>>32 女性週刊誌の記事、爺ちゃんがヘリコプターを要請して病院へ運んだ

これは、札幌と千歳空港を結ぶ高速道路、弾丸道路での事故で重篤な事態になった時のことかなとも推測しますが、残念ながらその女性週刊誌の資料を持っていません。

母が子どもたちを連れて山形へ帰ったドタバタのことと、この交通事故のことは、決して中島みゆきは語りません。当然のことでしょう。

唯一、語っているのは、父の産婦人科は芳しくなかったことです。
父が脳溢血で倒れた頃を語り、
「家は小さな病院だけど、その日の診察料で食べるような生活だったの」(プチ・セブン)

これは、決して赤ひげで美化した逸話ではないと思います。当時一割負担の健保で、仮に赤ひげをしたとして9割は収入となっていたと思います。

産婦人科として評判が悪く訪ねる人が少なかったのか、それとも?。思いつきません。

私は中島みゆきが帯広でコンサートをしないこと、高校などの同窓会に敢えて関心を持たないこと、ここにとても興味があります。
長々と失礼しました。