「牧師」を名乗る者が、その地位と権威を濫用して信者を恫喝したり、
途方もない暴言や暴行を働くという事件が頻発しニュースになっているが、
その舞台の多くは、「単立教会」や、超教派と称する私的団体である。
また、団体組織でも個別教会の独立自治を標榜するところは危険である。

「超教派」集会なるものは、私的な教団を建設するための隠れ蓑である。
「超教派」と称して人を集め、それを自分の教団に変質させていくのである。
「超教派」をいうならば公器に徹し、教祖は権威を濫用してはならない。
それが実際には、教祖が名をあげ支配拡大するための組織になっている。

そうした教団の教祖らはマスコミを利用し、自らを有名人に仕立て上げる。
カルト教祖らをチヤホヤとし、御用新聞に成り果てたところもあるという。
そういった所は、教祖や側近幹部が重大な不祥事を起こしても報道しない。
マスコミに必要な中立性、公平性、チェック機能を失っているのである。

キリスト教会のカルト化は、伝統的な諸教団では確率として起こりにくい。
一定のチェック機能が働き、悪質な偽牧師は淘汰されやすいからである。
単立教会や、超教派を標榜する新興カルト団体には注意するべきである。
教祖個人が神のように崇められ、信徒は人間として扱われない虞がある。