知ることには「分かる」と「覚える(=感じる、感じ取る)」という二側面がある。
泳ぎを覚えた時や、自転車に乗れるようになった時を思い出してみよう。
先ずは、水に浮くこと、自転車でバランスをとることを覚えることから始めたと思う。
「神ながら(の道)」は神と共にあることが始まりであって、神を知らない(=覚えない)
では何も始まらない。

神道とは’神と共にある’在り方のことであり、その神は’現に生きている神’だ。
教義も固有の形も固有の名前もないことこそ、この神が現に生きている(=現実自在である)
ことの証しといえる。
この伝統の神は、(現生)人類が、この東海の弧状の島々に住み着く以前からの系統だろう。
遠い記憶は、ほとんどは年月の積層の中へ失してしまったようだ。
しかし、その本質は消えない。
 /「神ながらの生きる神」