古代豪族の氏姓に関連した苗字の現代人
何でこのスレはIDも何もないのかな?
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64G 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! クスバエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 縄文時代はどう言う名前で呼んでたんだろうね。
更に弥生、魏志倭人伝の時代 魏志倭人伝には、邪馬台国では紐で文字を作ると書いてある。
残らないのも仕方ないよな。 しかし逆に縄文土器には文字が書いてあるのではと思ってしまう。 ↑魏誌倭人伝に邪馬台国の周辺国の豪族の名として出て来るんだっけ? 確認したら「倭人伝」に、投馬国の長官はミミ、次官はミミダリとある…と 或るブログに
一般に「ミミナリ」と訓んでいるが、私は「ダ」音をとり「ミミダリ」と訓む。
というのがあり、充分、足る、みたいなニュアンスだと
URL貼ろうとしたが5ちゅんに弾かれたので、また違う形で紹介しようと思う 神代文字の中には本物もあるはずなのにみんな偽物扱いされて残念だな。
そう言う素地がなければ漢字が入って来たからと言ってすぐに、カかな文字ができる訳がない。 自分の今の苗字は14世紀頃南北朝時代にもらい、その前の11世紀位までの血の繋がりは間違いない。
その当時の氏は古事記、日本書紀、推古天皇の記録、万葉集などにも残っている間違いのない氏なんだけど、氏の血の繋がりが何処まであるのか最近疑問に思えて来た。
血の繋がり(家系)より氏の方が重要視されてきたし、全く血の繋がりがない人が氏に入ってきたら氏を名乗ることもあっただろう(勿論認められて)。 そこには血の繋がりはない。 堅苦しく考えないで、一緒の共同社会に住んでた仲間だと思えば良いのかもね。
その(淡い記憶の)繋がりが1000年経っても有るのかも。
天皇制も近いのかもしれない。それが2000年も続いている珍しい国ということなのかもしれない。
そういう意味では大きく考えると、日本という国土に住んでる日本人はみんな仲間だという連帯意識が強いんだろうな。
新国籍氏が日本。 >>360
それ見たけどトンデモだったよ
耳垂、耳足に通じる筈だという思い込みで勝手にあり得ない読みをしてる感じだった
そもそも彌彌那利の時だけ那を「ダ」と読むのは論外だし
魏志全体で那を「ダ」と読むのも無理だよ わからないので詳しい方教えてください。
苗字由来ネットで吹田という苗字を検索すると
吹田連(次田連)すいたのむらじ?すきたのむらじ?という集団がいて
祖神が火明命と天香山命ってなってるんですけど
ご先祖様が火明命と天香山命って人だったってことですか?
よろしくお願いいたします。m(__)m >>365
籠神社の海部氏の系図によると、
火明命とニギハヤヒ命は異名同体(同一神ということ)だから、
記紀などに載る一般の系譜では、そのニギハヤヒ命の御子様が、天香山命という神様。
したがって、上に書いた海部氏の系図と繋げると、
天火明命(=ニギハヤヒ命)と天香山命とは親子(父子)の関係になる。
だからもしかしたら
海部氏などと、同じ系譜にあるお家の可能性もあるんじゃないかな。 >>150
鈴木さんは、日本人に多い地味でごく一般的な苗字だけど、
さかのぼると天照大神と秦氏の神社を作った氏族の苗字だよ。 ウロ覚えだけど
ススキ(イネ科植物)から来てるとなにかで読んだことがあるな。
熊野国造一族の藤白鈴木氏が発祥だよね
藤白神社には、鈴木姓発祥の地ということで全国から多くの
「鈴木さん」が参拝に訪れるらしい >>365です。お礼が遅くなり申し訳ありません。m(__)m
>>366さん 質問ageありがとうございます。
>>367さん 情報ありがとうございます。
また新たな謎の発見で楽しいです。海部氏のこともググって調べたいと思います。
苗字ってロマンがあっていいですね。 なんか近所の名前調べると自分の姓名と関係ある家系の人多くないか? >>373 古くからある家だとそうなるね。 昔は結婚するにしても隣村からもらう程度であまり遠くの人と結婚することは少なかったからね。 いや新興住宅街の話
これちょんの背のりとか関係あるんかな >>375 新興住宅街だとバラバラになると思うけど、海外の人達なら集まるかもね。
新興住宅街でも、元の地主の一族が集まるというのはあるかも。 末端一族だろうけど。 元の地主が誰だったか調べてみると良い。 >>375 地方だと周辺に一族が多いから新興住宅地にも集まることがあるのかも?
地主系統だと自分の土地に建てるからそんな事はないが、下級民ならありうるかも。 >>368
鈴木姓。
和歌山県海南市に鎮座なさる藤白神社(藤白皇大神宮の大石柱が境内に聳える)が総氏神かつ発祥地。
紀伊熊野本宮につかえる神官(物部氏=徐福に引率された3000人の海童(秦国人)の末裔)が鈴木姓を名乗ったのが端緒と言います。 >>372
>>369
クマ=米の古語。
米の成る野=クマノ/熊野
九州の吉野ヶ里を本拠地とする徐福(ニギハヤヒ/スサノオ)の子孫、物部王家の三兄弟が大和攻略を企てるも苦戦(長男、物部五瀬命(物部王家本宗(本家)が毒矢を受けて死亡。、、、
紀伊熊野に再上陸するも大和側の紀伊国造(高倉下命の子孫)勢力の執拗な攻撃を受けて
熊野川の中洲に半ば孤立。
中洲(物部族の道教による蓬莱山信仰から)亡くなった五瀬命を祭祀したのが熊野本宮大社の端緒))した物部が創建
物部族は二度目の渡来で九州の佐賀の吉野ヶ里に定着した徐福の子孫(物部王家)ならびに引率されてきた3000人の秦国人の子孫たち))。 >>367
徐福さまが二千人の海童(+あらゆる職種の技術者、職人たちも同行)を引率して石見の五十猛海岸に上陸。
出雲王国の王家に媚び上手く取り入って
出雲王(オオナモチ)の妹媛(今なら天皇家の内親王)の天道媛/高光媛を娶りマンマと出雲の神族(=王族)に列しました。
直ぐに御子が生まれて徐福さまは父親の徐猛(=忍穂耳命)の名を頂き五十猛と命名。
徐福は王となる野望を露にして忠実な配下のホヒとその子ヒナドリ(現、出雲大社の社家の祖)と海童らを使い出雲王(オオナモチ)と副王(スクナヒコ)の二方をほぼ同時に殺害する大事件を起こします。
内心、蛮族と侮っていた出雲王国は意外にも態勢強固で直ぐに次代の第9代出雲王(オオナモチ/鳥鳴海)と同副王(スクナヒコ/味耜高彦)が即位して態勢を整え反撃に転じた事から
徐福は居場所を喪いやむなく妻子や配下を置き去りにして母国に逃げ帰りました。
その後、御子の五十猛は散り散りになっていた海童(秦国人)たちを改めて呼び集めて丹波(丹後)に集団移住して丹波国を建てました。
その際、母親の天道媛/高光媛(出雲王国の王家のお媛さま)とその姪の大屋媛らも一緒に移り住みました。
中略。
徐福は九州の佐賀に二度目の渡来を果たして吉野ヶ里を本拠(宮都)として
出雲王国の分家(+宇佐族)の宗像王家の三女、市杵島媛命と結婚。
御子のホホデミと女のホヤ媛が生まれました。
ホホデミは物部王家(〜天皇家)の祖。
ホヤ媛は異母兄の五十猛、改め海カゴヤマに嫁ぎ、
海(天)村雲をうみます。
村雲が丹波人(元秦国人ら)を武装させ大和に南下して
出雲テロ大事件の影響で大和の葛城に先行移住していた出雲族らを凌駕した事等から
村雲を大王に推戴、后には先に三輪山に出雲の神々と亡き父親の御霊を祭り、祭主/媛巫女となっていた
媛踏鞴五十鈴媛が入台する事で
丹波葛城(大和)連合王国の大倭国が成立。
天皇系譜上の初代神武は海(天)村雲命です。
以下11代に渡り王朝は命脈を保った末に
ホホデミの子孫(物部王家)により滅亡を余儀なくされました。 名字が神の人は諏訪氏か三輪氏の子孫の可能性が高いの? >>379 >>380
解説ありがとうございます。
不老不死の秘薬のあの徐福とはとても興味深いですね・・・
琅琊榜というドラマにハマっていたので余計興味が湧きます。 身許がバレるのは抵抗があるから姓は書かないが
一応、私の家は河内源氏の一派だったらしい
分家ではあるがな
江戸時代には本流は高家や旗本になったが
私の家は傍流だったので旗本にはなれず。大名家の家臣となってね
家名は何とか存続したらしい >>99
阿部(安倍)苗字が突出して多い?
69名無しさんといっしょ2020/05/08(金) 12:02:53.07ID:yKyZP41i
・・・現在メジャーな苗字として残っているものは殆どない
その中で阿部(安倍)だけ突出して多いのはどうしてだろ
【BSプレミアム】英雄たちの選択【水20歴史】part 4
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