八幡神とはなんだっとのか
古代、大和朝廷と熊襲隼人の界に生まれた神
なぜ応神天皇なのか 1原始八幡信仰(宇佐の地方神)
古来からの在地氏族・宇佐氏が奉斎する比売神信仰と、
渡来系氏族・辛嶋氏のシャーマニックな新羅神信仰が習合
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2応神八幡信仰
大和から来た大神氏が奉じる「応神天皇霊」が霊格に加わる
奈良から平安にかけて応神天皇霊と習合
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3八幡大菩薩信仰
桓武天皇の御代783年に得た称号で、神仏習合の先駆け。聖武天皇霊とも習合
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4武神八幡信仰
武家の頭領・清和源氏の氏神として石清水八幡宮を中心に武神として崇敬され、全国各地に分祀された
神社界きっての最大勢力となっていく 八幡神のことを飯沼賢治さんて別府大の学長さんが書いてる
何か、なかなか頭に入ってこない
飯沼さんの専攻は古代中世史というが
古代なんだか中世なんだかどっちなんだ 新沼けんじ→鳩の鉄人
鳩→八幡さんのお使い
八幡さん→飯沼けんじさんがくわしい 八幡さまは、誰かの夢で
「出家したい」
といったの?
八幡大菩薩の姿になった由来だけど 大仏建立の時に製鉄民の協力を得るために
八幡神と大日如来を習合せざるを得なかった >>4
この先生、ブラタモリ湯布院の回に出てなかったか? >>2
2/13にBSで宇佐神宮概史が放送され宇佐神宮の
山本宗龍権禰宜も登場されました。
『祈り〜神と仏と〜』 第六話「僧形八幡神像とは何か 〜造形と建築〜」
東儀秀樹(雅楽師) 山本宗龍(宇佐神宮 権禰宜)
BSフジ 2021/02/13(土) 12:00 - 13:00 八幡様を祀ると漏れなくママンが着いてきます
ママン目的の方、手を挙げて! ローマ神話でいうと勇猛なマルス。
決してギリシャ神話でいう暴君のアレースではない。 日光の権現号選定において、天海がこだわった「日本」は道成寺物語として形象化された「安珍」こと本牟智和気を示す。
ところが秀忠を怒らせるまで何度も質問して決定された「東照」は、難升米「東」の養嗣子から火照命・司馬昭の養子に
直った伊佐倶。「安珍」の本義は崇~天皇影武者「土流馬」であり、土流馬と女王卑彌呼嫡女ワチツの子が本牟智和気。
崇~天皇イセンと其の兄たるイザノ、イザノ嫁のワチツを、隠居地のバリ島に召喚して狗奴國との戦争指導した女王卑彌呼
であるが、この時イセンを殺して土流馬にスリ替えた。崇~天皇日嗣御子の活目毘古が二年前に闘死していたので、多島
天皇制の掟を適用したのである。女王卑彌呼は10カ月後に伊佐倶を出産して、すぐに死ぬ。伊佐倶はイマスの子と誰もが
信じていたが、実際は土流馬の子だったようである。土流馬はワチツにも、本牟智和気を生ませているので、親子丼である。
伊佐倶と、年のはなれた兄の都市牛利イザサとは仲が良く、都市牛利は数多くいる自分の孫娘から美形を選んで伊佐倶に与え
彼等の子孫が平安朝天皇家である。宇佐にて~上りしたイマスが魔界と取り結んだ約定が「イマスの子孫を天皇にすること」
であり、魔界は一定の遵守配慮はしたが、気に入らない処があり、結局は平安朝天皇家を滅ぼしている。~武イマスの孫たる
香坂・忍熊の子孫から後水尾天皇が建てられ、現在の天皇家に血が繋がる。「イマスの子孫を天皇にすること」は宇佐にて
最初の妻である倭比賣アジと再会した時のイマスの計略であり、アジの側に自分の父祖たる清日子、メヒ、イカイ、イタイ。
女王卑彌呼の父祖たるミンとアヤが居たからである。宇佐~会議の議長が祝主キイで女王卑彌呼の実兄。イマスの出鱈目な
主張に怒ったキイは、魔界ゲシュタポ長官の建猪心にイマス引渡し、公開リンチに掛けられた~武天皇イマス~霊は~上る。
宇佐~会議に招待されなかったのが「三~」。本物の倭比賣リサと、アジが心底恐れていた「~服」~の香坂・忍熊である。 北九州がヤバタつまり邪馬台国で
八幡市から宇佐あたりまでずっと八幡
愛媛側の八幡浜は大分向きだけど八幡側の浜って名前だし
応神天皇は八幡生まれだから八幡ってだけ 製鉄と共に新羅から渡ってきたと言われるけどその元になった神様が朝鮮に残ってるとは聞かないんだよな
誰か詳しい人いる?