>>727
当時のことは当時の人にしか分からんけど、
各地の勢力圏の神主として朝廷側の役人が就いたことも多かったから監視や回収がしやすかったんじゃないの
風土記が徴収された時に元資料も朝廷側に回ったかもとか色々と考えられることはあるね

そもそも昔は、硯や筆や墨を所有していて教養があり、ある程度庶民をまとめるリーダー的な層しか文字が書けなかった/書く必要が無かったのでは?
中国に朝貢しなければならないような立場の人間とか、他の集団の長や朝廷などとやりとりする必要のある立場の人間とか

庶民は庶民で文字を使う必要は無かったんでは
小さなコミュニティでは口頭で充分だし遠出することもないし遠くに手紙を出す必要もない

ただ、文字を持たないアステカ?(うろ覚えだが南米系の文明)では並べたロープの結び目で数を伝える方法があったことは有名
同じく文字を持たないアイヌには、削りかけという木彫りの風習があって、神様ごとに違うデザインに削られた(ちなみにこの削りかけは神事に使われる「御幣」と起源を同じくするものではという説がある)
大陸側の民俗衣装の織り模様にも細かく意味を持たせていることが多い(連続した三角模様は波を表すとか)
そういうレベルの文字?なら庶民にもあったかもしれないね

あと九州地方の古墳壁画の模様は興味深いよ(どこのなんて古墳かは忘れたごめん、赤黒緑などで丸とか船とか書かれてる)