立てた後で後発であると悟った。
あちらは主に持統天皇行幸について語るスレッドのようなので、こちらでは主に穂の国=東三河と徐福伝説について語りたい。

穂→宝飫→宝飯(郡)らしいが、穂→豊とも考えられる。
つまり、穂の川→豊の川→豊川ではないかと?
豊の国は九州にも存在するから、重複を防ぐため豊の国と記載されることはなかったと考えられるが。

「ほむら」という呼び名もあったらしい。
穂邑であろうか?
攻められて燃え上がる炎の意味でもあり、東に逃げる人々の心に焼き付く風景だったであろう。

愛知と岩手には共通して多い名字がいくつかあるらしい。
岩手では炎を「ほのお」ではなく「ほむら」と呼ぶ。
人の感情を「ほむら」と呼ぶという意見もあるが、客観的ではない、炎を見つめる人の感情も込めているのだろう。
愛知、岩手での弾圧で自分たちの社会を破壊され続けるループの中で強くなっていった炎への感情が「ほむら」なのだ。

渥美郡は元は飽海郡だったとのことだが、同じ地名が山形県にある。
これも現渥美郡から現飽海郡への移住を示唆してはいないか?

東北地方との関連についてはよく調べる必要がありそうだ。