標準語を許されなかった地域、民族
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低学力バカ蝦夷ジジイの恥ずかしい間違いw
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1.> 未だに恥をかき散らしまき散らす
2.喋べる()
3.祖父の地()
4.>創造()してごらん
明治時代で思考が止まっていて基礎的な国語力すらないくせに、教育者を気取るとはちゃんちゃらおかしい。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 バカチョンは随分威勢がいいねぇ?w
おまエラ在チョンが、全ての朝鮮人の死を確定させちゃったってのにさぁ?w そう、方言こそまさに造語と言えるのではないだろうか
標準語の見よう見まね、聞きよう聞き真似で作られたのだ! 独自の文化を作り上げたので標準圏から見るといびつな感じがするらしい え?w
現代の日本に「標準語」なんてないけど?www
常識が70年以上遅れた老人かな?ww 標準的な日本人と非標準的な日本人
あっ!そうか!w 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
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>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 https://www.google.c...try-11836518966.html
>(略)ヒョウジュンゴは、政府主導のものでしたので、全国民にそれを推薦・強要しました。その押しつけは、これまで日本で使われていた方言を排斥しようという動きにまで発展してしまったのです。いわば強制的に決められたのが「ヒョウジュンゴ」なのです。
>「ヒョウジュンゴ」という呼び方は、第二次世界大戦時まで使われていましたが、戦後になって廃止されました。その代りとなったのが「共通語」という考え方です。
>「共通語」には、自然発生的に全国に広まり、使われるようになった言葉であるといった意味が含まれています。けれども、「共通語」のもとは、明治以降強制的に行われてきた「ヒョウジュンゴ」です。
>ただ、戦後から今現在まで、日本では法律などで「このような日本語を使うこと」といった決まりはありません。
>今でも「ヒョウジュンゴ」と「方言」を対比させて言う人がいますが、それは誤りです。
>今は、日本のどこに行っても通じる「共通語」があり、それ以外に、地域の中で使われている「方言」が、この日本にあるのです。 標準的な言語の日本人と、そうではない地域のそうではない民族の人
こういう事かなw 498 名無しさん@京都板じゃないよ [sage] 2020/04/28(火) 23:02:39.74 ID:KG+biAEsH←キチガイ末尾H糞ゴキブリ以下 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 低学力バカ蝦夷ジジイ>>1の恥ずかしい間違いw
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1.> 未だに恥をかき散らしまき散らす
2.喋べる()
3.祖父の地()
4.>創造()してごらん
明治時代で思考が止まっていて基礎的な国語力すらないくせに、教育者を気取るとはちゃんちゃらおかしい。 >>42は「方言人」などという意味不明な単語を創作して話者を貶めるような表現を用いているが、凡そ日本には口語において方言を使用しない地域など存在しない。
一部の愚かな人間は関東では方言は使っていないなどと勘違いしているが、そいつらは文語では
「してしまっているのではないか」となるところを口語では「しちゃってるんじゃね」とするなど、常に見事なほど方言丸出しである。
甚だしいときには「しちゃってんじゃね」と「いる」が完全に脱落する。
斯様な事態においても尚、連中は自分たちは「標準語」を話していると思っているらしい。
余りにも愚かな連中である。
自分が方言を使っていることを理解していない愚かな人間は滅んだほうが良い。 >>1は「方言人」「祖父人」などという意味不明な単語を創作して話者を貶めるような表現を用いているが、凡そ日本には口語において方言を使用しない地域など存在しない。
一部の愚かな人間は関東では方言は使っていないなどと勘違いしているが、そいつらは文語では
「してしまっているのではないか」となるところを口語では「しちゃってるんじゃね」とするなど、常に見事なほど方言丸出しである。
甚だしいときには「しちゃってんじゃね」と「いる」が完全に脱落する。
斯様な事態においても尚、連中は自分たちは「標準語」を話していると思っているらしい。
余りにも愚かな連中である。
自分が方言を使っていることを理解していない愚かな人間は滅んだほうが良い。 う〜ふふ〜ふ〜〜・・ぴい〜える〜お〜やじ〜〜・・♪
う〜ふふ〜ふ〜〜・・ホ〜クロをかぞえ〜うふふ〜ふ〜〜♪
う〜ふふ〜ふ〜〜♪
く〜わ〜た〜♪♪♪掘られ〜たい〜♪
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人i ブバチュウ!!
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`− ´ | PL親父 | _| 標準語を学べばいいだけさ
70越えてても飽きるなよw >>51
標●語ではなく共通語
認知症ジジイには難しいみたいねw 方言をくらったのは神罰とか仏罰の類
相当な業の深さ また出た〜wバカ東夷ジジイの意味不明な日本語ww
「方言をくらう」wwww 「チョセンピョン」
吊り目して(ウォン) エラ張って(ウォン)
チョセンピョンのチョセンピョン(チョセンピョン)
安倍下げて 低学力バカ蝦夷ジジイ>>1の恥ずかしい間違いw
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1.> 未だに恥をかき散らしまき散らす
2.喋べる()
3.祖父の地()
4.>創造()してごらん
5.方言をくらう
明治時代で思考が止まっていて基礎的な国語力すらないくせに、教育者を気取るとはちゃんちゃらおかしい。 はははw訛りが恥ずべき事なのを理解していないのかなw ワイの言語がネットでの共通語やで〜^
関西人を許してクレメンスwww 認知症が進んだのか、会話が難しくなってきたようですねぇw 現代日本に標●語はなく共通語
わかったか? バカ東夷ジジイw ははは!バカな冗談言ってると方言を食らわせるぞww >>73
おまえがバカw なぜかわかる?
答えはすでに書いてあるから、低い知能を振り絞って探してごらん?w 認知症は進行すると会話が難しくなるらしいね
東夷ジジイは末期 標準語を許す許さないは誰が決めたんだろうねw
その時の政府なのかな そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 >>85
「標準的な日本」「標準的な日本人」「訛り芸」とは何かね?
さっさと説明しろよバカ東夷ジジイw はははw必死に学ぼうとする姿勢は良い事だよw
まぁ頑張りたまえw >>87
学ぼうとせんのはおまえのほうだねぇ?w
無意味なタワゴトは要らんから質問に答えろよ? え?
「標準的な日本」「標準的な日本人」「訛り芸」とは何かね?
さっさと説明しろよバカ東夷ジジイw
頭悪すぎて自分で言ったことも説明できんのか?w やはり頭が悪すぎたようですねぇw
以前からわかっていたけれどw 今だに「ヒョウジュンゴ」などというバカ東夷ジジイ>>1は認知症の老害。 彼らもそろそろ許して欲しいじゃん?
標準語を使いたいんじゃねw >>96
違うよw
もっと日本語を勉強しなさいあずおじw え?そうじゃん
え?そうじゃけんのうw
同じだなw学べてよかったなw 洗濯していないのか、どこか薄汚れた感じが暗い夜道でもわかる。甘苦い体臭、そこに風呂に入っていないのか垢と安もの化粧品の匂いが入り混じっている。
「お兄ちゃん、遊んでいかへん?“1本”でええで。お正月やんか。温めあおうや!」
「1万円?」と問うと、「1000円や!」と言う。
諸説あるものの、地域住民らの話では、西成で“立ちん坊”と呼ばれる路上売春婦の相場は、路上での行為で500〜800円だが、最初は1000円と吹っかけてくるのだそうだ。
もっとも「350円まで値切ることができる」(路上生活者・64歳)という声もあった。
その路上売春婦に遭遇したというわけだ。ちなみに350円という額は、西成ではカレーライスを食べてもお釣りがくる額である。
大阪市西成区「居酒屋で覚醒剤を売るな!」
https://i.imgur.com/hGq1dvT.jpg >>98
違うよバーカwwww
死んで人生やりなおせば?
来世は西日本人に生まれてくるがいいw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています