もう一つ言わせてもらいます。
震災への憎しみを直接歌った歌なんてつくったところで売れますか?
「もう震災死ね」「震災が死ねば腑で縄跳びしてやる。」
なんて震災が死ぬっておかしいでしょ。
人だとつくりやすいでしょう。
それに「震災こないで〜」
なんて言う言葉ばっかり並べるのも難しいんじゃないかな。
野田さんは被災者でもないし。
そんな歌だれも聴かないでしょ。
だから人に置き換えたんじゃないの?
人だと歌詞書きやすいしね。
まあ、この考え方が正しいって訳じゃないけど。
一人一人の解釈の仕方によって意味がかわる歌だと思います。
「君」じゃなく「僕」が誰なのか考えるとかね。
あの人の歌には隠されていることとか多いですから。
次のアルバムにつながる曲とか。
さりげなく宗教改革について歌った曲とか

あと、
五月の蠅とラストバージンを一緒に出した意味もあるはずです。
もし、五月の蠅が震災のことを人間に例えているなら、
次のラストバージンはこういう意味もあると思います。
「さっきの歌で憎いのは震災だよ」
「君のことは大好きだよ。」とか。
だから憎しみの歌のあとに、
究極のラブソングをもってきたんじゃないかな。
批判が出ることが野田さんにわからなかったわけがない。
だからこそ隠された意味があるはず!
と思ったわけです。