量子論的「因果応報」の本質として 「結局自分は他人でもあり、他人は自分でもある」「個が全体で、全体が個」は
心理学でいう「他人は自分を映す鏡」のミラーリング  ことわざで言えば「人のふり見てわが身を直せ」
そこに映った姿は自分の姿 我々は元々一人では生まれてきたわけではない 人の命も自分の命も等しく授かった

どうしてもものでも食べ物でも、多くなると粗末に扱う人が出てくる。 多い少ないではないのだ。
人の命も物も食べ物も大切にしなければならないのだろう。 昔、お米が毎年豊作で、米俵を重ね祭りの行事としてやっていたら
次の年から全くお米が採れなくなり、凶作が長く続き、飢えと飢餓で餓死していくものが後を絶たなくなった〇〇の飢饉が長く続いたのである。
「お米は1粒でも大切にしなさい、お百姓さんが大切に育てたんだからね」と昔の親から聞かされたものだ。