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春日大社の坊が調子こいてる [無断転載禁止]©2ch.net
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0015天之御名無主
垢版 |
2018/12/11(火) 06:16:12.63
age
0016天之御名無主
垢版 |
2019/01/28(月) 18:07:02.30
(八幡神とは!?)
そもそも八幡神は本来、応神天皇とは別の神、
中国または朝鮮からやって来たと自分で言っている。
『宇佐託宣集』『豊前国風土記』
720年、皇室の出身部族である隼人族を大量虐殺。
749年、聖武天皇の大仏建立に便乗して上京。
日本古来の神道を仏教に習合せしめるきっかけを作ると
ともに八幡神は出世を果たす。
この頃から九州にゆかりのあった応神天皇の経歴を利用して八幡神=応神天皇
を名乗り始める。
754年、上洛を果たした八幡神の巫女が呪詛を行った罪で配流、八幡神も
伊予国に配流される。
769年、道鏡に皇位を譲るべしと託宣して皇位及び日本国の滅亡を図る
775年、井上内親王不審死(八幡神を都に招き入れた聖武天皇の系統途絶える)
以降、天災、皇族らの不審死が相次ぐ
777年、八幡神は世間の目をかわすために出家したと宣言。
794年、桓武天皇は仏教勢力から逃れるために平安京を造営
862年、石清水八幡宮護国寺を創建(同じく九州から勧請された高良神社
を乗っ取ったのではないか?!)
939年、八幡神、平将門に「新皇」の位を授け、日本国の分断を図る
朝廷は乱平定を八幡神のご加護と勘違いし、以降頻繁に石清水八幡宮護国寺に
行幸祈願するが、そのたびごとに朝威はますます衰え、ついに
日本国内は争いが争いをよぶ戦国の世となり、皇室、朝廷は御所の築地塀
さえも修理できないほど衰亡してしまう。
1867年、朝威を回復した孝明天皇は石清水八幡宮護国寺に行幸したが
突如謎の不審死を遂げた
1868年、ながらく扇動してきた神仏習合の宗旨を捨て当時の
朝廷から贈られた八幡大菩薩を改め八幡大神へと転身する
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