倭国という意味がある。
故にホゼワラを日本語にすると「倭国の百済」と言う意味になる。このホゼワラに和風の響きを持つ名を考えホゼにフジを、ワラにハラと言う漢字を当てたのが、‘藤原’であったと言う。
確かに日本語にはホゼもワラも無い音である。`原'を漢和辞典で引いても`ワラ'という音は出ていない。
http://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/3fae5cd3e353937d0da2c5b8a1dcf829 >フジワラとは朝鮮語のホゼワラから変化したものである。ホゼとは百済の事を言う。ワラとは倭国という意味がある。
そんな朝鮮語は存在しない
出鱈目すぎて話にならない >>195
自分が藤系なのかな
藤原系はミイラからして渡来系だし そもそも祖先に渡来人混じりなんてゴロゴロいるのがわしら日本人じゃん ( ^⊇^)祖先に渡来人が絶対に混じってねえなんて証明できねえ むしろ混じってるレベルじゃなくて完全に渡来系弥生系 取りあえず
国常立(素戔嗚と言っているのは、渡来の天穂日・天若日子系統)〜大国主〜出雲振禰の直系出雲族の島氏は、斯摩宿禰=武内宿禰で
百済渡来人らは、家を頼って渡来し、島族として、南関東国造に参加し、国造家と成った、散自出雲族。
※この南関東国造家の百済渡来の島族が、後の会津藩士で、江戸時代の復古神道により、島族は人の祖とした教えの「惟神の大道」を提唱。
惟神の大道を謳う「復古神道」派が、幕末の白虎隊を祀った神社として、靖国神社が始まり、明治政府に、利用され、天皇の為の国家神道へとすり替わったのだ。
今の靖国神社や地方の護国神社を取り仕切る国家神道は、明治に誕生した際、世界布教させる為に世界惟神教会を同時に設立し、中国や韓国人の同化政策に使ったのだ。
まずは、惟神の大道の教えを観て観てください・・
↓
古川C治委員長講演
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惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち) 十一月・秋季大祭 一月号・269号
惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。
検索キーワード「復古神道」で大体の変遷が解ります。 >>203
↑
調べない無知の発言は、くさい・・マジカルトの臭いがする。 埼玉苗字辞典 シ行の島氏
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六〜三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―マ(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―ム(帯方大守)―f(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。
呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。
坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。
扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。
大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。
日本書紀・敏達天皇条に「鞍部村主司馬達等、其の女、島・善信尼と云ふ」。
司馬氏は島氏に同じ。
蘇我馬子(司馬宿祢、島大臣)―蝦夷―入鹿(鞍作)あり、蘇我族は島氏にて鞍作部の支配者なり。
扶桑略記・推古天皇元年に「蘇我大臣馬子宿祢、飛鳥の地に於て、法隆寺を建て、島大臣並百余人、皆百済服を著す」と見ゆ。
蘇我氏の本貫地大和国高市郡曽我庄(奈良県橿原市)の曽我川は別名百済川と称す。
当地方は島岡、島田氏等が多い。
東国に於いて、島崎、島田、島根、島野、島村等の百済渡来人島族は武蔵国に多く存す。
島田、島野条参照。
出雲国に渡来した島族は伊勢国・志摩国(三重県)へ移住す。
神武天皇東征の頃に伊勢津彦あり。
志摩国は島津国と称し、国造本紀に「島津国造。成務天皇朝、出雲臣の祖・佐比禰足尼の孫出雲笠夜命を国造に定め賜ふ」。
「武刺国造の祖神・伊勢都彦命」と見ゆ。
出雲臣族の武蔵国造の祖先は伊勢地方より島族を率いて武蔵国へ移住す。
足立郡島村(大宮市)は島津郷と称す。
津は人や物の集まる所の意味で島族の集落を島津、島ノと称す。 復古神道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E9%81%93
復古神道の教義は多種多様だが、概ね共通しているのは、儒教・仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという思想である。
神々の意志をそのまま体現する「惟神(かんながら)の道」が重視された。
復古神道は、江戸時代初期に生まれた垂加神道と同じく、時代を大きく動かしていったが、国学者たちによって、より学問的な立場でつきつめられていった神道といえる。
賀茂真淵や本居宣長らの国学者がまず古道説を唱えて体系づけ、平田篤胤や本田親徳らが、儒教や仏教を強く排斥して日本古来の純粋な信仰を尊ぶ「復古神道」を大成し、発展させていった。
復古神道は、都市部の町人のみならず全国の農村の庄屋・地主層を通じて農民にも支持され、幕末の志士たちにも大きな影響を与え、明治維新の尊王攘夷運動のイデオロギーに取り入れられることとなった。
昭和の天皇一神教の色に染まった、惟神の大道の大本(おほもと教)の本
↓
近代デジタルライブラリー-惟神の大道
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100853 護国不動尊本宮 - 公益財団法人 新日本宗教団体連合会 加盟団体紹介
http://www.shinshuren.or.jp/orgdetail.php?id=9
教旨 宇宙大自然の神祇の天則に基づき、
造化三神、天照皇大神、風の神(志那津比古之命、志那津比売之命)、火の神(火産霊之命)、金の神(金山比古之命・金山比売之命)、水の神(弥都波能売之命)、土の神(植山毘比売之命・大日大聖不動明王)の12柱を護国不動尊と総称し、主祭神とする。
坂東清三郎により啓示された惟神の大道を遵奉し、宇宙大自然の法則を把握し、過去にこだわらず現在に臆せず、神格化の向上と精神生活化の実行によって神祇の源に帰一する。
神人一元の真理に則り、主祭神を三種の神器と象徴し、万神万仏の霊統を発揚し、真の人類福祉と皇国の安泰、世界平和を祈願する。
@皇国の無窮を祈願して惟神の彜倫を章明する
A幽顕に貫通し、死生を申明して万民安楽、浄土建設、諸霊成仏、諸難消滅を祈願して世界平和実現に実践躬行する
B大自然の恩、皇国の恩、祖先父母の恩、愛に報い皇国隆昌実現に実践躬行する
C経文、聖歌、聖楽、聖舞を奏上楽舞して雑念を祓い清め、神理を悟り、人理を明らかにして清新生活を実行する
−ことをもって教義とする。 カルト創価の狂信者は、神話学の関係無いから立ち入るべからずっ みんな、話を横に持って行くなよ
まあ、所詮はフザケ半分の2ちゃんの板ではあるがよ… 創価学会まで出てきたかw
こりゃ完全にカルトスレだなw /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
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https://www.youtube.com/watch?v=dFj6B-dIKY8 2ちゃんねるの流れは必ず崩れて行くもんだな。
この板は特に皆が皆オカルティック脳の輩。 教派神道
明治初期、神道神官が集まり、神道事務局が設立され
始まってのが教派神道。
造化三神・いざなぎ神・いざなみ神・国常立神・大国主神・素戔嗚神・天照大神などの大元の祭神
をもとにした、神道派閥を元に、14の教会が出来る。
後に、神官兼任禁止・教導廃止により、教会が次々と独立し、神道式教派が誕生した。
その内の一つ(戦後に加わって来た)が大本・・
大本教は政府に意に従わなかったので、カルトとして扱われたんだね・・。
大本から分派したのが、お光様教で、模倣したのが、皇族の髭男爵や自民・民主党員も嵌った・・崇教真光教。
教派神道
http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kyoha.htm
教派神道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E6%B4%BE%E7%A5%9E%E9%81%93
※そもそもの教派神道は、明治政府が公認した宗教団体ですね。
ここが、仏教の日蓮宗から破門されたカルト創価学会との違いですね。 この、教派神道が共通して謳っている原典が、「惟神の大道」なんです。
政府・政治家・天皇家・会津藩士の都民・国民が、東京に拘る理由が、惟神(島族)聖地としての南関東国造の地、首都圏だからでしょう。
教派神道連合会
http://kyoharen.jp/
※このサイトで紹介されている三笠宮彬子女王とは・・ひげ男爵の御息女です。 教派神道の教祖は、皆、神社神官と同じ国学院卒業生ですよ。 このスレの人たちって300年生きた話とか信じるタイプ? >>221 話自体は信じるよ。 もっとも一人の人間が300年生きたのではなく複数の人間の事跡の寄せ集めだろうとは思うが。
武内宿祢かな? でっかい龍が出てきて倒しましたとか信じるのか
オカルト板レベルだな >>223 単純なやっちゃな。 龍は巨大な敵、勢力だと読み解くべきだろう。 おまえは小学生か?
矢が女性の尻に当たったとかホドを貫いたとか山ほど出てくるが、お前は本当に矢が刺さったと思うのか?
非常によく練られた話だよ。 >>223
そもそも、蛇とか龍と言う思考が渡来の文化。 渡来の天穂日や天若日子筋の信仰。
後の武内宿禰=斯摩宿禰の時代の秦の始皇帝の第22代融通王の惟宗島津氏は、最古の人類を島族と言ってる。
先住の出雲族・神門臣家と向家家伝も、両家の祖は、始祖の国常立大神で、渡来の天津神族の言う素戔嗚では無いと言っている。 龍だのは、渡来天津神(天孫の一族の神話の投入)
そもそもが龍や麒麟という幻想動物文化が大陸文化な時点で、渡来の文化。
先住出雲族の国津神の文化には無い。
渡来出雲族の天津神族文化で揶揄とか渡来人か? ---
まるで鉄道模型Nゲージのような暗闇のシルエットの車体と室内灯の輝き
常磐線E531系とE657系特急の鉄橋上での擦れ違いシーン
https://www.youtube.com/watch?v=KkQ2ikmfOQE
------------ フジワラとは朝鮮語のホゼワラから変化したものである。ホゼとは百済の事を言う。ワラとは倭国という意味がある。
故にホゼワラを日本語にすると「倭国の百済」と言う意味になる。このホゼワラに和風の響きを持つ名を考えホゼにフジを、ワラにハラと言う漢字を当てたのが、‘藤原’であったと言う。
確かに日本語にはホゼもワラも無い音である。`原'を漢和辞典で引いても`ワラ'という音は出ていない。
http://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/3fae5cd3e353937d0da2c5b8a1dcf829 天理教信者の処世術
・人並みの幸せは諦める
・天理教を信仰していることは人前では一切口にしない
・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし
・沈黙は金以上なり
・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
・冗談やジョークを言わない
・口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし
・人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと
・雑学的な知識を人前では見せないこと
・自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと
・はしゃがない。笑わない。
・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
・信者の言う事には必ず裏があると心得るべし
・信者=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし
・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、を基準に選ぶ=天理教の行事に参加するため
・なるべく大規模な職場を選ぶこと
・人間関係はトラブルしか生まない
・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は天理教信者にとっては何の参考にもならない
・教会長が「馬鹿になれ」を真に受けて実行すると怒りや恨みを買うか、さらにバカにされるかしかないことを心得るべし
・絶対に自分を出さないこと
・孤立や孤独は天理教信者の運命だと思って諦めること
・他人と会話がしたいならネットの掲示板だけに留めておくこと >>222
一族の300年の栄枯盛衰を一人の人格に仮託した。
浦島太郎とか。
竜宮城はハタ・ワタ・アマ(海)族の都城。
周囲から攻められ疲弊していたところを救援した事(亀(王権)を助けた)から、そこから辞を低くして迎え入れられ乙姫(惣領娘。豊玉姫命/玉依姫命。天(海)照大神。大海霊女貴命)に入婿し権力(王権)と栄華を得た始祖から約10代300年(一代は約30年程)の比喩的物語。
大国主命に入り婿して王権を確立した天火明命(天若彦。ホホデミ(神武天皇)。賀茂別雷神(九州から大和葛城に飛来の伝あり))の一族約十代300年の話ではないか?! 知り合いの梅津(うめつ)って人の娘が愛子様にそっくりなんだが
天皇家と関係のある血筋なのだろうか? 藤原。
一説にホゼワラ。百済倭国ホゼ・ワラ(倭国の百済)。
一氏族の姓が一時期とはいえ我が国の首都の名(藤原京)になるのは異常な事。
中臣氏の内、藤原を名乗れたのは結果的に本宗家筋のみ。傍系は藤原から中臣に戻された。 フジワラとは朝鮮語のホゼワラから変化したものである。ホゼとは百済の事を言う。ワラとは倭国という意味がある。
故にホゼワラを日本語にすると「倭国の百済」と言う意味になる。このホゼワラに和風の響きを持つ名を考えホゼにフジを、ワラにハラと言う漢字を当てたのが、‘藤原’であったと言う。
確かに日本語にはホゼもワラも無い音である。`原'を漢和辞典で引いても`ワラ'という音は出ていない。
http://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/3fae5cd3e353937d0da2c5b8a1dcf829 アホな教職員が言っていたよ。
アカな教職員だろうか。
田んぼの中にいたから田中。マジですよ。
何も知らない生徒はそれを受け入れるしかなかったのです。
この無様な教育から脱した私にとって、例えば田中という苗字は?
田とは稲作です、稲作とは日本の根源です、生きる為の食糧なのです。
その真ん中にいた存在だから、田中を名乗るのです。こんな誇り高い苗字が有るだろうか。
日本に田中が多いのはその為です。
日本の苗字は己の祖先を知るツールです。
苗字に恥じない行動をして欲しいのもです。 >>247
藤原系はミイラが渡来人そのままだから事実だね
涙拭きなよ渡来系 鎌足のミイラ、三代のミイラ…
そういえば道長のミイラも残ってたっけ?
これらからDNAを抽出して分析するとオモシロいことがわかりそうだ。 >>250
語源がどうであろうと渡来系だよね
人骨がそうなんだからさ 奥州藤原氏は実際には坂上田村麻呂の坂上氏が父系で、それが藤原氏秀郷流に養子に入ったという結構有力説がありますね。
これが本当なら、「渡来系」の形質を備えていたとしても何ら不思議は無いんですよね。 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部へ送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きたことで、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 >>249
詳しく
藤原(誰?)のミイラをDNA 鑑定したの? いや、戦後間もない頃に行われた形質人類学に基づく調査とその結果のことを言っているのだと思う。
ちなみに、
「アイヌの特徴は認められなかったから」
といって、非縄文=渡来系、というわけでもないんだけどね。
様々な系統の縄文人がいたことはこんにちでは常識。
また、個人的には、蝦夷の方こそが基本的に北方系渡来人が主体・親玉になった種族であると考えている。そこに加える形で、彼ら蝦夷は一部現地のアイヌ(の先祖)や、
鎮兵や柵戸(ともに関東以南における律令兵制である軍団の奥羽バージョン)として奥羽に赴任して来た和人のうち、その厳しい境遇に耐えられなくなって、鎮守府管轄領域からさらに北へ、つまり蝦夷の支配する領域に逃亡した和人たちもかなりいた。
そうした逃亡鎮兵や逃亡柵戸を蝦夷は自分たちの仲間にしたり配下に加えていった、ということのようだ。
『続日本紀』にその手の記録が複数散見される。 平泉藤原氏坂上氏説というのは、かいつまんで言うと、
坂上田村麻呂の次男で実質的な父・田村麻呂の継承者(氏の長者)であるのが坂上広野。
この広野の子孫に陸奥権大掾・坂上有行という人物がいるのだが、その有行が藤原秀郷の孫である藤原千清の娘を妻とする。
そして、その間に五人の男子をもうけるのだが、その内の五男が坂上五郎大夫頼遠。
外祖父である藤原千清には男子が誕生しなかったらしく、この五郎大夫頼遠が外祖父である藤原千清の養子に入って藤原氏となった、
というもの。
そしてその五郎大夫頼遠の嫡男がご存知、平泉藤原氏の祖に当たる亘理権大夫・藤原経清、
という説。
昔はこの説、一笑に付していたが、最近それなりに気になって来ている。
ともに阿武隈川沿いの三春と亘理に坂上党(田村氏)と経清がそれぞれ拠点を築いているところなどから。 >>244 その説は違うぞ。 なんで読んだか忘れたがうちの家系を調べてる時の話では、うちの祖先が住んでた土地の近くにお姫様(皇族)が住んでいて、藤が多い土地を藤原と言ってた。
そこに藤原氏が入ってきて藤原の氏を名乗り始めたという話。多分婿入りしてきたんだろう。
昔の氏(氏)は、そのものの出身地を指し示すものだから地名そのものなんだよ。 中臣氏ですら、巷間に伝わるかなり抽象的なその氏名の由来譚に対して、
戦前から中臣氏も、「ナカ」という地名を本拠地とし、臣の姓(かばね)を賜った氏族である、という推論をしていたのが太田亮氏だね。
長い間この説は黙殺されていたが、戦後になって、「足で研究した」網野善彦氏が、常陸中郡氏の子孫の家に伝わっていた『中郡文書(『桐村文書』とも)』を発見して、一躍脚光を浴びることになった。
神耶井耳命後裔・多(おほ)氏の一族が常陸に移り、常陸の那珂(仲、中)国造に任じられた経緯、系譜が記されているんだよね。
今でも主流学説になったとまでは言い難いが、
この中郡文書には、常陸平氏の別れである陸奥海道平氏の海道小太郎成衡が出羽清原氏に婿入りし、清原氏の家督を継ぐ予定となったわけだが、正式に家督を継ぐ前にその清原氏が源義家に滅ぼされてしまったあとの行方については不明であった。
それがこの中郡文書には、成衡のその後の下野国への移動、およびその最期の迎え方など詳しい経緯が書かれており、歴史的にも整合性が取れることから、
野口実氏や元木泰雄氏など、当代第一級の研究者から重要史料として認められ、その著書などにしばしば引用されるようになっていることもあり、
今ではそれなりに論拠のある史料として認められるようになっている。 弥生時代末期〜古墳時代〜飛鳥時代の豪族の多くは朝鮮半島から渡来してきた人達の子孫であると思う >>261
中臣、なかおみ。でなくて、ナカトミ。
、、、中(長)国の富(とみ、とび)王家(出雲大王家)
(富王家は向(日向、武庫、六甲)王家と共に並立した出雲大王家。太古より両王家は世代交代毎に主王(いわゆる大国主)、副王(いわゆる少彦名)を交代しつつ歴任。) 向氏なら友達にいるな。紀州の子だけど。
だが、一般の向氏とはちょっと毛色が違っていて、明治以前は代々神降ろしの巫女を職掌していて、いわば「裏向」みたいな家系だ、と話していた。表千家と裏千家みたいなもので。
あるいは猿女君氏のような。
実際、その友達の家は代々女系継承の家。
祝(ほうり/神主)じゃなくて、巫(めかんなぎ/神寄せ巫女)の方なんだと。
実際、いわゆる霊感的なもののすごく強い子。 島、志摩、司馬、縞、嶌、嶋
シマ族の末裔?。
和田(ワタ(渡、綿、)、ハタ(羽田、波多、半田、波田、)、ワダ(輪田))=海族の末裔。 https://goo.gl/FAWbVt
これは嘘でしょ。。?
本当かなー。。ショック。 >>261
なか、なが。のつく地名、河川、山野は全国に広がりを見せています。
神様?=王様、統治者では、トミのナガスネヒコ。
字儀は、トミ(トビ)王家のナガ国を統べる大王。位の意味 。
神武天皇自身、トビ(トミ)大王家の大王権を継承なさったからこそ敵味方皆平服するあの江面になるのかと。 >>268
半島出身と言っても半島にいた倭人が大半だからね >>270 それもない、そんなに沢山の人間が任那に居たわけがない。
DNAから見ても半島からの影響は少ない。 中国の影響すら少ない。 >>273
国民国家の時代じゃないんだし、
日本に百済人や新羅人もいれば、半年に倭人もいたってことだよね。
互いに
「含み含まれる」
な状態だったんだろうな(人口構成比はともかく)。 自分の苗字は真野です。
自分の苗字の由来調べたら和邇氏の祖、大矢田宿禰に行きます。
大矢田宿禰は神羅征伐の任で、新羅にとどまり新羅鎮守将軍になります。
任から帰還して真野と名乗ります。
蘇我氏と新羅の墓からローマグラスがでてきてます。
しかも新羅とは言葉が通じないなど記述があります。
イタリア語でマーノと言う言葉がありその意味は手。
ロマーノと言う言葉はローマ人って意味らしい。
なんか変な繋がりを見つけたので間違ってたらスマソ >>258
縄文弥生くらいしかいないけど日本の遺伝子プールに 父親の姓は長崎に数百世帯しかない珍しい苗字なんだが何故か新潟にも同じ町の名前がある。
九州と新潟を繋ぐものはなんだろう? >>282 北前船では? 北海道の昆布を日本海経由で薩摩まで運んでた。
最大の寄港地が、新潟湊だった。 長崎を経由して薩摩まで昆布を運んでた。 >>282
宮崎では、カモシカを青鹿(せいろく)と呼ぶ地域があり、新潟には青鹿(あおしか)と呼ぶ地域がある。 >>277
新羅国は半島の古代三国時代を制して統一した雄。
そのルーツは、国の体を成していない中小領主らによる群雄割拠の頃は、斯羅(しろ)と呼ばれた地域。
秦帝国の遺民らが三々五々に吹き溜まっていたとも言われる地域。(故に言葉が通じない?)
秦国もルーツは大平原の遊牧民(、、、遥かオリエント?)が中原に進出した国じゃなかったか?
あと、確か漢字で秦はローマの意味じゃなかった? >>283
同じく、関門海峡から瀬戸内海に入って最終的には京都大阪等の関西圏迄。
関西のだし汁、食文化は北前船に支えられていた。
幕末の高田屋嘉兵衛もその1人
、、、淡路島(兵庫県淡路市都志)出身。
、、、寒村だった函館の町(浦)を整備して蝦夷地の拠点としたのが函館市の端緒。
ロシアに拿捕されて異国の一商人がなんと女帝に謁見。
ロシアとの国際紛争、ゴロウニン事件(ペリーの黒船より遥かに厄介だった)を解決) だしった熱くなってくるから、魚の人生った熱いもんだなあ。 >>337 諸説あるが、秦氏と、波多氏(羽田氏)はどう見ても別の氏族だよ。
波多氏は、新撰姓氏録には、皇別、真人、朝臣とあるが、秦氏は、諸藩でしかない。
古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/min/1326776604/
古事記などの記録を辿っても、秦氏は綿の栽培や織物を得意としてた、波多氏は天皇家の子孫であり武家。三韓征伐などで副将軍として活躍してる。
うちは、波多氏の子孫で大和国波多郷から鎌倉時代に頼朝の命により地頭として出た。
だからうちの直接の先祖は、氏が波多、姓は宿禰、苗字が今の姓。 母方の曾祖母の姓が全国で50人もいなさそう
由来を調べてみたが何も出てこなかった >>297 50人くらいしか居なさそうと言う姓はかなり新しい姓じゃないかな。 明治になって作ったとか。
うちの姓もうちの親族しかいないが、それでも数百人はいそう。今の姓になってから700年位経つが。 >>298
旧華族や由来のある社家には希少な名字がある。 >>298
姓そのものは昔からあったみたい
福井県の坂井市とローカルな地域で丸岡城のすぐ近くに実家があった
そこその規模で養蚕業やってたらしく後年は繊維業になったらしいが今はわからない 全国に何人いるかという数字はほとんど参考にならないよ。
少し昔だと電話帳に載せてる人が多かったからおおよそそれでわかったけど、最近は載せなくなってるからね。
何県に一番多いとかだと多少は参考になるが。 曾祖母(祖母の母)の旧姓が全国で40人くらいしかいなくて、由来を調べたら唐系帰化人の姓って出てきたんだけど、関係あるんだろうか
一応、その苗字が集中的に分布している市と曾祖母の出身市が一致している
曾祖母は不倫の末に祖母を産んだから実家から離縁されたらしく、祖母が聞いても決して生家について語ろうとしなかったらしいし、全くわからん >>305 良かったね。 でも40人と言うのは少なすぎる。 名を隠して生きていけばそうなるのかもしれないけど、新選姓氏録に出てくる名前なら隠す必要もないから最低数百人はいると思うよ。
自分も戸籍調べしたら、江戸時代の終わりに婿養子に入って今の名前を注いでた。 それまでは男性家系の正統系列だと思ってたけど少し残念だった。
でも昔は婿養子も珍しくなかったから普通だったのかな? 冷泉て姓カッコイーな
橘って姓は、やっぱり蜜柑と関係するのかな 柑橘類を日本にもたらしたのが田道間守(たじまのもり)という人。
田道間→橘
というのはよく言われる。 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
E2Z4D >>312
興味湧く 柑橘類をもたらした人と家系が橘か… 田道間守命は「お菓子の神様」として、全国いくつかの神社でお祀りされているんだよね。
どうも、古代の日本では田道間守が日本に伝えた柑橘類はお菓子の一種として認識されていたらしい。
田道間守命をご祭神とする神社(「菓祖神社」といったかな?)は、
京都の吉田神社の境内摂社や、和歌山県、兵庫県などにご鎮座する。
とくに兵庫のは、
田道間=但馬で、
田道間氏の本拠地であったのかもしれない。
そしていずれの神社も、
今でも和菓子、洋菓子を問わず、菓子職人がよく参拝する。 >>316 へー、へー、へー、へーへー。
面白いね。 しかし、何々守と言うのはかなり後世になってからじゃないのかな? 「かみ」じゃなくて「もり」だからね。
読みが。
また、氏姓制度時代の県主や国造にしろ、
全国一斉にスタートしたんではなくて、
大和朝廷の勢力下に加わった地域から順次、それらの役職名を与えていった、というから、
先駆的形態として、大和朝廷傘下に加わった地域の主張には使われていた、という可能性もある。
大神神社の初代祭祀者である
オオタタネコ
なども同様のことが言われる。 >>320訂正
大和朝廷傘下に加わった地域の主張には使われていた、という可能性もある×
大和朝廷傘下に加わった地域の首長には使われていた、という可能性もある○ >>324
お、ありがとう 今夜は眠いから明日読ませていただきます このスレ見て興味が湧いたから自分の苗字を調べたが有り得ないような事ばかり書いてあるから驚く
苗字は狩野
読みは絵描きの方のかのう
祖父が群馬に住んでいて先祖代々かは知らんが墓参りに行くと周りには同じ苗字の墓だらけ
家紋は全く代表的な家紋に掠りともしない丸に違い鷹の羽
元の本家筋と別れて地方に土着することってあるもんなのか? >>327 そりゃ、分家は全国に散らばるよ。 ただ、家紋は微妙に変わってくるのが多いみたい。
うちも、古事記にも出てくる家系で奈良が本貫だけど、源頼朝を助けたら九州の土地を与えられ以降ずっと住み着いてしまった。 氏、姓、苗字、家紋などは、主従関係を強める目的のために、上から下に与えられることが多かった。
古くは天皇が与えたが、段々それが下の方に広まってきた。
特に家紋は一門の旗印がわかるように一部を変えて似た家紋にするケースが多かった。 ただ、狩野という苗字は結構多い苗字だから、どういう繋がりがあるか探すのは難しいかも。
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=狩野
全国566位、全国人数はおよそ34,900人
狩野英孝と血の繋がりがあるかどうかもわからないだろう。
群馬県、宮城県、関東、島根県などにみられる。
現静岡県伊豆半島である伊豆国田方郡狩野荘が起源(ルーツ)である。
中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)がある。
藤原南家乙麻呂流、有名な絵師狩野家は子孫といわれる。
現群馬県である上野国を経由した流派もみられる。語源は、刈野、草木を焼き払って開拓した畑、焼畑からきている。地名としても全国に多く存在する。 群馬県は特に多く、人数はトップ50に入るみたいだね。
一つの家系がそこまで多くなることは考えづらいから、血縁関係がなくてもご褒美として狩野を名乗らせた様な人がいたのではないだろうか。
群馬で有名な狩野家を調べてみたら? ジャニーズTOKIOのリーダーの城島とかダイエーの城島健司選手の城島って姓は珍しいというか、かなり古いものなのだろうか 城島
現福岡県南部である筑後国三潴郡城島村が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)道兼流宇都宮氏族。 「島」は一定の小区画を表す。 >>333さん
ご丁寧なレス大変にありがとうございます
やはり九州が源なんですね >>329
遅レスで申し訳ない
丁寧にありがとう
色々ググって調べてみたら上野の狩野家について載っている資料が纏められているブログが見つかったからじっくり読んでみる >>335 え? 上野? こうづけの国、上野国の事かな。
上野国は今の群馬県。 >>338 こう言う俗説にはあまり信憑性はない。
ほとんどの家系がなんらか平源籐橘から出てるなんて言うくらいだから。
少なくともそれなりに信憑性があればWiKiが出来てるのでは。
武家社会の上流家系なら、夫婦(や親戚)の家系をミックスすればほとんどみんな平源籐橘にどこかで繋がる。
ただ、直系(特に男系)ではなかなか繋がるものではない。
自分が自分の苗字と同じ人から家系図を見せてもらったら藤原に繋がってた。 おかしいなと思って良く見たら、その人の家系のある代の妻の先祖が藤原だった。
男系の方は苗字通りの家系だったけど。
さらに自分の戸籍調査をしたら、自分の家系は江戸時代に娘婿に入ったらしいから男系ではない。 ただ苗字は700年近く前の苗字で繋がっていて苗字が発祥した地に本籍もある。 http://www.★.com/0601/cult3/msg/232.html
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何でこのスレはIDも何もないのかな?
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64G 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! クスバエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 縄文時代はどう言う名前で呼んでたんだろうね。
更に弥生、魏志倭人伝の時代 魏志倭人伝には、邪馬台国では紐で文字を作ると書いてある。
残らないのも仕方ないよな。 しかし逆に縄文土器には文字が書いてあるのではと思ってしまう。 ↑魏誌倭人伝に邪馬台国の周辺国の豪族の名として出て来るんだっけ? 確認したら「倭人伝」に、投馬国の長官はミミ、次官はミミダリとある…と 或るブログに
一般に「ミミナリ」と訓んでいるが、私は「ダ」音をとり「ミミダリ」と訓む。
というのがあり、充分、足る、みたいなニュアンスだと
URL貼ろうとしたが5ちゅんに弾かれたので、また違う形で紹介しようと思う 神代文字の中には本物もあるはずなのにみんな偽物扱いされて残念だな。
そう言う素地がなければ漢字が入って来たからと言ってすぐに、カかな文字ができる訳がない。 自分の今の苗字は14世紀頃南北朝時代にもらい、その前の11世紀位までの血の繋がりは間違いない。
その当時の氏は古事記、日本書紀、推古天皇の記録、万葉集などにも残っている間違いのない氏なんだけど、氏の血の繋がりが何処まであるのか最近疑問に思えて来た。
血の繋がり(家系)より氏の方が重要視されてきたし、全く血の繋がりがない人が氏に入ってきたら氏を名乗ることもあっただろう(勿論認められて)。 そこには血の繋がりはない。 堅苦しく考えないで、一緒の共同社会に住んでた仲間だと思えば良いのかもね。
その(淡い記憶の)繋がりが1000年経っても有るのかも。
天皇制も近いのかもしれない。それが2000年も続いている珍しい国ということなのかもしれない。
そういう意味では大きく考えると、日本という国土に住んでる日本人はみんな仲間だという連帯意識が強いんだろうな。
新国籍氏が日本。 >>360
それ見たけどトンデモだったよ
耳垂、耳足に通じる筈だという思い込みで勝手にあり得ない読みをしてる感じだった
そもそも彌彌那利の時だけ那を「ダ」と読むのは論外だし
魏志全体で那を「ダ」と読むのも無理だよ わからないので詳しい方教えてください。
苗字由来ネットで吹田という苗字を検索すると
吹田連(次田連)すいたのむらじ?すきたのむらじ?という集団がいて
祖神が火明命と天香山命ってなってるんですけど
ご先祖様が火明命と天香山命って人だったってことですか?
よろしくお願いいたします。m(__)m >>365
籠神社の海部氏の系図によると、
火明命とニギハヤヒ命は異名同体(同一神ということ)だから、
記紀などに載る一般の系譜では、そのニギハヤヒ命の御子様が、天香山命という神様。
したがって、上に書いた海部氏の系図と繋げると、
天火明命(=ニギハヤヒ命)と天香山命とは親子(父子)の関係になる。
だからもしかしたら
海部氏などと、同じ系譜にあるお家の可能性もあるんじゃないかな。 >>150
鈴木さんは、日本人に多い地味でごく一般的な苗字だけど、
さかのぼると天照大神と秦氏の神社を作った氏族の苗字だよ。 ウロ覚えだけど
ススキ(イネ科植物)から来てるとなにかで読んだことがあるな。
熊野国造一族の藤白鈴木氏が発祥だよね
藤白神社には、鈴木姓発祥の地ということで全国から多くの
「鈴木さん」が参拝に訪れるらしい >>365です。お礼が遅くなり申し訳ありません。m(__)m
>>366さん 質問ageありがとうございます。
>>367さん 情報ありがとうございます。
また新たな謎の発見で楽しいです。海部氏のこともググって調べたいと思います。
苗字ってロマンがあっていいですね。 なんか近所の名前調べると自分の姓名と関係ある家系の人多くないか? >>373 古くからある家だとそうなるね。 昔は結婚するにしても隣村からもらう程度であまり遠くの人と結婚することは少なかったからね。 いや新興住宅街の話
これちょんの背のりとか関係あるんかな >>375 新興住宅街だとバラバラになると思うけど、海外の人達なら集まるかもね。
新興住宅街でも、元の地主の一族が集まるというのはあるかも。 末端一族だろうけど。 元の地主が誰だったか調べてみると良い。 >>375 地方だと周辺に一族が多いから新興住宅地にも集まることがあるのかも?
地主系統だと自分の土地に建てるからそんな事はないが、下級民ならありうるかも。 >>368
鈴木姓。
和歌山県海南市に鎮座なさる藤白神社(藤白皇大神宮の大石柱が境内に聳える)が総氏神かつ発祥地。
紀伊熊野本宮につかえる神官(物部氏=徐福に引率された3000人の海童(秦国人)の末裔)が鈴木姓を名乗ったのが端緒と言います。 >>372
>>369
クマ=米の古語。
米の成る野=クマノ/熊野
九州の吉野ヶ里を本拠地とする徐福(ニギハヤヒ/スサノオ)の子孫、物部王家の三兄弟が大和攻略を企てるも苦戦(長男、物部五瀬命(物部王家本宗(本家)が毒矢を受けて死亡。、、、
紀伊熊野に再上陸するも大和側の紀伊国造(高倉下命の子孫)勢力の執拗な攻撃を受けて
熊野川の中洲に半ば孤立。
中洲(物部族の道教による蓬莱山信仰から)亡くなった五瀬命を祭祀したのが熊野本宮大社の端緒))した物部が創建
物部族は二度目の渡来で九州の佐賀の吉野ヶ里に定着した徐福の子孫(物部王家)ならびに引率されてきた3000人の秦国人の子孫たち))。 >>367
徐福さまが二千人の海童(+あらゆる職種の技術者、職人たちも同行)を引率して石見の五十猛海岸に上陸。
出雲王国の王家に媚び上手く取り入って
出雲王(オオナモチ)の妹媛(今なら天皇家の内親王)の天道媛/高光媛を娶りマンマと出雲の神族(=王族)に列しました。
直ぐに御子が生まれて徐福さまは父親の徐猛(=忍穂耳命)の名を頂き五十猛と命名。
徐福は王となる野望を露にして忠実な配下のホヒとその子ヒナドリ(現、出雲大社の社家の祖)と海童らを使い出雲王(オオナモチ)と副王(スクナヒコ)の二方をほぼ同時に殺害する大事件を起こします。
内心、蛮族と侮っていた出雲王国は意外にも態勢強固で直ぐに次代の第9代出雲王(オオナモチ/鳥鳴海)と同副王(スクナヒコ/味耜高彦)が即位して態勢を整え反撃に転じた事から
徐福は居場所を喪いやむなく妻子や配下を置き去りにして母国に逃げ帰りました。
その後、御子の五十猛は散り散りになっていた海童(秦国人)たちを改めて呼び集めて丹波(丹後)に集団移住して丹波国を建てました。
その際、母親の天道媛/高光媛(出雲王国の王家のお媛さま)とその姪の大屋媛らも一緒に移り住みました。
中略。
徐福は九州の佐賀に二度目の渡来を果たして吉野ヶ里を本拠(宮都)として
出雲王国の分家(+宇佐族)の宗像王家の三女、市杵島媛命と結婚。
御子のホホデミと女のホヤ媛が生まれました。
ホホデミは物部王家(〜天皇家)の祖。
ホヤ媛は異母兄の五十猛、改め海カゴヤマに嫁ぎ、
海(天)村雲をうみます。
村雲が丹波人(元秦国人ら)を武装させ大和に南下して
出雲テロ大事件の影響で大和の葛城に先行移住していた出雲族らを凌駕した事等から
村雲を大王に推戴、后には先に三輪山に出雲の神々と亡き父親の御霊を祭り、祭主/媛巫女となっていた
媛踏鞴五十鈴媛が入台する事で
丹波葛城(大和)連合王国の大倭国が成立。
天皇系譜上の初代神武は海(天)村雲命です。
以下11代に渡り王朝は命脈を保った末に
ホホデミの子孫(物部王家)により滅亡を余儀なくされました。 名字が神の人は諏訪氏か三輪氏の子孫の可能性が高いの? >>379 >>380
解説ありがとうございます。
不老不死の秘薬のあの徐福とはとても興味深いですね・・・
琅琊榜というドラマにハマっていたので余計興味が湧きます。 身許がバレるのは抵抗があるから姓は書かないが
一応、私の家は河内源氏の一派だったらしい
分家ではあるがな
江戸時代には本流は高家や旗本になったが
私の家は傍流だったので旗本にはなれず。大名家の家臣となってね
家名は何とか存続したらしい >>99
阿部(安倍)苗字が突出して多い?
69名無しさんといっしょ2020/05/08(金) 12:02:53.07ID:yKyZP41i
・・・現在メジャーな苗字として残っているものは殆どない
その中で阿部(安倍)だけ突出して多いのはどうしてだろ
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