>>271
天武天皇が我が国の歴史を正しく伝えようとして古代出雲から、、、
編纂に携わったラインナップは正に古代の王朝、王権を担った家系の子孫たちでした。
が、それぞれの言い分、立場を主張し合うばかりで結局、「船頭多くて船沈む」のことわざ通りに編纂事業は頓挫してご破算になりました、

しかし、この編纂作業に際して持ち寄られ記述されたりしたモノが後に古事記や日本書紀の編纂の源資料と成ったようです。
が、古事記、日本書紀の編纂には持統天皇により「地みどろのキッタハッタの身内同士の醜い権力闘争はキライそんなモノ聞きたくも読みたくもありません。文章は爽やかで心地よい言葉にして表現しなさい」当初から足かせ手かせがかけられて
歴史書としては最初から❌ポン決定していました。