寛永16年の村文書に以下があった

折戸送神せんせん置申候所は、勘大橋そへの羽鳥分郷さかへに御座候を、
此の度の送神先規より送り申さず候所へ送おき申し候間、迷惑に在、
則ち送返し申し候を、与左衛門せいせいかせいを以、皆々うたれ申し候、迷惑申し候事

折戸、勘大橋、羽鳥は地名。
「さかへ」は境のことで、文書の趣旨は土地境の紛争なのだが、
この送神ってどういう行事なのか知ってる人いるだろうか