日本神話総合スレ九©2ch.net
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三 三三
/;:"ゝ 三三 f;:二iュ 何でこんなになるまで放っておいたんだ!
三 _ゞ::.ニ! ,..'´ ̄`ヽノン
/.;: .:}^( <;:::::i:::::::.::: :}:} 三三
〈::::.´ .:;.へに)二/.::i :::::::,.イ ト ヽ__
,へ;:ヾ-、ll__/.:::::、:::::f=ー'==、`ー-="⌒ヽ ←上坂すみれ
. 〈::ミ/;;;iー゙ii====|:::::::.` Y ̄ ̄ ̄,.シ'=llー一'";;;ド'
};;;};;;;;! ̄ll ̄ ̄|:::::::::.ヽ\-‐'"´ ̄ ̄ll
oノ oノ
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゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ |`----|
T | l,_,,/\ ,,/l |
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ / あの御仁は元々アニメ板からこのスレに誘導されてきた経緯があるから
その考古学板のスレにリンク貼って呼べば、一応来るんじゃない? 摂津一宮。名神大。座摩(いかすり)神社。
神功皇后由縁の創建。元地は、天満橋の南詰、現在、座摩神社の御旅所の辺りと伝わる。この辺りを渡辺と言った。
豊臣秀吉による大阪城築城のため郭外の現在地に遷座させられると共に地名も渡辺に変更(本町渡辺)
因みに現在、境内地には大阪府神社庁が所在。
祭神、座摩神(井戸(水源)の神)は宮中八巫(神)にも坐す特別な神さま。
我が国の大姓、渡辺氏の起こりで総氏神。
ここからは、私感、妄想ですが、
座摩神。通常、いかすり。とは絶対読めないので当て字なのは確実。
言霊?で解読したら、
、、、イ=立派、偉大(五十)
、、、カ=神、魂
、、、ス=「・」物事の中心、始まり
、、、リ=霊、神霊。
大変立派(厳)な御魂の国の中心、始祖神
また、
座摩、、、ザマ。
オツムを柔らかにして、
座はクラ(神霊の坐す所)。
摩=ま。神。
、、、クラマ。クルマ。
この神さまは倭大国主尊(出雲大神荒魂)の事。
また、砂鉄、製鉄に係わるらしい。
久留麻(淡路市。伊勢久留麻神社(鈴鹿市の久留真神社の分霊を奉遷。備達天皇の頃(天皇が疫病に罹患発症したため善後(西方から飛来する疫病遮断、玉体御持、当病平癒など加持祈祷)策として鎮座)〜))、
久留真(鈴鹿市。久留真神社(雄略天皇の頃?〜)呉国より招聘され来朝した三姉妹の内の漢織(アヤハトリ)姫命)を祀る、
来馬、(久留米)、車折(京都。創建譚に時の天皇が畏怖平伏する位ですから。本当の祭神かと) ホツマツタエは日本の正史
考古学にある。
一応生きてるな。 坐摩が当て字なのはおっしゃる通りだろうけど、
公式サイトの、
>坐摩の語源は諸説ありますが、土地又は居住地を守り給う意味の居所知が転じた名称といわれています。
http://www.ikasuri.or.jp/yuisho.html
という説明で上代語として十分理解できるよ。
い=居
か=場所を表す接尾語
すり=知るが転じたもの
という理解だね。
でも個人的にはい=威ではなかったかと思う。
上代語の勘だけど。
すなわち、
い=威
か=か(處)
すり=知り
神聖なる土地を支配するの義ではないかと思う。 >>5
が言ってる近世神話の話題に興味があるな。
ホツマツタヱと関わらせると、
「近世神話とホツマツタヱの成立」なんて論文にまとまりそうだ。 近世神話ってのは、中世にはあんなに神話が創造されていたのに
近世になるとその流れが途絶えて新たな神話が出てこなくなったっつう通念に対して
国学も偽書も神話を創造しているよ!と主張するためにつくられたカテゴリー 近世神話と言うと、平田篤胤なんか創作ギリギリなんだよな 暇だったので大まかなアウトライン作ってみた。
『偽書ホツマツタヱの研究・本文篇』
解説『ホツマツタヱ』
凡例
本文(本文・注)
校訂付記
索引
『偽書ホツマツタヱの研究・研究篇』
一、『ホツマツタヱ』研究史とその現状
二、表記についてー神代文字の中のヲシテ
三、国語音韻史から見る『ホツマツタヱ』
四、記紀原書説の批判
五、近世神話と『ホツマツタヱ』の成立
六、偽書『ホツマツタヱ』の思想史的位置ー研究の可能性
索引 『ホツマツタヱ』の文学的価値
歴史・考古学との関わり
についても入れたら面白いかな? 吉田唯さんがそのあたりの研究をちゃんとやってくれてるはずですよ 古典というのは注釈活動があって初めて古典たり得る、なんて話をどこかで聞いたが、
ならば『ホツマツタヱ』は「古典」たり得るのか?
現状ではオカルト界の「古典」なわけだが、松本善之助・池田満・鳥居礼らの研究(笑)も黎明期の注釈活動として位置づけてもいい気がする。
>>263みたいな研究書が然るべき人によって書かれれば、立派な古典といえる。
『ホツマツタヱ』は現在進行形で古典としての地位を獲得しようとしている書物、として位置づけてもいいと思う。 そんな20世紀の人を出さなくても、注釈は安永年間にはすでに行われてるよ ホツマツタエは、紀記の足りないところや不明確なところを綺麗に整合性を持って記載しており、紀記の原書としても矛盾は少ない。
また、日本の伝統文化の起源や暦行事の由来等を説明しており、なるほどと思えるところも多い。
アワの歌は、日本語の48文字を57調の長歌におさめたもので、いろはにほへと、とは別物である。
登場人物は神話の主が多いが、新たな神や地方権力者等はほとんど登場しない。
しかし、日本全土に数百の古墳が存在しており、天皇系統以外にも多くの権力者が居たことは明らかだが、ほぼ登場しない。
全体を通して、合目的的に整合された物語という印象を拭えない。
なんとも言えないが、興味深い古書ではある。 >>270
>紀記の原書としても矛盾は少ない。
記紀原書説には決定的な矛盾がある。
そもそも『ホツマツタヱ』自体は記紀の原書という主張はしていない。
それはオカルト研究家が本を売るためにでっちあげた虚妄である。
語彙・音韻史的・文体的に記紀より新しい形態をとるという動かしがたい事実があり、記紀原書説は完全に否定できる。
逆に言えば記紀が『ホツマツタヱ』を参観して成立した可能性は確実にゼロである。
>アワの歌は、日本語の48文字を57調の長歌におさめたもので、いろはにほへと、とは別物である。
記紀の原書であるならば、上代特殊仮名遣いが反映された87〜88の音価が区別されていないと整合性がつかない。
48文字に収斂していくのは平安中期であり、それよりももっと下った時代に平安中期頃の日本語を模して書かれた擬古文とみるべきである。
57調の長歌というのは記紀や初期万葉では定着しておらず、それは人麻呂以降、長歌が記載によって作成されるようになった時代以降に定着するのであるから、
ここでも記紀原書説は否定される。
仮に記紀原書であったとするなら、記紀への語彙・音韻・文体レベルの影響がみられなければならない筈であるが一切存在しない。
そのことは記紀原書説が成立しないことを裏付ける。
記紀原書という位置づけを捨ててこそ『ホツマツタヱ』は正しく評価されるようになる。 >>271
>記紀の原書であるならば、上代特殊仮名遣いが反映された87〜88の音価が区別されていないと整合性がつかない。
>48文字に収斂していくのは平安中期であり、それよりももっと下った時代に平安中期頃の日本語を模して書かれた擬古文とみるべきである
上代特殊仮名遣いを否定する立場もあり、最近の研究ではほぼ否定説が有力だよ。
記紀にある「一書によると」というのが複数の書物を前提にしており、原書となった若しくは引用元となった書物が多数存在したのは間違いない。 >>272
こう書いているが、ホツマツタエが本物だとは考えていないけどね。 イワナガヒメのくだりは近松をパクったのではないかというのを原田実が言っているらしく、
当時の文芸との関係も着目したいところだな >上代特殊仮名遣いを否定する立場もあり、最近の研究ではほぼ否定説が有力だよ。
それはオカルト界の話でしょ?
「最近の研究」とやらでどう否定されているのか説明できる?
上代特殊仮名遣いが彼らに理解されているとは思えないけどね。 >>274
それは興味深いね。
仰る通り、当時の文芸との関係について考察することは作品の源泉と影響関係を明らかにする上でも重要だと思う。
原田という人の説が本当だとすると、成立年代の絞り込みにも関わってくるね。
>>263のアウトラインも皆さんの意見を組み込んで改訂しなきゃな。
2ちゃんねる発の研究書があってもいいと思うんですよ。
身バレするから匿名で出すことになる(かもしれない)けど。 そういう素人のブログじゃなくて古代語の専門家による学史についての論文が欲しいなあ
たとえば
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_9e78.html
>松本はギリシア語での/k/の表記を引き合いに出し、/k/についてkとqの二種類の文字が使われていたからと言って
>それがギリシア語で2種の子音が意図的に使い分けられていたという事実を示すわけではないことを挙げ
とあるけど、ギリシア語に使われるギリシア文字にqは存在しないし、ラテン語の間違いならkとqは/k/と/kw/だから別物だし
初歩的な知識がない人に紹介をされても、と思う 古代5母音説は、決してオカルトでは無い。
今も続く学会の論争だ。 >今も続く学会の論争だ。
ぜんぜん聞かないけどね。 上記リンク先から引用
>それならば、と、こんどは言語学の第一人者、服部四郎東大名誉教授の見解をうかがった。
先生は、『君、その論文をどこで知りましたか。えっ、読んでもよく分からないって?そりゃ、当然です。
日本の学会で分かる人は二、三人しかいないんだから』と、早口でまくすように話されたあと、『君、よろしいか、私のいうとおり、ノートしなさい』と命じられた。
『松本克己君の論文は、昭和初年の有坂芳世博士いらい五十年ぶりに現れた、国語学史上の画期的な発見である。 ……』 >こうして、大学の紀要という地味な場所に発表された論文が、にわかに世間の注視を集めることになった。
この論争は、さらに舞台を雑誌「言語」誌上に移して続く。
翌年六月、日本言語学会の公開シンポジュウムが、同テーマで開かれ学会始まって以来の盛況となった。
この論争はその後数年続く。そして今日でも膠着状態にあるようにみえる。 Wikipediaの記事は中立な立場を求められるわけだから、かつて五母音説も存在した以上取り上げないわけにはいかないというだけの事だろう。
上代特殊仮名遣いは学会の常識というか定説であって、異論があったとしてもそれは既存の国語音韻史を塗り替える程の影響力はないというのが実情だね。 奇形おっぱいの数とか形とか足の奇形とか。
の考古学とか民族神話宗教の一般書とかおいてる店ある?自。 神話に多そうだけど世界の。外も。 藤井説もけっこう危ない橋を渡っているね。
直接著書を見たわけではないので、暫定的にブログのまとめで考えることになるけど、下記の説だと、
第一に、上代特殊仮名遣いの書き分けを条件異音とするという前提が正しいか、ということがまず指摘できるよね。
次に、奈良時代の識字層はもれなく渡来人ということになるね。
記紀万葉の編者も皆そうだということになる。そうしないと上代特殊仮名遣い=条件異音の前提を支えられないからね。
だから「それは白村江の戦いの後に帰化した百済人が中心だったに違いない」なんていう類推をするしかなくなる。
でもそのことに関する論証が見えてこない以上、その主張には無理があるとしかいいようがない。
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_437a.html
>藤井游惟氏の著書『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い―「日本」を生んだ白村江敗戦その言語学的証拠 』は、上代特殊仮名遣いの甲・乙の書き分けは、「条件異音」を示したものだ、とする。
>「条件異音」とは、異音が前後に接続する母音や子音、アクセントなどの「条件」に従って規則的に現れる場合をいう。
>重要なことは、母語話者は、その発音の差異について、無意識・無自覚であることであり、それを意識するのは、言語的外国人である、ということである。
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_f441.html
>つまり、藤井游惟氏は、上代特殊仮名遣いを書き分けたのは、条件異音を聞き分けた言語的外国人であり、当時の歴史的状況からすれば、それは白村江の戦いの後に帰化した百済人が中心だったに違いない、とする。
奈良時代の日本語も、現代の日本語と同じように5母音であり、あたかも8母音のように書き分けられているのは、条件異音を書き分けたからだということである。
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_16ad.htm
藤井氏の説を要約してみよう。
@上代特殊仮名遣いは、条件異音を写したもの
A条件異音を聞き分けられるのは、言語的外国人
B当時の歴史的状況からすれば、それは「白村江帰化人」とでも呼ぶべき百済人
C三世から四世の世代になると、日本語が母語化して、条件異音を聞き分けられなくなる 白村江以前の仮名資料から上代特殊仮名遣いが見えないか考察してみた。
有名な稲荷山古墳出土鉄剣銘を今回取り上げることにした。銘文は以下の通り。
「辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比」
「其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%87%BA%E5%9C%9F%E9%89%84%E5%89%A3
「辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。
其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(ワク(カク)カタキ(シ)ル(ロ))の大王の寺、シキの宮に在る時、吾[5]、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。」 万葉仮名を抽出して番号を付した。
@ヲワケ:乎獲居
Aオホヒコ:意富比垝
Bタカリ:多加利
Cスクネ:足尼
Dテヨカリワケ:弖已加利獲居
Eタカヒ(ハ)シワケ:多加披次獲居
Fタサキワケ:多沙鬼獲居
Gハテヒ:半弖比
Hカサヒ(ハ)ヨ:加差披余
Iヲワケ:乎獲居
Jワカタケル(※ワカタキロ):獲加多支鹵
Kシキ:斯鬼
抜けてるのがあったら指摘してほしい。
Jはワカタキロであろう。理由は以下に述べる。 万葉仮名を五十音順に列挙した。
お:意
か:加
キ・支鬼(※支は甲類・鬼=磯城の城ならびに師木の木は乙類)
ケ・居(支)(※支は万葉仮名ではケで読まない)
コ・垝
さ:沙差(二字の違いは清濁の反映か)
し:斯
す:足
た:多
て:弖
ね:尼
は:半(披)
ヒ・比(披)
ほ:富
よ:已
り:利
ろ:鹵
わ:獲
を:乎 こうしてみると、基本的には一音につき一字の原則があることがわかる。
複数の漢字が試用される音は上記の如く限られている。
なお、「は」「ヒ」に関してはまだ定説をみないので、考察の対象外とするが、俺は「披=は」と読むべきかと思う。
ついでに「さ:沙差(二字の違いは清濁の反映か)」としたが、確認したら両者とも清音であったため、区別の有無について確かなことはいえない。今回は例外と考える。
wikiでは獲加多支鹵について「ワカタケル(ワク(カク)カタキ(シ)ル(ロ))」と複数の説を並列するが、
同銘文の用例からして
獲わ加か多たと読むことは間違いないといえる。
また、支鹵については万葉仮名の用例では「支」はキと読む。
「鹵」は万葉仮名に用例はない。呉音では「ル」、漢音では「ロ」と読むが、『新漢和大字典』に載せる漢字音の変遷をみると「lag-lo-lu-lu」と説明されるため、我が国には「ロ」の音で伝わっていた可能性が高い。
だが、「ル」の方が意味が通るので「ワカタキル」と読むことも許容する。
問題となるのは甲乙の区別があった「キ」音についてである。
「獲加多支鹵」の支は万葉仮名では甲類である。
「斯鬼宮」の鬼について万葉仮名では用例はないが、シキは磯城(師木)であろうと比定されることを考えると、
その「城」の音ならびに師木の「木」の音は乙類であることから、ここには上代特殊仮名遣いの反映を認めてもよい。 蓮レスしてすまんね。意見があったら聞かせてください。
ついでに紹介しておきます。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-4/2010_1115.htm
藤井説に関して藤井氏本人から解説を受けたという人の日記サイト
>■ すでに上で述べたように、西暦652年に完成する難波宮以前の7世紀中頃に作られたと推定されている万葉木簡は、白村江敗戦の以前のものである。この木簡に記された万葉歌は、一音一字の万葉仮名で綴られている。
>また、稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣には、雄略天皇に比定される獲加多支鹵(わかたける)大王や、その杖刀人だった乎獲居臣(おわけのおみ)の先祖の名が一音一字で記されている。
>■ 当時の記紀歌謡や万葉歌を、亡命百済人たちが朝鮮漢字音でそれを書き記したとするなら、朝鮮漢字音の存在を示す物証が百済の領土だった地域から出土していなければならない。しかし、寡聞にして筆者はそのような事実を聞いたことがない。
http://www.lun.ac/history/wa/wuekkatachilo.php
学研『新漢和大字典』を駆使して読んでみました、という読解説 >>270
ホツマツタエは、神話の国である島根公認の説話ですからね
俺もそれ知って驚いたけど、須佐神社行って認めるしかなかった 神剣あれこれ
古事記日本書紀に「神剣の形代を作った」記述はない
だいぶ後の時代の書物で記紀神話の時代に「神剣の形代作った」という記述あり
ソースは古語拾遺
平家が三種の神器持って西へ
後鳥羽天皇即位で大揉め>三種の神器がないから
壇ノ浦で神剣水没>大問題となる
以降27年間神剣捜索の上皇天皇頼朝の命が下り続ける
※安徳天皇は神剣と共に生き永らえ徳島の祖谷で天寿を全うしたという説もある
神剣は当時石立山とも呼ばれた剣山に埋蔵され、故に剣山と言う
揉めに揉めて…
最終的に伊勢神宮で、人が制作し、贈答済みの剣を、神剣の形代とすることに
水没から20年ぐらい後
平家の西へからみれば30年近い間揉めに揉めて大問題となった
熱田神宮はオリジナルが熱田神宮にあると主張
でも見せられない。あるかどうかは確認できない
「古語拾遺」でサクッと作られた形代は、
熱田神宮にあると主張しているオリジナルの神剣からは作られなかった
以上。神話というより歴史の世界の話です 八俣遠呂智は女神?男神?
性別不明
・古事記日本書紀
・島根・鳥取の説話(ヤマタ縁の地にイワナガヒメの神社や史跡あり)
女神説
・鵜鳥(うねどり)神楽「岩長姫」でヤマタノオロチがイワナガヒメに転生しヤマトタケルと剣争奪戦を行う
・黒森神楽「岩長姫」でヤマタノオロチがイワナガヒメに転生しヤマトタケルと剣争奪戦を行う
・南部神楽「宝剣納め」(江戸時代成立)で、ヤマタノオロチにまつわる剣を奪うイワナガヒメが蛇になる描写あり
・愚管抄(13世紀)、では安徳=龍王(ヤマタ)の娘ないし安徳=龍王の娘=ヤマタ
安徳天皇=ヤマタ、女性説は当時からある説話で、それを元に歌舞伎、人形浄瑠璃「義経千本桜」もある
・江戸中期ごろの『秀真伝』では天照の十二妃の一人
・近松門左衛門の「日本振袖始」(18世紀初頭)にてイワナガヒメがヤマタノオロチだという設定あり
文楽、人形浄瑠璃他にもあり。義太夫の八雲猩々も同内容
文献的には、鎌倉初期が初出(後述の愚管抄、平家物語などから)
説話的には、神代の時代ないしヤマトタケルの時代までさかのぼる 男神説
・平家物語(13世紀)、太平記(14世紀後半)で、安徳天皇=ヤマタノオロチ
※ただし平家物語中に安徳天皇を女性かも?と思われる描写あり
・伊吹山系の物語(中世末期)では、伊吹山の明神はヤマタノオロチ(酒呑童子の母を孕ませたことから)
文献的には、鎌倉中期が初出
説話的には、中世の時代までさかのぼる
参考20170304-0310上映シネマ歌舞伎「日本振袖始」
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/26/ よくもまあ、飽きずに連投を続けるもんだ
アニメ板で美少女アニメの感想書いてた奴が一人、この板を知って居ついたってことでもあるか
荒らしだけど
言っておくが、この板は基本的に新規参入者なんて滅多にないから、そのコピペを続けても
君の惨めな醜態を知っていて、鼻で笑う人間しかスレにはいないぞ
で、まあ、せっかくこの板に来たんだ。他のスレも覗いて、良かったら書き込んでみてくれ
君の信仰に関わるホツマツタエやヤマタノオロチと無関係なスレなら
多少は冷静な書き込みも出来るんだろ?
過疎板なんでな。何か話題があったら他のスレにも投下してやってくれ 話を戻して、上記の情報からだと松本・藤井両氏の五母音説の不備は明らかだね。 『ホツマツタヱ』と他の偽書との関係について簡略に記したサイトがあった。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/shosai/gisi-001.html
>井保勇之進(和仁估容聡)が近江国三尾神社に"長期孤立文献"『秀真伝』を奉納したのは、丁度同じ頃【1779(安永8)】です。
>大成経と秀真伝の派生関係については、大成経序の「泡輪宮の土簡の記述等に基づき、聖徳太子・蘇我馬子が撰」という来歴が、秀真伝の出現譚と類似しているところから、支持者の間で議論となったところと聞きます。
>しかし大成経の初出が秀真伝より100年溯るのは動かし難い事実です。 >>293
>ホツマツタエは、神話の国である島根公認の説話ですからね
ソースはあるの?
>俺もそれ知って驚いたけど、須佐神社行って認めるしかなかった
俺も7年前に参拝したけど、そんな記憶はないな。
ソースがあるなら教えてくださいな。 自治体が特定の説話を「公認」していると主張すること自体ナンセンス 住吉ジョッキー大社。みゆき。鳥居 loves .神学 心理学 文学 説話に公認も何も…
古事記日本書紀も写本しかなく偽造ねつ造一杯
大昔のラノベですぜw で、ホツマツタヱ専門スレの件ですが、需要なさそうなのでやめときます。 >>303
史料の見方もわからんニワカはすっこんでろ DJ GENSEI 幻魔 ツキ売り。
新しいゲームでも売りに出そうかな。ゲーム音楽も作らないと。 魔法を使って仕事をした。心理魔法 心理魔術の調合も進む。 >>306
原本が残ってる古典がどれだけあると思ってんだ 神楽に至っては無条件で神代の古態を引き継いでいると主張するのに、
由緒ある伝本はまったく認めないらしいな。
意地になってるだけだろうけど、ちゃんちゃらおかしいな >>311
原本ないものなどゴミだ
これが現実の常識 >>314
じゃあ源氏物語もゴミなんだな
古事記も日本書紀も、最古の写本は国宝
それ以外も重文
これが現実 中世神話も面白いな。
アマテラスの本地は大日如来で仏教が栄える国になるから、
それを阻止しようと仏教の敵対者・第六天魔王が登場してアマテラスを妨害する。
しかしアマテラスは第六天魔王に、自分は仏教を近づけないと言葉たくみに安心させ、追い返してしまう。
そのためにアマテラスを祭る伊勢神宮では仏教を忌避するが、日本国全体は、
仏教が栄えたという神話が語られる。(鎌倉時代後期『沙石集』) イザナキ・イザナミが、第六天魔王の妨害に美しい姫を与えて安心させたとかいう話もある。
「古今和歌集灌頂口伝」
逆に第六天魔王こそが本来の国土の支配者で、アマテラスは魔王から国を譲られ、
その「譲状」が内裏にある三種の神器のひとつ=神璽であったという秘事も伝わっている。
「日本書紀私見聞)
やっぱり第六天魔王はスゲーな。 中世神話は仏教との関わりの中で神道を位置付けようとするムーブメントの産物だけれども、中世人の発想は面白いよね。
中世日本紀の研究もホットみたいだし、関連書を読んでみようかな。
おすすめの本があったら教えてください。 つまり『ホツマツタヱ』の正統性を指摘できないから記紀を貶めてやるという魂胆なのだろうけど、
記紀が写本であるからといって、偽書の『ホツマツタヱ』と同列になることは無いから安心しろ。
写本であることと偽書であることとの間には何の関係もない。まあお前には難しい話だろうがな。 ホツマツタヱって時代錯誤の記述や近世以降の語彙なんかも散見されるから、
実際の成立は18世紀だろ。
最終的に完成させたのは、井保勇之進てとこだな。 >>322
そうだろうね。
時代錯誤の記述…
・花押の存在(花押の習慣が始まったのは10世紀中葉以降)
・ホツマツタヱ序文の短歌
「イソノハノ マサコハヨミテ ツクルトモ ホツマノミチハ イクヨツキセシ」
a)古今和歌集の仮名序のたとへ歌との類似
「わが恋はよむとも尽きじ荒磯海の浜の真砂はよみ尽くすとも」
b)石川五右衛門(生年不詳 - 文禄3年8月24日)の辞世の歌との類似
「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」
近世以降の語彙…
・江戸時代から用いられ始めた「めかけ」の語の存在
http://gejirin.com/gsrc/me/mekake.html
『こおもてよ もしつまうます たねたえは めかけめおきて たねなせよ』ホ13
『めかけとなれる めのつとめ つまおうやまえ めかけめは ほしになそらふ』ホ13
『つまとめかけと やにいれは いゑおみたるそ』ホ13
『つきはよる つまなうとみそ うちをさむ めかけのことは なまつりそ』ホ13
音韻・語彙レベルの分析で江戸時代の成立であると断定できる。 『ホツマツタヱ』の本文は以下のサイトで読める
http://gejirin.com/index.html
ただしここのサイトの語釈はハチャメチャでまったく信用ならないから要注意
鳥居礼の『完訳秀真伝』の語釈はしっかりしているんだろうか・・・? 藤原明「〈中世日本紀〉と"古史古伝"」『歴史読本』編集部編『危険な歴史書「古史古伝」と「偽書」の謎を読む』所収、新人物往来社、2012年3月24日
〔引用開始〕
>表1"古史古伝"の主要な書目の〈中世日本紀〉を中心とする言説との類似例の一部
>秀真伝
>検出し得た事例は最も多い。うち4例のみを記す。
〔引用終了〕
その4例は以下のとおり
・天照男神、ヒルコ女神説
・男女の道としての「伊勢の道」
・30回転する胎児の説
・「世継の文」
これらの指摘から藤原明氏は、ホツマツタヱは中世日本紀の言説を踏まえて成立したと見ている。 ホツマツタヱは中世日本紀の言説を体系化して江戸時代に成立したものといえる。
そしてそれは、相伝によって秘匿化される事で権威化がはかられた中世的な知のあり方と、近世的な国学の実証主義との間にこそ成立し得たのである。
同時にそれは文字ナショナリズムの高まりを受けて独自のヲシテ文字を創作することにも繋がった。
神代文字という装いをする事で、相伝されてきたという伝本の「物語」を権威化しようとしたのである。
このような中世的な神学のあり方は国学によって実証的批判の対象となり完膚なきまでに否定されることになる。
ホツマツタヱはそうした国学へのアンチテーゼだったのである。 >>327
本居宣長の活動期と重なるよ。
何か考えをお待ちなら聞かせてくださると嬉しいです。 ホツマは近世以降、一部の僧侶や神道家の間で、神書として珍重されていたけどな。
古史古伝研究者の話題に上るようになったのは、昭和41年、松本善之助が古本屋でホツマの写本の一部を見つけ、
解読と探求に乗り出してからだろ。 >>329
おっしゃるとおり、春日山紀の作者僧溥泉や
小笠原家と井保家で珍重されていたよ。
仮に、もしかしてだけど、「国学がホツマツタエを叩いた」と読んだのなら、それはミスリードです。こっちの書き方が悪かった。 >ホツマツタヱはそうした国学へのアンチテーゼだったのである。
というのは誤解がありそうだから一言添えておくと、
ホツマツタヱ自身がそう意図して製作されたということではなくて、
「結果としてそうなった」という意味で読み取ってください。
かっこつけて書いたらまとめきれてなかったよ。 中世神話のアメノミナカヌシも面白いな。
外宮のトヨウケと習合しちゃうんだもんな。
外宮は内宮と比べて神社としての格も下だし、荘園制度の時代になると、
国家からの経済保障を失ったからな。
自らの荘園を確保しようとすると寄進しかないわけで、たんなる御饌津神でしかないトヨウケは、
信仰の宣伝手段としては不利だった。
そのために鎌倉時代中期あたりから外宮では、トヨウケの神をレベルアップするための、
新たな「神話」がつくられたってのが裏の事情らしい。
そうしてつくられたのが神道五部書ってやつだ。 神道五部書だって偽書だけど、その影響力はホツマツタエの比ではなかったね。
中世人は「偽書」という現象に比較的寛容だったみたいだ。
中世的な知のあり方というやつだね。 神道五部書のひとつ御鎮座次第記にはトヨウケのことを、
「天照止由気皇太神(あまてらすとゆけのすめおおかみ)」と書いてある。
そのため、中世では外宮を「豊受皇太神宮」と「皇」の字をつけて呼ぶことが一般的になった。
もちろん「皇」の字は内宮=天照皇太神宮の独占なので、「皇」の字の使用を禁止する
内宮からの訴訟事件も起きている。 外宮神官たちの尽力は凄まじいよな。
格差解消の情熱が伊勢神道の理論化の推進剤だったんだね。
神祇信仰は古代律令制の理論的支柱だったけど、その古代律令制が弛緩しはじめる事によって神道神学が急進化していくのは興味深い現象だ。 アメノミナカヌシとトヨウケがいかなる機縁で結びついたのか興味あるな。
(神道五部書はちゃんと見てないんだよね)
度会神道における
クニノトコタチ=トヨウケ同体説
アメノミナカヌシ=クニノトコタチ同体説
が合わさってアメノミナカヌシ=トヨウケ同体説が出来たのかなーと今は思ったりするが、詳しく調べてみないとわからないな。
アメノミナカヌシってのは、外来思想的・理念的な神格で、そこいらの自然神なんかと比べたらよほど新しい存在だと思う。
古事記が殆ど流布してなかった時代は書紀の一書第四に出てくる程度のマイナーな神だったろうし、伝承も文献に伝わっていないし。
だからこそ他の神格と結合しやすかったんだろうけど。 神道五部書は岩波日本思想大系の『中世神道論』に入ってるから買って読むといいぞ
Amazonの中古だと1000円以下で買える >>338
ありがとう。
実は日本思想大系の『中世神道論』はすでに持っているんだ。
でも目次を見ると「倭姫命世記」しか収録されていない。
國史大系の古事記と合冊になったやつを買うしかないかな。 まあでも授業でちらっと読んだっきり手元にあるまま積ん読してたから、
これを機会に読んでみようかな。 中世の外宮神官たちは、「超越性」「根元性」「唯一性」といった抽象的なものに拘っていたからな。
アマテラスに勝てるとしたらそれしかないからな。
天地開闢のときに出現したアメノミナカヌシを、自分たち(度会氏)が祭っていた土着の神(トヨウケ)と
=にしちゃえば、アマテラスよりも箔がある神様にできる。
だから神話を勝手に作り替えたんだよ。
で、=にした(作り替えた)ら外宮神官はあることに気がついた。
トヨウケ=アメノミナカヌシで「皇祖神」という話も作れるぞってな。
天皇の系譜の始祖となるホノニニギはアマテラスの孫にあたる。
そしてホノニニギは、アマテラスの子神アメノオシホミミとタカミムスヒの娘
タクハタチヂヒメから生まれた御子神とされる。
これをベースにして、タカミムスヒの父神はアメノミナカヌシ=トヨウケであるので、
結局は天孫ホノニニギとはトヨウケの孫娘の生んだ御子神である(御鎮座本紀)。
天皇家は、アマテラスの息子とトヨウケの孫娘とのあいだに生まれた神の降臨から始まる。
だから外宮祭神も「皇祖神」というわけだ。
まあ、自分とこの祭神にアマテラスよりも箔をつけるために、神話を勝手に作り替えたあげくに、
「トヨウケは皇祖神です」なんて言われたら内宮神官は「はあ?」ってなるわな。 >>322
古事記と日本書紀も同様ですよ
所詮はねつ造コピーしかないのが古事記と日本書紀 まあ、あらゆる古典のテキストの成立というのは、
つねにあやふやなものが多く、とくに中世などは「偽書」のオンパレードなのだから、
「古事記」の序文が、そのテキストを権威化するために偽作されたことは、当然ともいえる。 「日本書記」は問題ないが、「古事記」は非常に胡散臭いのは事実だからな
本居以前は知る人ぞ知るマイナー文献にすぎなかったし >>343
また現れたね。
『古事記』序文偽書説を唱えるなら以下の点を踏まえて立論してくれないか?
・本文がいつ出来たのか
・序文がいつ、だれが、なんのために、どのように仮託されて書かれたのか 現在読まれている「古事記」や「日本書紀」は奈良時代の原本ではないからな。
のちの時代に書写・転写されていった「写本」だから、
書き写した人がどさくさまぎれに手心を加えて、
付け足しなり改竄なり神話の作り替えをした可能性ってのはあるんだよな。
坊主が書写していたりするしな。 可能性の指摘はいいけど、具体的にどこに手心が加えられて、付け足しされて、改竄されて、作り変えられたのか具体例を挙げて指摘してくれないかな?
でないと話にならん。 そんなので他人を説得できるわけないじゃん。さよなら 「〜である可能性はゼロではない」
「〜の可能性は否定できない」
オカルト本の常套句ですねわかります なら書き写された写本に手心は加えていない、付け足しもない、改竄もないということを
具体例を挙げて指摘してみなよ。 このスレの強力な味方
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