中島みゆきの歌詞について語り合うスレ 4 [無断転載禁止]©2ch.net
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●中島みゆきの歌詞の意味がわかりにくい部分について語り合って
一緒に理解を深めましょう!ただし、歌詞以外の話もNGではありま
せん。中島みゆきの作品への想い、表現への感想や批評、中島みゆ
きという作家論、中島みゆきの歌詞や表現から派生するすべてを
受け入れるスレとします。 脱線と自己中人生訓は厳禁です。
前スレ http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/mjsaloon/1421481245/ >>67
柳についてこんなお話を見つけました。別れの季節、雪に埋もれていた冬から春に
変る時期に一気に生まれる思いを喩えているのかも知れません。
【昭和62年3月28日、空路スリナガルに着いた時、ヒマラヤ山脈の麓の標高1600メートル
のこの盆地に私がまず見い出したものは、無数にある柳の木の新芽でした。それはまだ頼りない
ような黄緑色が冬枯れの枝にポツンポツンと付いているだけでしたが、私は確実な春の訪れを感
じました。スリナガル滞在の七日間は、私にとって春の訪れの勢いの凄さに感動するばかりの日々
でした、柳の新芽はアッという間に生長し、黄緑色の目立たない花が咲き始めたかと思っている
うちに、あの頼りなかった新芽はまるで大地から春を湧き上がらせているかのように、見渡す限り
を新緑で覆い尽くしてしまったのです。それにしても、この地になんと柳の多いことでしょうか。
確かにこの高地の湿地帯にとって柳は土地を守る大切な植物なのでしょう。しかし、私には雪に
埋もれて厳しい冬を過ごすこの地の人々にとって、一気に緑を吹く柳に待ちにまった春の訪れを
感じ、心から愛しているのではないかと感じました。私は遠いインドで大きな春の訪れを見つめる
ことができたのです】
困るのは別れの時だからでしょう。私との今後の関係について悩ませるのです。 >>68 続き
『冬枯の柳は人の心をも 春待てこそ結ひ留むらめ(冬の柳は耐えて春を待ち、やがて春になったら、人の心を柳の糸で結びとめるだろう)』
或はそんな気持ちかな? >>66 松坂慶子が歌った動画見直したけど、最後の「でももしもあなたが困るなら、海でも聞かせる話だけど」で少し疑問が解けた
この女性は「臆病な女を(自分で)抱きしめながら、青ざめたうなじを(自分で)暖めながら」独り海でつぶやいてるのかと思ってた
「抱きしめて欲しい、あたためて欲しい、あなた。でも迷惑ね。こんな言葉は海に流したほうがいかもね」ってな感じの歌詞なんだね
それにしても主語が省かれてるな。宝石に写った朝日を見てるのはカモメだと思ってた(動物学的に無理があるが) 1984年ごろ、郷ひろみに「美貌の都」書いたとき、以前は中島みゆきを好きじゃなかった近田春夫が「今、日本で中島みゆきが一番すごい!」と言い切った
「別れの夜と同じ服ですげなく会えれば上出来さ。僕達はテスト飛行。悲しむつがいの嘘つき」のところに今も心を見透かされるようでドキっとする
翌年の柏原芳恵への「ロンリー・カナリア」と並んで提供曲の大傑作 「肩に降る雨の冷たさは「生きろ」と叫ぶ誰かの声、肩に降る雨の冷たさは「生きたい」と迷う自分の声
肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた、肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた」
思い出すだけでも胸が熱くなるけど、この曲はアレンジも素晴らしい。倉田信雄の才能によるところも大きい >>70
私は宝石ではなく未だ磨かれていない小石なんですね。朝陽が映っても宝石のようには輝かない。
だから、宝石になれるぐらい今より強く愛して欲しい、風よりも甘く愛して欲しい。カモメは私の
想念みたいな表現かな?海は流してしまえる場所を表すんでしょうか。 初期のみゆきさんの「カモメ」は弱い存在のシンボルだね。「海と宝石」のカモメは発表時期のせいか少し違ってるけど
90年代にパトリシアカースに書いた「かもめの歌(オリジナル歌詞)」では
♪生まれつきのカモメはいない。人は誰も笑顔の影に隠しきれぬ涙の粒で、白いカモメを飛ばすよ♪
「人は誰もカモメ」になっていく感じだね 「♩臆病な小石の泣き言をまだヒナのカモメが咥えてゆく」のところ
「私は言いたい事を言えない女。まだ泣き言を咥えて行かないで。あの男に伝えたい事がある」
「せめて大人のカモメなら私の思いを運んでくれるかも知れないけど、ヒナじゃ…やっぱり今日も海に流してまた来るか」という図ですね >>75
ヒナは幼い私自身の鏡像かもめ。カモメは弱い私。だから、かもめが心の中の考えに現れ
ることが無くなるぐらいに愛して欲しいという願いを歌っている。でも、相手を困らせる事
を恐れる気持ち程は強くない。 「二隻の船」は松任谷由実さんに充てた歌といわれるそうですが、そう思いますか
自分はご乱心時代の中にいて、一方の松任谷さんはやはりバブルというご乱心の時代の中にいて
遠くなった場所にいながら「あなたの悲鳴が聞こえる」「「越えてゆけ」というあなたの叫びが聴こえる」とメッセージを送ってるのでしょうか
松任谷さんのほうでも盟友中島さんへ向けて書いた曲があるかも知れませんね >>77
そうかも知れませんね。今、歌詞読みました。でも、ご乱心時代が終わり夜会で
歌った曲ですね。「ちぎれる絆」という言葉があります。ユーミンとの絆は無いよ
うな気もします。夜会で同じ歌を歌う仲間たちが念頭にあるのかも。 >>77
「時流を泳ぐ海鳥たちはむごい摂理をささやくばかり いつかちぎれる絆みたさに」
は、夜会に対する周囲の見方を表しているのだと思います。「変わったコンサートを
始めてるけど、そのうち皆飽きてしまうさ。客が入らなければ夜会一座は散り散りに
になるだろうね」という感じです。自分と夜会スタッフは先が見えない暗い嵐の海を
を進んで行く二隻の船のようだ。しかし、スタッフの激励が行く先を照らすはずだ。
夜会に対する意志と決意の表現です。歌詞の最初の部分は来し方の感傷を示しています。 80年代はアイドル全盛時代。みゆきのアルバムに参加したミュージシャンの中にも
アイドルをプロデュースして成功した人もいる。キャニオンレコードはもちろんその
分野に力を入れた。みゆきは自身のセールスが減少する中で、今後何をしていくべき
かを模索していた。それがご乱心時代だ。二隻の舟はその答えです。 「中島みゆき」が乱心時代最後のアルバムとされるんだろうけど、あの中では中島みゆきがラストに向けどんどん自分をさらけ出しストリップしてる
「黄色い犬」では雨のシャワー浴びてみすぼらしい犬に、「仮面」ではボロボロの獣になり、「クレンジングクリーム」で残るのはただ泣いてる女
その女が「ローリング」で独り荒野にいる。「時代」で雨の中ドアを開けた人は、13年後に独り荒野にたどり着くって感じかな?
そして同年、瀬尾と出会って最初に出したのがシングル「涙」。めずらしくジャケ写でスッピンをさらけ出した中島みゆきが、渋谷の町をさまよってる。あれはクレンジングクリームですべて洗い流してからそのまま街へ出た女の覚悟を決めた顔 >>82
グッバイガールについてスレ1で僕はこう言いました。
【 ジャケットの服装は、適齢期の都会の女、つまり恋愛、欲望、成功などを
追い続ける未婚の女との決別を意味しています。純心で素朴な少女の頃の自分
を表現しています。神々や菩薩達のように真理を運んで来れる自分となる決意
を髪型で示しています。キリストを表現したのも偏狭な信仰を捨てる意味です。
映画グッバイガールは、いつも男に捨てられていた女が人間性を悟ることで
売れない役者と結ばれる物語です】
「愛よりも」につぃては、
【988 :Track No.774:2014/03/05(水) 18:59:53.66
>>984 >>985
僕の解釈とは全く違いますね。
88年はバブル絶頂の時です。逆説的教えでしょう。金銭欲や性欲に
溺れる人々への戒めです】
迷い悩んでいた若い女から、女神への転身です。 こうも言ったね。(笑)
976 :Track No.774:2014/03/04(火) 21:10:34.04
>>974 >>975
単純ですね。みゆきは現代の女です。アレンジだよ。(笑)
http://blog-imgs-48.fc2.com/m/o/4/mo4chi/sosaku.jpg
グッバイガールで瀬尾一三と出会い、ご乱心時代を終結し、夜会を始めた。
彼女は、女でも男でもない、神話の神々や成仏するため修行する菩薩たちを、
テーマとしたのです。 ちょっとマシなスレになったかと思ったらまた前スレみたいになりそうだな ちょっと疑問に思うのは「瀬尾さんと出会って作品発表し始めた1988後半以降の作品は、乱心時代を抜けたあとのもの」というレス
たとえば>>61
歌詞を書いたのは瀬尾と会う1988前半以前の可能性も大きい。もしかしたらその3年、5年前かも知れない
ただ90年代に入って「永久欠番」「誕生」「糸」を書いたあたりは、乱心作品ではないんだろうな〜と思う。90年代後半には「愛情物語」「423」「私たちは春の中で」など再び乱心模様 >>86
「ご乱心時代」というのは、本人の表現でありその時期を指しています。歌詞の
内容どうこうではありません。88年以降、方向性に迷いが無くなったのです。 たしかにご乱心時代に書いて乱心終了後に発表した楽曲は、ご乱心時代の曲ということになるよね >>88
例えば「36.5℃」の歌詞が全部乱れている意味じゃなくて、音楽をどう作っていくかと
いう問題。「予感」では前半4曲を自らアレンジし失敗したが、「誰のせいでもない雨が」
の歌詞などは、今でも多くの人が関心を持っている。同じ歌詞を瀬尾一三がみゆきの
イメージ通りに上手にアレンジしてくれたということ。 >>89
自らアレンジし失敗したという根拠は?本人がそう言ったの? >>90
それは80年代中頃を「ご乱心時代」と自ら称していることからも窺える話だし、
そういう巷の声があった事は事実だ。 中島みゆき自身の言葉だからってそれに惑わされちゃいけない
正直、90年代前半の中島みゆきのインタビューの中にはご乱心時代を否定する発言もあって「あんたは喋らないでリスナーに委ねる主義じゃなかったの?」といいたくなった
自分は90年代前半のアルバムより85年前後のアルバムのほうがずっと好きだ 本人はご乱心時代を失敗だと捉えているわけではないだろ
あくまで音楽的試行錯誤の通過点であってご乱心時代があってこそ
自分のやりたいことに行きついたわけだから 作詞:May.J
太陽が今 空を染めて
この胸に新しい 勇気をくれるのよ
ねぇ、知ってた? 目が覚めても
消えない夢があるのよ
さあ 見つけに行こう
輝きを信じて 道は遠くても
歩く準備はもう 出来ているはずよ
奇跡を起こすの 心の中には
煌めき出す 魔法がある
夢は 叶うの
夕陽がそっと 瞳閉じる
あの空の向こうへ 願いは続くの
やがて星が 夜を飾る
煌めきがその目の中
弾けて見えるよ
輝きを信じて 想いは届くの
人は誰もみんな 主役になれるの
どんな場所へでも 羽ばたいてゆける
忘れないで 溢れるその夢を…
輝きを信じて 道は遠くても
歩く準備はもう 出来ているはずよ
奇跡を起こすの 心の中には
煌めき出す 魔法がある
夢は 叶うの きっと 「誕生」「永久欠番」
https//www.youtube.com/watch?v=xptl6Sn5nms >>95
歌ってて恥ずかしくならないのかな?
小4が夏休みの宿題で書かされた歌詞ってかんじ 週刊プレイボーイのインタビューで(浅い眠りの頃)若者へのメッセージを振られて
「私も似合わないことをあれこれ試してきたが、世間から笑われただけだった。
若い人には「自分のスタイルに自信をもって進んで」といいたいです」とか答えたんだよね
ご乱心時代を自らディスってるとしか思えなかった >>98 〜 >>101
私は自由よ これでいいの 少しも寒くないわ ありのままでいいの 中島みゆきの歌詞の中でも「涙」は絶品だね。無駄が一切ない
「忘れようと心を決めたのは、人足の途絶え出した公園通り」って冒頭部分が、中島みゆきの歴史の中でも最高の出だし
「心を決めた」「男運は悪くなかった」、やっぱり何かを吹っ切った再生の歌なんだね 「誕生」って中島みゆきの歌詞の中では平凡な部類なんだろうけど、終盤に「Remember けれどもしも思い出せないなら・・・」と転じるところで名曲に変貌するんだよな 命の別名 をYouTubeでアップしている十二単さんは、津久井やまゆり園の事件と関連させています。
そういう歌詞の解釈になるのかと驚きました。
もっと普遍的な、生き物を話題にしているのかと思っていました。 何時の時代の現実にも当てはめようとすれば出来てしまう
それこそが本当の普遍性なのかも知れない 会社の上司が、昨夜カラオケで歌った
柏原芳恵の最愛ってのも凄い歌だった
知らない曲だったけど気に入りました
2番目に好きな人
3番目に好きな人
でも1番に好きだったのは
私誰にも言わないけど
死ぬまであなた
部長、不倫でもしていたのかな 「一人で生まれて来たのだから」とかなんとか言う曲は無知蒙昧だな。
このように減点思考に陥るとジリ貧でどん詰まりするだけ。
有為転変の裟婆でプラスの面とマイナスな面で収支トントンになればありがたい。
人間は一人では生きていけない。当たり前だと思っている事でもそこには多数の人の手が加わっている事を忘れてはならないぞ。
そして人間は一人からは生まれてこない、これが否定出来ない真理だもの。 「一人で生まれて来たのだから」とかなんとか言う曲は無知蒙昧だな。
このように減点思考に陥るとジリ貧でどん詰まりするだけ。
有為転変の裟婆でプラスの面とマイナスな面で収支トントンになればありがたい事。
人間は一人では生きていけない。当たり前だと思っている事でもそこには多数の人の手が加わっている事を忘れてはならないぞ。
そして人間は一人からは生まれてこない、これが否定出来ない真理だもの。 「一人で生まれて来たのだから」とかなんとか言う曲は無知蒙昧だな。
このように減点思考に陥るとジリ貧でどん詰まりするだけ。
有為転変の裟婆でプラスの面とマイナスな面で収支トントンになればありがたい。
人間は一人では生きていけない。当たり前だと思っている事でもそこには多数の人の手が加わっている事を忘れてはならないぞ。
そして人間は一人からは生まれてこない、これが否定出来ない真理だもの。 マジレスする気にもならんが、
そもそも
一人から生まれてきたなんて言ってないし、
ひとりで生まれてきたと、ひとりから生まれてきたとでは、
ぜんぜん意味が変わるのは当たり前なのよ〜♪ 中島みゆきさんの、why&noの意味がわかって
改めて、みゆきさんの凄さに脱帽です。
全ては、自分が招いてる出来ごとなんですね
自分が変わらなければいけない
自分が出来ない言い訳に人をつかってはいけない、私はもっと優しくて強い人間になりたい。 >>113
マジレスする気はサラサラないが、この読解力の無さは脳細胞死滅著しい。 >>117
自分の読解力の無さを指摘されて
よっぽど詳しかったんだなwwww >118
自分の頭の悪さを指摘されて悔し泣きか。w連打が退化脳w 曲全体の歌詞の世界を問題視してるのに一部分だけ切り取って、そうは言ってないと解釈するのは頭悪いな。 >>119
相手にしてもらえて、よっぽど嬉しいみたいだなwww ここには、中島みゆきの歌詞について語り合うに値しない低俗な住民ばかりのようだな。 >>124
中島みゆきの歌詞の曲解大誤解解釈とやりあう気が無いだけだと思ふ 中島みゆきを盲信する信者を相手にしても不毛だから、、、 中島みゆきは鋭いけど、
万物の真理を見通してる訳でも何でもないからな
もっと軽いネタのやりとりならいいスレなるのに 中島みゆきをダシに俺様の深〜い話を有難く聞け!ってのが常駐してるから機能不全すぎるわここ 君が涙のときには僕はポプラの枝になる
孤独な人につけこむような事は言えなくて
君を泣かせたあいつの正体を僕は知ってた
引き留めた僕を君は振り払った遠い夜
ここにいるよ愛はまだ ここにいるよ いつまでも
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる 誰かを馬鹿にしてれば自分が少しだけマシに思えるから
目糞は鼻糞を求め続けてる
そして鼻糞は楽になりたくて
今夜も歯糞を探し続ける https://goo.gl/Qj6tJJ
この記事、本当だったらスゴイ、ビックリするんだけど。。 孤立無援になってしまうとジリ貧まっしぐらになるから。 ジャスミンって何歳くらいの設定なの?
二人で生きていくことは出来なくなったのって、
おねぇちゃん、何年前の話だよ。 ハコちゃんの役おいしすぎでしょwww
みゆきさんに抱きしめられたり、突き飛ばされたり、踏みつけられたりwww 今海嘯のビデオを見たんだけど
最後のフロンティアのみゆきさんって
カッコよすぎて惚れてしまいそうになる。 「この空を飛べたら」の加藤登紀子さんとのデュエット映像を見たんだけど、
おトキさんも去ることながら、みゆきさんのキレイさに釘付けになりました。
お若きし頃のみゆきさんがこんなにキレイだったなんて驚きです。 >>138
あのみゆきさんたまらない
わかれうた歌ってるみゆきさんもたまらない
なんであんな美しいんだろ
それで歌詞も良いっていう 夜会「橋の下のアルカディア」の個人的感想
過去・現在が止まった状態で存在する 舞台空間のステージに
スポットライトが当たり止まった状態で過去・現在が同時に存在する。
確かに過去・現在・未来は繋がり、止まった状態で同時に存在する。
実はすべての存在は繋がっているということを感じた舞台であった。 そんな哲学的なSF的なストーリーだったんですか。
見なくて正解でした。蕁麻疹が出そうです。 蕁麻疹でちゃうぐらい感動できるから見たほうがいいよ
今日で千秋楽だけど 人それぞれだからな、そこに個人的感想と書いているじゃん
見た人の数だけ解釈がある。それでいいじゃないのかな由実君
見た人の数だけ解釈があっていいんじゃよ由実君 むずかしい言葉は自分を守ったかい
振りまわす刃は自分を守ったかい
たまらねぇ..この扇子というか思考形態 >>148
僕も好きな言葉だ。みゆきさんの昔の歌がいいというのは、知恵の悲しみを知っているインテリが多い。
中島みゆきは、昔の歌で十分「知恵の悲しみ」を起承転結したと思う。
だから新たな展開、進化の過程が必要だった。それによって、だれも到達しない
喜怒哀楽の多彩な歌の世界「中島みゆき」という唯一無二な一つのジャンルを作り上げた。
ラジオでのギャップは、知恵の悲しみ、無知の知を十分知っているからの表現とみている。
だから下手に知識を語ることはしない。知識のむなしさ「知恵の悲しみ」「無知の知」を
知り尽くしているからだろう。 ユーミンファンの妹の関係で、ユーミン&みゆきを比較対象させてもらうことがあるんだけど、
妹「なぜ、ユーミンを評価しないの、ラジオで聴いているけど知識豊富で、尊敬しちゃうけど」
僕「ユーミンね、そこなんだよみゆきさんとの違いは....分かるかな」
妹「わかんない、ユーミンのほうが頭いいわ、何でも知っているもん、勉強になるわ」
僕「そうだね・・・ユーミンは物知りだね、でも、僕はみゆきさんかな」 上から目線だと見えてこない 上からだとマリーアントワネットの
飢えで苦しんでいるなら「ケーキを食べればいいじゃない」
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」の言葉ではないけど
見えないものがある。弱者側の目線からでないと見えてこないものがある。
上からだと、どうしてもmajority目線になりやすい、底辺のminorityな目線、
下から目線でないと、社会の本質は見えてこない。中々アーティストに要求しても
無理なのはわかっている。自分として、みゆきさんが好きなのはここかもしれない。 上からだと社会全体のmajorityは見えても、社会の底辺minorityまでは見えない
minorityと同じ目線でないと、社会の本質、実態は見えてこない
無理を承知で、それをアーティストに要求しても中々難しい問題だ 中島みゆきと、どう関係するのか、全くわからん。
みゆきの歌を声高に言うのは、この保守層ではない 「小さき負傷者たちの為に」これを聴いていると、何が何でも、どんなことがあっても
小さきものたちを救いたいという気持ちが伝わってくる。メッセージとはそういうものなんだと
言うことを知らされる。たとえ、答えのない世の中でも問題をあやふやにできないという思いが伝わってくる。
言いたいこと、伝えたいことは伝えるべき、特に社会的弱者、その中でも小さきものに対するみゆきさんの
思いが直に伝わってくる名曲である。名言や練った言葉でない、卑怯というダイレクトな言葉が刺さる。 見知らぬ人の笑顔も 見知らぬ人の暮らしも 失われても泣かないだろう
見知らぬ人のことならば ままにならない日々の怒りを 物に当たる幼な児のように
物も人も同じに扱ってしまう 見知らぬ人のことならば ならば見知れ 見知らぬ人の命を
思い知るまで見知れ 顔のない街の中で 顔のない国の中で 顔のない世界の中で
何の無駄もない歌詞が、普段何気ない生活を送っている僕に衝撃を与える。
今まで気づかなかったことを無駄のない言葉で気づかせてくれる。
歌詞に無駄が全くない名曲である。 小さき負傷者たちの為に この曲をツアーで歌わないのは、何故かな
倒木は歌った、別名は歌った
なのに、これは歌わないね それは本人に聞いてみないとわからないですね。
オリジナルアルバムだけでも41作品と楽曲が多いですからね。
歌う時機・機会があれば歌うと思いますよ。
ラジオは僕自身、そんなハチャメチャさは感じないですね。 ラジオはよくハチャメチャだという人がいますが、僕はそうは思わない。 159では、>>158で問いかけてないこと、書いたので、>>160に修正しました。 僕のことばは意味をなさない まるで遠い砂漠を旅してるみたいだね
ドアのあかないガラスの城で みんな戦争の仕度を続けている
今の社会情勢を考えると、この言葉が刺さる、何が起きてもいいように常に
我々は、状況に応じた、状況判断で行動しなければならない。
どんな時代でも常に、色んな状況設定を考えておこなければならない。
たとえ遠い地域の戦争でも、昔と違い昨今は非常に身近なのだ
それだけ時間が短縮され世界が身近になっている その鏡に映るものは 隠しきれぬ愚かさと
その鏡に映るものは 拭いきれぬ悲しみと
その鏡に映るものは 失くしてから気が付く愛しさ
その鏡は 人の手には触れることの叶わぬもの
その鏡は 空の彼方 遥か彼方
涙を湛えた 瞳だ
その鏡は、何に例えてもいい、その例えたものが見えてくる アゼルバイジャンの夕暮れは 女満別の夕暮れと変わらない
銃で砕かれた建物や 鉄条網が視界を塞いでも
まるで昔からいるように 私はそこにいるだろう
空は繋がっている こんなだれでも知っていることが
私たちは気づかない あの遠くはりめぐらせた 妙な柵のそこかしこから
今日も銃声は鳴り響く 夜明け前から
目を覚まされた鳥たちが 燃え立つように舞い上がる
その音に驚かされて 赤ん坊が泣く
あのひまわりに訊きにゆけ あのひまわりに訊きにゆけ
どこにでも降り注ぎうるものはないかと
だれにでも降り注ぐ愛はないかと
たとえどんな時でも花は咲き続けるだろう、たとえどんな時でもひまわりは咲き続ける 遥かな山から吹きつける風に ひれ伏しながら けして折れはせぬ
押し寄せる雲から打ちやまぬ雨に ひれ伏しながら 決して折れはせぬ
私がなりたいものはといえば 地下に根を張る あの竹林
どんな向かい風、状況下でも、たとえひれ伏しても、心は折れてない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています