ヤハウェの正体ってなんですか?
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夢の中でヤハウェはアテナって言われたんですけどほんとですか!? ( _,, -''" ', __.__ ____
ハ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ハ ( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l │
ハ ( .', | l::|二二l | 馬 オ .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | 鹿 カ │
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ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,. l 厨 |
〉vw'レハノ l.lll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
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_,,ノ※※※※※`ー,,, / lヽノ ´'ー'´ハ
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、 l ト、へ 一般人(日本人)のよく連想する神はロングヘアーに髭、ローマのトーガを纏ったもの
これはギリシャ・ローマの神々の影響と言われているが、
日本に伝播した時に、何時どの様にヤハウェと交わったのかは不明らしい ゼウスとデウスはある時期意図的に混淆されてきたんだから図像が流用されるのは当然 だよな イエズス会の彼も意図的にデウスという言葉を使った輩の一人かしらん >>1
ヤハウェ=ヤハタ(八幡)=戦いの神 という人もいるな
アテナも戦いと勝利の神ならまんざら遠くないのかも >>206
アテナも異常な出生という意味では釈迦やイエスの系譜の源流かもしれない。 第一七九節 旧約聖書と新約聖書
ユダヤ教の根本性格は現物主義と楽天論だ。この二つは血筋の近いもので、本来の有神論の条件であ
る。というのは、有神論は物質界を絶対に現実と見て、人生をわれわれのためにつくられた、快適な一
種の贈り物とみているからである。これと反対に、バラモン教や仏教の根本性格は、精神主義と厭世観
だ。というのは、バラモン教や仏教は、世界を一種の夢のようなものと見ており、人生をわれわれの罪
の結果と見ているからである。周知のようにユダヤ教の源流であるゼンド・アヴェスタ教では、厭世的
要素を代表するものにアフリマンがある。しかしユダヤ教では、このアフリマンがサタンになって、従
属的地位を占めるにすぎなくなる。といってもサタンが蛇やさそりや毒虫の元祖であることは、アフリ
マンと同様である。ユダヤ教はサタンの化身である蛇を人間の堕落に登場させる。つまり楽天観という
ユダヤ教の根本的誤謬を修正するために、サタンを利用するのだ。ところでアダムとイヴの堕落は、明
白な真理には絶対必要な厭世的要素をユダヤ教にもちこんだもので、この宗教では最も正しい根本思想
である。ただし罪に堕ちるということは人間生存の根拠であり、生存に先行するものとして叙述される
はずのものであるが、アダムとイヴの堕落はこれを生存の経過へ移しかえているのである。
エホバがオルムズドであるという適切な確証を提供しているのは、七十人訳エズラ書・第一巻、すな
わちο ιερευς Α(六の二四)だが、ルター訳では省かれている。「王キュロスはイェルサレムに主の家を
建造せしめた。そこでは不断の火によって主に犠牲がささげられていた。」――またアカベア第二書・第一
章および第二章、さらに第三章、最八節も、ユダヤ人の宗教がペルシア人の宗教であったことを証明
している。 というのは、バビロンの捕囚に連れ去られたユダヤ人たちは、ネヘミヤの導きのもとに、あ
らかじめ聖火を乾いた天水槽のなかに隠しておいたため、水につかることになったが、そちに奇蹟に
よってふたたび火があおりたてられたので、ペルシア王に大なる感化をあたえた、と語られているから
である。ユダヤ人と同様、ペルシア人もまた偶像崇拝をきらい、したがって神々を像の姿であらわすこ
とはなかったのである。(シュピーゲルもまた、ゼンド宗教について、それがユダヤ教徒親近性をもっ
ていることを説いているが、しかし彼はゼンド宗教がユダヤ教に由来すると主張している。)――
エホバがオルムズドの一変形であるように、アフリマンの変形がサタン、すなわちオルムズドの敵対
者なのだ。(ルターは七十人訳で、「サタン」となっているところを「敵対者」と訳している。たとえ
ば列王紀略上・第一一章、第二三節。)エホバ崇拝はヨシュア王の治下にヒルキアの援助によって生じ
たらしい。すなわちゾロアスター教徒によって受けいれられエズラによりバビロン追放から帰還した
さいに完成したと思われる。というのは、ヨシュアやヒルキアまでは、あきらかに自然宗教・星辰崇
拝・ベル崇拝・アスタルテ崇拝などがユダヤ王国で行われていたからであり、ソロモン王治下でも同
様である。(ヨシュアおよびヒルキアについての列王紀略を見よ。) 列王紀略: キュロスやダリウスが(エズラ以降)ユダヤ人に好意を示し、その神殿を再建させているが、
これはおそらく、それまでバアル、アスタルテ、モロッホなどを崇拝していたユダヤ人たちが、バビロンに
おいて、ペルシア人が勝利をしめしたときから、ゾロアスター教を受けいれ、エホバという名のもとでオルム
ズドに仕えるようになったせいではあるまいか。そうでなければ、あの好意は不可解である。キュロスがイ
スラエルの神に祈りをささげた(七十人訳聖書のエズラ書・第一巻二の三)ということも、このことと符合
する(そう考えなければ筋が通らないだろう)。旧約聖書のあらゆる先行諸書はのちに、すなわちバビロン捕
囚以後に作成されたが、あるいはすくなくともエホバの教えはのちに挿入されたかしたのだ。とにかくわれ
われはエズラ書・第一巻・第八章および第九章によって、ユダヤ教の最も恥ずべき面を知る。この選ばれた
民はここでその祖先アブラハムの不快・無道な手本にならって行動している。すなわちアブラハムがハガー
ルをイスマエルとともに放逐したように、バビロン捕囚のあいだにユダヤ人と結婚した婦人たちは、ただ人
種的にMauschelでないという理由から、その子供とともに追放されたのだ。この民族のより大規模な非行
を曲飾するために、あのアブラハムの非行があみだされたものでないとしたら、これ以上卑劣なことはほと
んど考えられない。 ユダヤ教の起源がゼンド宗教にあることを確証するものとして、ここについでながらあげておきたい
ことは、旧約聖書やその他のユダヤの典拠によれば、天使が雄牛の頭をもったものになっており、エホ
バがそれに乗って歩くということだ。(詩篇九十九の一.七十人訳聖書列王記略・第二書六の二、および二
二の一一。第四書十九の一五には「ケルビムの上に座したまう汝〔エホバ〕」とある。)エゼキエル書・
第一章および第一〇章の記述などに見られるように、半ば雄牛で半ば人間、また半ば獅子といったこう
した動物は、ペルセポリスにあるいろいろな彫刻、ことにモズルやニルムードで発見されたアッシリア
の彫像のなかに見られる。それどころかヴィーンにある彫像を施した石には、オルムズドがこのような
雄牛のケルビムに乗った姿が描かれている。このことの詳細はヴィーン文学年間一八三三年九月「ペル
シア旅行記」にある。なおユダヤ教のゼンド宗教起源についての詳しい説明は、J・G・ローデがその
著『ゼンド民族の聖なる伝説』で提供してくれる。これらすべてはエホバの系譜に光をあたえるものだ。
これに反して新約聖書はとにかくインド的な由来のものであるにちがいない。道徳を禁欲に移すまっ
たくインド的なその倫理、その厭世観およびその降化がこれを証拠立てている。しかし、まさにそのた
めに新約聖書は旧約聖書と決定的に内面的に矛盾することになり、けっきょくアダムとイヴの堕罪の物
語だけが、両者のつなぎになったのである。というのは、あのインドの教えが約束の国にはいってきた
とき、この世が堕落していて悲惨であり、したがってそれを救う必要があるという認識、降化をはじめ
として、自己否定と懺悔の道徳によって救われるという認識を――ユダヤ的一神教ならびにその楽天的
な「すべてはたいへん良かった」に結びつける課題が発生したのだ。そして、それは事情のゆるすかぎ
り、つまりこれほどまったく異質的な、否、対立的でさえある二つの教えを結びつけうるかぎりにおい
て、成功したのであった。 支柱や手がかりのいる常春藤のつるが、荒削りな棒杭にからみついて、どんなところでもその不格好
な形に順応し、その形を再現しながらも、自分の生命と優雅でそれに覆い、こうして棒杭ではなしに、
こころよい眺めをわれわれに見せてくれるのと同様に、インドの知恵に発したキリスト教の教えが、これ
とまったく異質的な荒けずりなユダヤ教の古い幹を覆ってしまったのだ。そしてもとの形のうちで保存
されなければならなかったものは、キリストの教えによってまったく別のものに、いきいきとした真実
なものに変えられたのである。それは同じもののように見えながら、ほんとうは別なものなのだ。
つまりこの世と切り離されていた無からの創造者は救世主と同一視され、またそれをつうじて救世主
を代表者とする人類とも同一視されたのだ。なぜなら、人類はアダムにおいて堕落し、それ以後、罪・
堕落・苦悩・死のきずなに巻きこまれていたけれども、救世主において救われることになるからだ。仏
教におけると同様に、ここでもこの世は罪や堕落、苦悩や死としてその姿を示すからである。――「す
べてをたいへん良い」と見たユダヤ的楽天観の光は消えて、いまや悪魔そのものが「この世の君」(ヨ
ハネによる福音書一二の三一)、文字どおりに世界支配者とよばれるのだ。この世はもはや目的ではな
く、手段となる。つまり永遠のよろこびの国は、この世の彼岸、死のかなたにあるのだ。この世におけ
る諦念とあらゆる希望をよりよき世界へ向けることが、キリスト教の精神である。しかしこのような世
界への道をひらくのは、贖罪、すなわちこの世とその道からの解放である。道徳においては、報復権の
かわりに、敵を愛せよという掟があらわれる。無数の子孫を約束することに取ってかわって、永生の約
束があらわれる。犯罪に対する神罰が四代の子孫にまで及ぶということにかわって、すべてを庇護する
聖霊が立ちあらわれるのである。 こうしてわわわれは新約聖書の教えによって、旧約聖書の教えが修正され、転釈を受けていることを
見いだす。このことによって旧約の教えは内面的・本質的にインドの古い宗教と一致するようになった
のだ。キリスト教のもっている真実な点は、すべてバラモン教や仏教にも見いだされる。しかし、無か
ら生命をあたえられ、しばしの時をおくるこの神のこしらえものである人間が、歎きと不安と困窮にみ
ちたこのはかない生存をあたえられたことに対して、いくらへりくだって感謝してもじゅぶんではな
く、そのためにエホバをどのように讃えても讃えきれるものではないというユダヤ的な考え方は、ヒン
ドゥー教や仏教にこれを求めてもむだであろう。なぜなら、新約聖書には、インド的知恵の精神が、は
るかな熱帯の原野からいくたの山河を越えて吹いてくる花の香りのように感知されるけれども、旧約聖
書では、インド的知恵に適合するものは人類堕落論以外にはなにものもないからだ。この堕落論は楽天観的
な有神論を修正するものとして、旧約聖書につけ加えられる必要があったのであり、じじつまた新約聖
書はこれを唯一の手がかりとして、堕落論に結びついたのである。
さてある種を徹底的に知るには、その類を知る必要があり、またその類そのものはふたたびその種
的様相においてのみ認識されるものだ。それと同様に、キリスト教を徹底的に理解しようとすれば、世
界否定的な二つの他の宗教、すなわちバラモン教と仏教を知る必要がある。しかも確実に、できるだけ
精密に知る必要があるのだ。というのは、サンスクリットがギリシア語とラテン語を真に徹底的に理解
する道をわれわれにひらいてくれるのと同様に、バラモン教と仏教こそ、キリスト教を真に理解する道
であるからだ。 いつか将来、インドの宗教に精通した聖書研究家があらわれて、キリスト教がインドの諸宗教と親縁
関係にあることをその特色をつうじて証明してくれるだろうという期待をさえいだいているわたしだ
が、さしあたって次のような点を注意しておこう。ヤコブの手紙(三の六)に見られる「生存の車輪」
(逐語的には「発生の輪」)という表現は、昔から「解釈者にとっての十字架」つまり難問のひとつだっ
た。ところが仏教では輪廻の車輪はきわめてありふれた概念である。アベル・レミュザの『仏国記』訳
二八頁には、「車輪は輪廻の象徴である。輪廻には円と同じように始めも終わりもないからである」と
書かれており、一七九頁には「車輪は仏教徒にはなじみの象徴である。その意味するところは、魂がさ
まざまな形をとる生存の円のなかで、次から次へと移ってゆくということである」と見える。二八二頁
には、仏陀自身が「真理を悟らぬ者は、車輪の回転によって、生と死におちいるであろう」と述べてい
る。われわれはビュルヌフの『仏教史序論』第一巻四三四頁に、次のような重要な個所を見いだす。
「彼は輪廻の車輪がどういう点にあるかを悟った。この車輪は動くと同時に動かないものであり、それ
には五つの目じるしがあるのである。彼は世人がこの世にはいって行くあらゆる道を破壊することによ
り、この道に対して勝利をおさめたのであった」と。スペンス・ハーディの『東洋の修道生活』(ロン
ドン、一八五〇年)六頁には次のように読まれる。「車輪の回転のように、そこには死と生誕の規則正
しい継起がある。その道徳的原因は物への執着であるが、それをひき起こす原因は業なのである」と。
同書一九三頁および二三三頁参照。また『プラボード・チャンドロー・ダヤ』(第四幕・第三場)には、
「無知は、この死すべき存在の車輪をまわしている情念の源泉である」と見える。継起する諸世界が不
断に生じては消えてゆくことについて、ビルマ原典によるビュナカンの仏教の説明(『アジア研究』第
肋間一八一頁)には、『世界の連続的破壊と再生は、大きな車輪に似ている。この車輪においては、わ
れわれは始めも終わりも認めることはできない」と言われている。(これより長い文章ではあるが、同
じ個所はサンジェルマーノの『ビルマ帝国解説』ローマ、一八三三年、七頁にもる。) 以上、アルトゥール=ショーペンハウエル 『意志と表象としての世界』より抜粋 元々ヤハウェってシュメールの神話に登場する神だったけど
シュメールなんだそれって感じなんだろうな文明と宗教の元祖なんだが >>217
ヤハウェ=エンキ起源説はもう古いよ
シュメールは現代文明の基礎だけど、エジプトは文字や娯楽の故郷って分けたほうがいいね バビロニア周辺の集落の氏神様、教義はバビロニア神話の派生、それ以上掘り下げても何かあるとは思えん。 >>1
本当、パラスアテナ=斧を持ったアテナ=パラシュラーマ=サタン=クロノス 仏教の開祖であられるお釈迦様、ゴーダマシッタールタはインドの一王国の王子様。
大体、世の中の不条理やら無情などに考えを致す事ができる方々は皆さんそれなりの地位や家柄のかなり恵まれた境遇に有った方々ばかり。
中国古代の諺に、人は衣食(住)や足りて(やっと、初めて)礼節を知る。(その日の衣食住に事欠く人々に道理や礼節を解いてもムダ。)
ところで、件の釈迦一族のルーツはインド大陸ではなくて、更に北西遥かのオリエント地方(中近東)だそう。
仏教の根本仏の阿弥陀如来とは、元来は太古のオリエント地方の唯一神(ヤ神と同根)を指しているのでは? ネパール説は確定でどの時期にネパールに移住してきたのか諸説ある スキタイの一派のサカ族とはちょっと違うんでねーのという意見のほうが今は強いんでは。
それより島田裕巳も最近新書で書いてたけど、原始仏典からは釈迦の生きた実像がうかがえないという意見の方が重要だと思う。
仏教もオリエント発祥の古い教義をいくつか併せたものなんじゃないか。 シャカがいたずらに身体・健康を蔑ろにする苦行を捨て、冷静なる修行を重ねた上で知覚した法理・仏教
これはそれまでの世界史上無かった新思想・新宗教だった
だからシャカはこれを民衆に理解させる為に手段として既存のバラモン教の神や架空の仏菩薩をも説法に使った
だからオリエントエリアのそういったものも仏教の本質である『法』を歪ませない範囲で採り入れた可能性はあるかもね >原始仏典からは釈迦の生きた実像がうかがえない
その辺を詳しく知りたい ヤタの鏡に我ありてあるものなりって書いてあるらしいな 我が名を 称えよ
我が 栄光に満ちた ならぶ者無き
名を 称えよ ゲルマン人。YAHMAN JAHMAN シャーマン、ジャーマン、JA ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 個人的にはユダヤ人の信仰していた民族神、
ユダヤ人が各地を放浪していくなりしてその地域の信仰の影響を受けて出来上がったのが
今のヤハウェ。 影響をうけた信仰は、「エジプトのアテン神」「ゾロアスター教」など
中東の方の神が同一視されるのは分かるけど日本の神とかは多分違う。
アテナはギリシャ神話のほうの神で、元はその地域の土着の神とか、ヤハウェが影響を
受けてるバアルの妻であるアナトが元ネタとか聞いたこと有るけど
女性の神だから別物 ヤハウェは元来ユダヤの神じゃなくて先住の遊牧民の神 昔からそう言われてる
ミディアン人が崇敬していた火山の神 ヤハヴェにはアシェラAsherahという妻がいたとされてる。
近東や、地中海世界の神々は互いに習合しあっていて、古代世界は法も十分に整ってないし、便宜的に多数の神や神的性質を必要とした? ゴータマは王子ではなく、単なる部族長の息子。
また、ブッダとかいう超人になんかにはなっていない。
ほとんどが、後世の創作。 ヤハウェの正体はヴァルナ。
砂漠で水が何より一番大事だった。 太陽神か火神の系譜だろうとは思うんだよな
天候神なら雷神・嵐神系
相当に荒っぽいからな ヤハウェの所業をまとめたらどんな感じになるんだろうか?
硫黄、火球、あと塩化もさせてたな
大洪水もだっけ はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
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ヤハウェは闇と水を創造してないけれど、闇と水は存在している。
これはゾロアスター教の光・火と対になっている。
すなわちヤハウェとはアンラ・マンユである。
ユダヤ教が蛇を神聖視していたのもそのためである。 人智学だと蛇たるルシファー性と唯物主義たるアーリマン性は対立原理なんだよなぁ ルシファー退治には、オオモノヌシノオオカミが一番。
蛇使い座。八次元素神。 ユダヤは蛇を信仰していた
青銅の蛇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85%E3%81%AE%E8%9B%87
ゾロアスター教の悪の創造神アンラ・マンユの化身アジ・ダカーハは蛇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%AB
旧約聖書編纂はゾロアスター教国家アケメネス朝ペルシャの支配下で行われた。
支配層アーリア系=ゾロアスター教。
被支配層セム系を纏めて支配するために編纂されたのが旧約聖書。
内容はアケメネス朝ペルシャの支配領域の説話の集合。
支配層アーリア系ゾロアスター教=光・火、アフラ・マズダ
被支配層セム系旧約聖書=闇・水、アンラ・マンユ ゾロアスター教徒が被ゾロアスター教徒を支配するために書いたのが聖書。
この構図が後世にグノーシス主義として浮かび上がる。
すなわち真の神とはアフラ・マズダであり、ヤハウェ=アンラ・マンユは偽の神だという信仰。 >>265
誤字訂正
ゾロアスター教徒が非ゾロアスター教徒を支配するために書いたのが聖書。
この構図が後世にグノーシス主義として浮かび上がる。
すなわち真の神とはアフラ・マズダであり、ヤハウェ=アンラ・マンユは偽の神だという信仰。 グノーシス主義の真の神は、正確にはゾロアスター教ズルワーン主義におけるズルワーン(=アイオーン)。
グノーシス主義が言いたいことは、
ユダヤ・キリスト・イスラム=アブラハム三宗教の元ネタがゾロアスター教だということ。
叡智を集めればそれが分かるだろう、と説いた。 仏教に取り込まれて?最高至尊(最初の仏)の阿弥陀如来(過去仏)?
お釈迦様の一族のルーツがオリエント地方だったのもあるかもしれません 釈迦という実在の存在によって説かれた仏教の経に、或る種の喩え・表現として出されている仏である阿弥陀は最高至尊(最初の仏)ではない
でもこの話ここではスレチか これからが本当の猛暑だ…!
四文字様は太陽と火山系だと思う 太陽(日)も大地(火山)も創造してるから違うでしょ まぁ聖書は後付けの小説だから…
…と言うとファンダメンタリストは怒るんだよな そもそもヤハウェがアケメネス朝ペルシャ以前に存在した痕跡は無い
https://www.cnn.co.jp/fringe/35074462.html
2700年前のエルサレムの王の印章ですら、ラー・ホルアクティやアフラ・マズダーと同型だからな 崇拝者の願望と政治的利害が神の有り様や、起源由来すら変容させると アケメネス朝ペルシャ支配下で聖書が書かれたことによる
支配層アーリア系に対する被支配層セム系の信仰の変容 有名な宗教哲学者が教会関係者な事も多いし、
無縁な感性で信仰心を掘り下げるのは難しいからね… https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3#.E6.96.87.E5.8C.96
サウジアラビアのマッカにあるカアバ神殿の黒石は古くは石質隕石などと言われてきたが、黒曜石と判明している。[要出典]
出典が明記されてないが、これがマジなら火山説はあり得る
ミディアン人が崇敬していた火山の神だと昔から言われてると>>248で書かれているが、何か出典はあるんでしょうか? カアバの黒石は
ワバーのクレーター群に落ちた隕石によって生成された
黒いガラスだよ 車椅子の物理学社者に概念的に殺されそうだよね四文字さん 〒320-0043 栃木県宇都宮市桜5丁目1−3の明治屋。
お前の従業員の珍走族バイクがうるせーんだよ!住宅街だぞここは!
お前のとこの爆音でうちの寝ていた祖母が動悸や息切れをおこし大変だった、絶対に許さない!
そんな事ばっかやってるから食中毒出して営業停止になるんだよ!そこにもと住んでた○○さんから脅迫まがいで格安で土地を奪い取ったこともここら辺りじゃ有名だからな?田舎の糞チンピラがっ! ヤハウェ
語源
はっきりしているのは、創世記の冒頭により、ユダヤ人(キリスト教徒、ムスリム)は、闇が主要素となる宇宙空間を構築した正体を、ヤハウェ(ゴッド、アラー)であると考えている点である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤハウェ#.E8.AA.9E.E6.BA.90
ヤハウェの正体は闇 ダークマター?
闇=悪は勘違いだろうとは思うけど
光とは熱・生命活動の発現以上のものでは無いのだろう 光とは
電磁気力により電子を媒体にして伝わる電磁波の一部(可視光) 善悪は全ての霊性によるものだから
悪い闇もあれば善い闇もあり
悪い光もあれば善い光もある >>301
はっきりしているのは、創世記の冒頭により、ユダヤ人(キリスト教徒、ムスリム)は、闇が主要素となる宇宙空間を構築した正体を、ヤハウェ(ゴッド、アラー)であると考えている点である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています