「弟子訓練」は、その語感が連想させる通り教会内にスパルタ式の主従関係を構築する。
「訓練」を施す側の立場に立つ権威主義的な「牧師」による権力濫用が必ず問題となる。
健康状態や財政状態を無視した過酷な奉仕の強要や高額献金の強要が行われるのも特徴。

「弟子訓練」を自分の召命と主張する牧師の著書を調べると興味深い事実が見出される。
そこには何と、「弟子訓練を導入したことによって多くの人が傷つき躓き教会を去った。
しかしこれは私の召命だから、何があっても成し遂げなければならない」と書いてある。

しかし、キリストの弟子だからといって、牧師から傷を受けねばならないのはおかしい。
イエス・キリストが十二人の弟子たちに無尽蔵の愛をもって接したことは明らかである。
「牧師」が「訓練を施す」からといって愛のない接し方をするのは完全に間違っている。