【平成最初の主将】 早大野球部 小宮山悟 【平成最後の監督】
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来年(平成31年)1月に早大野球部監督に就任する小宮山悟のスレ
経歴・実績などは今さら書く必要もないだろう。各自検索してくれ。
ここでは、早大野球部主将として最初に迎えた早慶戦(平成元年・春季)の早稲田スポーツ紙面での彼のプロフィールを紹介する。
===== 早稲田スポーツ 平成元年(1989年)5月27日 第223号 早慶戦特集号 =====
主将 投手 10 小宮山悟
彼がとんねるずの石橋貴明に似ているのはあまりにも有名な話ではあるが、
気迫溢れるマウンドさばきを見る限り、石橋貴明を通り越し、東大寺の金剛力士像に見えてくる。
気迫の乗り移ったボールは打者をバッタバッタと斬ってとる、といきたいところだが、
今季は他校のきついマークに遭い、思い通りのピッチングができない。 完投勝ちが一つもないのも、彼にとっては不満だろう。
そうはいっても「小宮山なくして早稲田なし」。 79代主将として、投手陣の柱として、その存在価値は計り知れないものがある。
序盤の3連敗からここまで立ち直ることができたのも、彼のキャプテンシーのたまものだ。
「野球をやってて一番楽しい時は、勝手学生席が盛り上がったときと、『ガンバレ!小宮山』の声がかかった時」と言うあたり、
大観衆の前では一層燃える男だ。 みんなで精一杯応援しよう。
試:6 勝:3 負:3 防:2.52 右投右打 1m83cm 75kg 教四 芝浦工大柏高 >>105
日東駒専未満の当時の教育学部体育学専修の奴を、そもそも「学歴のいい人」とは言わねえしw
二浪もして日大にやっと合格した奴を「学歴のいい人」って言わないだろ?
それも、入試に体育実技があるような学科は浪人生は普通受験しないし >>108
実態が分かっている人は小宮山=インテリなんて思わないだろうが、
そこまで頭が回らない人たちは普通に小宮山は知的だ、他の野球選手とは違うとか
考えたりするからな。 江川だって、「早慶戦に出たいけど、早稲田じゃ体育科とかあって、野球で入ったと思われちゃうから」って、慶應にこだわったくらい
その体育科に二浪もしてやっと合格して、それをいまだにメシの種にしてるというのは痛い >MLB中継の解説を聞いていても状況を客観的に見るというより
思い込みや好き嫌いで話すことが多い
小宮山の解説ってそんなものなの? あいさつする時はサングラスを外すのが礼儀、という最低限の常識をまず身に着けてから、学生野球の監督という立派な肩書名乗ってくれ 早稲田ブランドをなおさら利用しようと大学監督を引き受けたことで
抽象的なことを言ってるばかりで、実は中身のない大した指導者じゃないとバレバレになってしまい
評論家としてプロ相手に上から意見してるだけでやめといた方がよかったと本人も思ってるだろう 2浪でも早稲田と言えば、受験や就職活動に縁がなかった人たちは
努力して文武両道を達成したと勘違いしてくれる。
それにいくら体育学専修でも、球界で早稲田人脈を活用できるのは大きいでしょ。 ロッテ時代同僚初芝氏がユーチューブで
金髪にしたエピソードを話してて「似合ってないね」と言ったのが小宮山さんで
どうせならとことんやれと 小宮山さんの言葉で まゆげも金髪にしたとかw
ふつーにおもしろいよw
【8回表】初芝さんの金髪の真相が明らかに!?ネットの噂を直接聞いてみた
その3
https://youtu.be/EZKft72jpcg @YouTubeさんから 挨拶する時にも頑なにサングラスとらないってどういう礼儀知らずなんだよ 2年生春の早慶戦(昭和62年・春季)の早稲田スポーツ
===== 早稲田スポーツ 昭和62年(1987年)5月30日 第206号 早慶戦特集号 =====
投手 16 小宮山悟
B型肝炎という爆弾を抱え込んでいることはみじんも感じさせない。
その屈託のない明るさでチームのムードメーカーとなっている。
対東大二回戦で先発。38回0行進だった東大打線に火をつけてしまい、3失点。
以後はワンポイントリリーフとしての登板が多かった。
まだまだ未知数の選手であるが、将来のエースとして大きな期待が寄せられている。
最後に、彼は生きうつしと言われるほど、とんねるずの貴明に似ています。確かめたい方はぜひ神宮へ。
試:3 勝:0 負:0 防:0.00 右投右打 1m83cm 75kg 教二 芝浦工大柏高
※小宮山が二年生のこの代の早稲田の主将:江上光治(池田高)、一年生:水口栄二(松山商)
立教の主将:長嶋一茂(立教高)
明治の主将:坂口裕之(高鍋高・現高校野球解説者)、エース:武田一浩(明大中野)
立命館の主将:古田敦也
名古屋商大の四番:大豊泰昭 石橋貴明にそんな似てたのかな。
一茂さんは立教新座高校なんだね。
高校入学時は小宮山さんより学力高かったのかも。 >>119
当時の立教高、立教大はスポーツ推薦はなかったけど、一茂に関しては「あの長嶋茂雄の息子」ってことで、野球云々でなく
「長嶋ワク」のような形で高校入学時何らかの下駄を履かせたことはあるかもしれない。(一茂が成績良くなかったと言ってるわけではないw)
そもそも一茂は中学校では野球をやってなくて、野球による高校入学ではないのは確か。
学業に関しては
何故か一茂の代だけ高校から大学に上がる推薦枠が増えていて
それは成績がよくなかった一茂を枠に押し込む為だったんじゃないかという都市伝説みたいな話がある。(真偽は不明w)
当時の立教高、立教大は、偶然いい選手が揃ったのか、野球推薦なんかなかったのに異様に強かった。
1982(昭和57)年春 立教高 埼玉準優勝・関東大会出場 (一茂が高二・関東大会での背番号はたしか16)
1983(昭和58)年夏 立教高 埼玉ベスト4 (一茂が高三、背番号3で四番)
1985(昭和60)年夏 立教高 埼玉優勝で甲子園初出場
(この年が埼玉県初の私立校甲子園出場 春:秀明、夏:立教 それまでは公立しか出たことがなかった)
1987(昭和62)年秋 立教大 東京六大学で優勝争いするも、最後に法政に敗れ惜しくも二位 (一茂が主将四番、立教高出身の高柴がエース)
1989(平成元)年秋 立教大 東京六大学で優勝 (立教高甲子園メンバーや甲子園出場の磐城高金賀捕手等、スタメン7〜8人が甲子園経験者)
1990(平成2) 年秋 立教大 東京六大学で優勝・明治神宮大会で準優勝 (湘南高から一浪後入学した現立教大監督の溝口智成が主将)
一茂以下3年連続で立教大主将がドラフト指名 1987:長嶋一茂 88:矢作公一 89:黒須陽一郎(※黒須同期の高林孝行は日本石油時代全日本)
当時の立教大は推薦制度は指定校しかないこともあり、他大と比較すると圧倒的に部員数が少なく選手層も薄かった。
法明早慶とは大きく差をつけられ、常に東大と最下位争いをしている状態。
立教高も、今の早実や慶應高のような野球推薦があるわけでもなく
「埼玉近辺の育ちのいい子たちが野球をやってる」って感じの野球部だったけど、この「一茂世代」周辺は戦力はかなり高かった。
この辺も、一茂が「もっている」ところなのかもしれないw >>120
めちゃくちゃ詳しいな。
小宮山が立教、明治辺りの野球部に入ってたら、どうなってたんだろうな。
栄光の野球人生ではなかったかも。 学年でいうと小宮山の一つ上だったか
早稲田の攻撃中、石井連蔵監督が出てきて審判に選手交代を告げ
コーチスボックスから走ってきて打席に入る岩本ってのがいた
鎌倉学園出身
あんな形の代打なんか、もう絶対にないだろうな 高校の時の監督に早慶のどちらがが自分に向いているか尋ねて、早稲田と言われて志望校に決めたらしい。もし仮に慶應に進学したとしても浪人多い環境だし馴染めてただろうね。 〜〜〜【早稲田以外の六大学野球部に小宮山が入部していたら、活躍したかどうか?】〜〜〜 …勝手な考察w
・以下の三点で考察 〇→可能 △→微妙、可能性はあったかも ×→無理 ※甲=甲子園出場
@大学に合格できるか?
A野球部に入部させてもらえるか?
B入部したら活躍できたか?(部の風土・起用法等)
・前提条件 : 1:小宮山の受験結果 二浪で社会科学部不合格・教育学部体育学専修合格
(当時の社学は完全夜間学部ではなく3、4限から授業がある昼夜併用学部だったとはいえ、
MARCHと同等かそれ以上の難易度。実際に社学MARCH双方合格者は社学に進学する者が多かった)
2:部員少数選手層薄い当時の早稲田とはいえ二浪入部で一年からベンチ入り。4年時主将。ドラフト一位 法政 @ 〇(夜間学部なら可)
△(昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A × セレクション組のみ。高校時代無名の二浪選手は門前払い
※参考:のちの日本シリーズMVP石井丈裕(早実で荒木の控え・小宮山の1歳上・現役合格・甲)も当初入部拒否
入部後は同期の猪俣隆〈堀越高・阪神〉らとダブルエースで活躍
B ―— 入部できないから、活躍はあり得ない
明治 @ 〇(夜間学部なら可)
△(昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A 〇 一般入試組・浪人組でも入部可、小宮山の同い年一浪の飯島泰臣〈松商学園〉が主将
B 〇 早稲田の独特な空気でもやれたから活躍できたはず。ただ、当時明治の部員数は早稲田の倍。それがどうか? 立教 @ △ 微妙。合格した可能性はあったかもしれないが…。(当時から夜間学部はなかった)
A 〇 入部可。付属・現役一般入試・一浪・二浪何でも可、当時は部員数が東大並みの少なさ
B 〇 活躍したはず
※参考:2歳下一浪の溝口智成〈湘南〉、4歳下二浪の田代則雄〈東海大浦安・甲〉が主将。田代は首位打者
慶應 @ × 合格できる学部がない (参考:SFCのAO入試は小宮山プロ入り後)
A ―— 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ―— 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:2歳上二浪の猿田和三〈秋田高〉・鈴木哲〈福島高・西武広島〉で大学日本一。
同い年一浪の堤辰佳〈濟々黌・元巨人GM〉、2歳下一浪の橋口〈三国丘・甲・大阪ガス監督〉が主将
東大 @ × 説明不要
A ―— 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ―— 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:4歳上一浪の大越健介〈新潟高・現NHK〉、2歳上一浪の市川武〈国立高・甲〉がエース
2歳下一浪の小林至〈県多摩高・元ロッテ〉と1歳下二浪の階猛〈盛岡一高・現衆院議員〉がエース争う
2歳下二浪の藤沢章雄〈土佐高〉が主将 >>124
>>125の修正
〜〜〜【早稲田以外の六大学野球部に小宮山が入部していたら、活躍したかどうか?】〜〜〜 …勝手な考察w
・以下の三点で考察 〇→可能 △→微妙、可能性はあったかも ×→無理 ※甲=甲子園出場
@大学に合格できるか?
A野球部に入部させてもらえるか?
B入部したら活躍できたか?(部の風土・起用法等)
・前提条件 : 1:小宮山の受験結果 二浪で社会科学部不合格・教育学部体育学専修合格
(当時の社学は完全夜間学部ではなく3、4限から授業がある昼夜併用学部だったとはいえ、
MARCHと同等かそれ以上の難易度。実際に社学MARCH双方合格者は社学に進学する者が多かった)
2:部員少数選手層薄い当時の早稲田とはいえ二浪入部で一年からベンチ入り。4年時主将。ドラフト一位
法政 @ 〇 (夜間学部なら可)
△ (昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A × セレクション組のみ。高校時代無名の二浪選手は門前払い
※参考:のちの日本シリーズMVP石井丈裕(早実で荒木の控え・小宮山の1歳上・現役合格・甲)も当初入部拒否されるも
入部後は同期の猪俣隆〈堀越高・阪神〉とダブルエースで活躍
小宮山と大学同期の主将は大島公一〈法政二・甲・オリックス〉、エースは葛西稔〈東北高佐々木主浩の控・甲・阪神〉
B ― 入部できないから、活躍はあり得ない >>125
>>126の修正
明治 @ 〇 (夜間学部なら可)
△ (昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A 〇 一般入試組・浪人組でも入部可、小宮山の同い年一浪の飯島泰臣〈松商学園〉が主将
※小宮山と大学同期の主将は今久留主成幸〈PLで桑田の女房役・背番号12・甲・大洋〉
B 〇 早稲田の独特な空気でもやれたから活躍できたはず。ただ、当時明治の部員数は早稲田の倍。それがどうか?
立教 @ △ 微妙。合格した可能性はあったかもしれないが…。(当時から夜間学部はなかった)
A 〇 入部可。付属・現役一般入試・一浪・二浪何でも可、当時は部員数が東大並みの少なさ
B 〇 活躍したはず
※参考:2歳下一浪の溝口智成〈湘南〉、4歳下二浪の田代則雄〈東海大浦安・甲〉が主将。田代は首位打者
慶應 @ × 合格できる学部がない (参考:SFCのAO入試は小宮山プロ入り後
小宮山と大学同期の大森剛〈高松商・巨人〉は高松商英語実務科の商学部指定校推薦)
A ― 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ― 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:2歳上二浪の猿田和三〈秋田高〉・鈴木哲〈福島高・西武広島〉で大学日本一
同い年一浪の堤辰佳〈濟々黌・元巨人GM〉、2歳下一浪の橋口〈三国丘・甲・大阪ガス監督〉が主将
東大 @ × 説明不要
A ― 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ― 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:4歳上一浪の大越健介〈新潟高・現NHK〉、3歳上一浪の市川武〈国立高・甲〉がエース
2歳下一浪の小林至〈県多摩高・元ロッテ〉と1歳下二浪の階猛〈盛岡一高・現衆院議員〉がエース争う
2歳下二浪の藤沢章雄〈土佐高〉が主将 当時の法政のレベルの高さは相当なものだった
セレクションで落とされた選手がドラフト指名されてプロ入りしたほど
1988年近鉄ドラフト5位 日大三の桑認 >>111
MLBの試合を解説していたときは思い込みや好き嫌いが激しかった。 へ理屈ばかりで大したことない奴ってバレバレになってんな >>127
小宮山って、法政の大島や葛西と同期かw
当時たまに神宮に行っていたが、小宮山のこと全然覚えていない。
当時は法政と慶応が強く、慶応の志村などは印象的。早大は弱かった。 走者三塁の場面で
投球動作に入った投手に向かって
三塁コーチャーが「タイム!」と叫ぶ
こういうセコい野球をやってんのか?あ?
やってないなら、やってないとハッキリ言ってみろよ、小宮山 小宮山を見てると、つくづく名のある大学に行っとくべきだと思う
たとえ、その中で一番程度の低い学部学科だとしても
本当に大学って、評価されるのはその大学の名前だよな 稲門会の先輩が教育学部体専卒なんだけど、1985年頃の一般入試倍率は25倍前後あったと言ってた。当時の受験生は大変だったんだね。
小宮山さんも二浪目の晩秋からは猛勉強したみたいだな。江尻慎太郎と並んで代ゼミ早慶クラスが輩出した偉人。 上にも書かれてるが
早稲田で唯一の日東駒専以下の偏差値だった体育学専修の奴を偉人などとはとても言えない
予備校に行く必要さえない
>稲門会の先輩が教育学部体専卒なんだけど、1985年頃の一般入試倍率は25倍前後あったと言ってた。
当時は全国的に高校生数が多く、かつ一人当たりの受験学部数が多かったから、どこの学部でも名目倍率20倍超は普通
実質倍率は一桁にまで下がる
こうして、少しでも体専もレベルが高かったんだと印象付けたくて大げさなことを言うほど、体専の奴は学内で肩身が狭いということ
マラソンや駅伝のイメージでいうと
先頭グループの一番後ろに必死にくっついてるのが社学、ちょっと遅れて二文
体専は完全に一人だけ脱落して、ずっと後ろを一人旅してる感じだったよ
←進行方向 政経法理工一文商教育社学 二文 体専
上位学部の連中は、体専のことを「あんなの早稲田じゃねえよ」とハッキリ言ってるのも普通にいた
完全なお荷物 エースと心中すると宣言してチームを勝たせた小宮山
堀井がただのクソ采配で自爆しただけのことだが、結果的には小宮山のやり方が正しかったってこと このスレの小宮山さんの悪口がいっぱい書いてあるけど、学業のできると頭の良さは別だからね。
入試なんて限られた分野を暗記していれば通るものだからね。小宮山さんの涙には感動しました。 エースと心中なんて言うと美談に聞こえるけど、もし9回に逆転できず負けた場合
小宮山は第3戦誰を先発にするつもりだったのかね?
まさかの早川3連投か? 二試合しかやらない。延長戦もない。勝ち・負け・引分のポイント制で順位を決める
そういうルールでやってる今季リーグ戦で、どうやって三連投するのか教えてもらいたい
いくら今年のドラフトで一番の目玉投手でも、無理な話だと思うんだが 慶応のタコ坊主堀井の
自己陶酔目茶苦茶投手継投のお陰で
タナボタ無優勝を手にすることができて
二年間で積み重ねた糞監督との評価を覆すことができて
小宮山も喜んでるだろう
堀井に足を向けて寝られないだろうな、こりゃあw それにしても堀井の采配はあり得ない
木澤下ろして生井が出てきた時は、敵将の小宮山も「ここで代えちゃうの?」と思っただろう >>138
>学業のできると頭の良さは別だからね。 入試なんて限られた分野を暗記していれば通るものだからね。
「限られた分野を暗記してれば通る」、そんな簡単なことさえできないんだから、頭が悪いということなんじゃないの?
トンチンカンな理屈で無理やりの持ち上げ方をしたいようだけど、フォローにも何にもなってないって気づいてる?
それで、キミはどこの一流大学出てるの?
「限られた分野を暗記してれば通る」んだから、当然、一流大学に合格できてるんだよな?
まさか、三流大学しか合格できてないのに
「学業のできると頭の良さは別だから」三流大学しか合格してなくても、自分は頭がいいとでも主張するのか?
キミの言ってることは
頭の悪い人間が垂れ流しがちな「自分にだけ都合の良い支離滅裂な理屈」 にしか見えないよw 上にも散々出てるけど、大学のブランドってホントに大きいよね
「二浪してまでワセダ」だから小宮山は優秀、って思い込ませてるけど
「日東駒専に二浪もして入ったヤツ」を誰も優秀とは思わないんだから
小宮山は現実には「二浪で日東駒専」より学力が低いのに 昭和の早稲田と令和の早稲田
何が違うか
昭和では、教育学部体専と昭和57年から始まった特別選抜が体育会(体育局)を救ってたけど
令和では、特別選抜とその後始まった訳の分からんスポーツ選手専用推薦
昭和の方は一応頭が考慮されてたからまだマシだったが、令和の今はもう何でもあり
早稲田も堕ちたもんだ
小宮山や「そらそうよ」の岡田彰布、瀬古、太田章あたりは
体専であっても一応はちゃんと試験を受けて入ったからまだマシ 小宮山の人生を見ると、大学のブランドの力って本当に大きい 去年秋の早慶2回戦。
早稲田でスポ薦、付属系属出身以外で出場してたのは福井県の高志高校から指定校推薦で入った文化構想学部の村田ぐらいだな。
2年前の春の雑誌『大学野球』で小宮山監督が浪人経験者(一般入試組)の台頭を求めていたが、
門戸はかなり狭いのが現状だね。 >一般入試組の台頭を求めていたが、門戸はかなり狭いのが現状だね
小宮山が二浪もしてやっと入れた体育学専修みたいな
偏差値50そこそこのレベルの低い窓口が
今でも残っていればよかったけどな ポンコツ清宮がそのまま早大に入らなくて小宮山はホッとしてんじゃね?
今ごろ、小宮山が潰した、壊したと叩かれてるはずだから
てか、大学野球レベルなら清宮はいまだに大物扱いされてるかもなw 数年後、一応「勇退」という形で早稲田の監督やめて、また「野球評論家」という名目で生きていくんだろう
現在の「早大監督」という肩書も、その後のブランドアップには欠かせないだろうしな 高校時代から野球しかやって来てない選手
甲子園に出ていない選手がほとんどいないスタメンで
日本一の難関に勉強で合格した選手ばかりの東大と引き分けるという
ヘタレっぶりを晒しておいて
「サインを理解してない選手がいる」と
選手のせいにして
他人事のように外部に発する小宮山とかいう監督
そんな選手をベンチに入れ試合に使ったのは誰? 現役同期主将の大島が法政のコーチか
あの頃から変わったのは
東大のユニホームと立教が野球だけで入れるようになってしまったことくらいかな ベンチに腰掛けてるだけでもオーラが半端なくて相手チームにもプレッシャー与えてるだろうな。
インテリジェンスと泥臭さを兼ね備えた小宮山監督。
監督就任から2年余り、まだ本領発揮には至らない。打力向上面でも小宮山マジック早く見せて欲しいわ! 他校だが、早稲田の学生が「完璧の馬鹿教育学部、馬鹿が集まる体育学科」と歌っていた背景がわかった。同じ早稲田なのにそういう言い方ないだろうと思って聞いていた。 教育学部の学生は、「教育学科体育学専修」と一緒にされたくないから、専修(いわゆる専攻)までちゃんと名乗ってたもんだよ
同じ教育学部でも他の専修はみな偏差値65くらいはあるのに、体専だけは51くらいで実技付入試だったんだから
他専修の学生からしたら体専と一緒だと思われたくないのは当然
逆に、体育学専修の奴らは「教育学部教育学科」までしか言わなかったw 小宮山に近い年代だと
秋四国大会優勝で選抜出場の高松商山川や、夏の甲子園出場の久我山鳩貝(この二人は社学)
一学年下が夏の甲子園出場の秋田高校石井浩郎(二文)など
甲子園レベルの野球部から入試偏差値でMARCH以上の学部へ現役合格はまさに文武両道
こういう選手は最近はめったにいないね
浪人や、野球レベルが大したことない高校からの現役合格はたまにいるが >>159 高松商業の関係者から聞いたけど、山川君の同級生で慶應に行った大森剛君は本当に勉強ができて賢かったけど、山川君はそんなに成績は良くなかったそうだぞ。 >高松商業の関係者から聞いたけど、
>山川君の同級生で慶應に行った大森剛君は本当に勉強ができて賢かったけど、
>山川君はそんなに成績は良くなかったそうだぞ。
ほう…
山川明俊が主将で優勝した1980年秋季四国大会の高松商野球部に
当時まだ中学一年で大阪在住の大森剛が同級生として在籍していたのか…。それは初めて聞いた話だ
昭和だった当時は、中学生でも高校野球をやれたのか?
大阪の中学生が飛び級が認められて、距離も離れてる香川県の高校の野球部員になれたのか?
それはそれはもの凄い話だわ。さすが大森剛だ
それだけすごい選手だから、その2年後の中三の時に同い歳の桑田清原と一緒にPLのセレクションに合格したのも当然
こうなるともう時系列が理解不能だがw
まさか、山川と同い歳で高松商野球部にいた大森卓三と、その4歳年下の大森剛を混同してるなんてマヌケな話じゃないよな?
大森卓三は卒業後明大に進んだから、慶應進学の大森剛と間違える余地はないしな
こういう奴って
山川明俊は商業科だけどちゃんと現役一般受験で早大社会科学部に合格したことや
中学の時点で慶應商学部指定校枠を狙っていた大森剛が
PLを蹴って、高松商英語実務科在籍の初の部員として高松商野球部に入ったこと
1983年夏に一年生レギュラーで甲子園に出場したこと
三年間勉強にも力を入れ野球と両立し思惑通り慶應推薦枠をとったこと
その程度のことも知らないくせに、これだけいい加減なとんでもないデタラメを書いたわけじゃないよな?まさか違うよな?
…おっと
「高松商業の関係者から聞いた」とかいう逃げ道をちゃんと作ってあるから
「オレは知らない。人から聞いた話を書いただけ」とか言い訳するのかな >>161
160を書いた耄碌老人です。ご指摘の通りで小生の全く勘違いでお恥ずかしい次第です。山川君ではなく山内君と混同してしてしまっていました。
山川明俊君の名誉を傷つけてしまいましたことを
謹んでお詫び申し上げます。今後は知ったかぶりをしないように
留意致します。 小宮山監督は学力的には慶応⇨大洋の山下大輔さんと同じぐらいかな。 春のリーグ戦5位
小宮山「この二か月間、何をやってきたのか?」
毎度毎度お馴染みの他人事のモノ言い
お前こそ、この二か月間どういう指導、どういうチーム作りをしてたんだよ。あ、小宮山? >>162
山内君の名誉を傷つけたことも謝らないとマズいだろ 負けた時の選手非難ばかりニュースになってるイメージがある ドラ一でまあまあ結果も残しアメリカも経験しててもNPBでコーチの声もかからないところに、この人の評価が現れてるんだろ 六大学唯一門前払いだった早稲田の女子マネ許可も小宮山が主導したのかな?
今までこだわりをもって女人禁制を貫いてきた野球部なんだから、こだわりを持ち続けて欲しかった。
性別にこだわる時代ではないとかいう筋違いの理屈を持ち出して
リーダーに入りたいとかいう変わり者の女の入部を認めただけでなく
普段の活動からその女を特別扱いして、
有望な男性リーダーがバカバカしくなってことごとくやめてしまい、
いざ幹部になる学年になったら、残ったのがその女一人だけ。
さすがに女一人しかいないのはヤバいからと
今度は、一番苦しい下級生時代に吹奏楽でのんびり遊んでた男を
リーダーに転向させてまで無理やり幹部の頭数を揃えるという大失態。
他部員や下級生のやる気をそぐ、前代未聞の大失敗で
歴史の汚点を作った応援部みたいなことにならないでもらいたい。
別に早稲田ファンではないけど、こだわりって大事。特に早稲田は。 Yahooニュースで「南ちゃん」とか取り上げられて喜んでる時点で早稲田も堕ちたもんだ
本職の野球では全然勝ててないのに 昭和のベビーブームの時代に早稲田に合格した知性と豪快さを併せ持つ稀有な存在が小宮山悟だ。
彼の時代は二浪してもほとんどの受験生が早稲田には受からなかった。
今秋も立教に連敗してから、厳しい愛の鞭で選手を鼓舞したことで二年連続の秋優勝が現実味を帯びてきた。
戦力には恵まれてるだけに名将とは言えないかもしれないが。 教育学部教育学科体育学専修の学力レベルの低さはこのスレで書かれてる通りだけど
一般受験でちゃんと合格してでも早稲田で野球をやりたいっていう選手がいたのが小宮山の時代なんだよね
今でもいないことはないんだろうけど、ちょうどいい受け皿である体育学専修がなくなっってしまったのはもったいない 県岐阜商でやりたい放題やってた体専の先輩鍛治舎もついにヤバいことになったようだな >>175
頑張って勉強して人科かスポ科に入りましょう >>177
だから人科スポ科よりはるかに入りやすかったって、上にいくらでも書いてあるだろ
ちゃんと読めよ >>178
だから何だ?入りやすかろうが入りにくかろうが、頑張って勉強して早稲田に入れや!
それだけの話や 名将小宮山悟監督の戦績
・2019春→3位
・2019秋→3位
・2020春→3位
・2020秋→1位
・2021春→5位
・2021秋→2位 優勝のためにはどうしても一本欲しい、そういう一番大事な場面で、実績ゼロの高校の後輩を思い出代打に出して
解説の阿久根に暴露された結末は、何とも見るに堪えなかった
あの阿久根の一言で無能監督というOBの評価がわかった気がする >>183
それは結果論でしかないのでは?もしも高校の後輩があの場面で安打を打っていたら評価は全く変わっていたでしょう。あの日、全く当たっていない熊田がそのまま打席に立っても安打を打っていたとは全然思えなかったし。
結局は実力で勝てなかったんだと思う。早稲田は爆発力はあるかもしれないけれど、今季も総合的に慶應のほうが実力は上だった。 それでも
あの場面で実績ゼロの奴を代打に出さないんだよ、普通は >>185
小宮山監督が最後に彼を代打に出した理由は必ず何かあると思いますよ。
しかし残念ながらチームの内情は我々部外者にはわからんのです。 プロ経験のある監督だが
残念だが所属したチームが常敗軍団だった
細かい作戦・選手起用よりも
選手の自主性・主体性を重視してた印象 早稲田の野球部は学生主体で行うのが伝統的なモットーとのこと。その点は小宮山氏の最新の著書「球界屈指の頭脳派が愛する母校を再建 令和の一球入魂」に書かれています。
結局、野球部は勝利至上主義のプロチームではなく部活という教育の場なんですね。 11月9日のミエミエの自作自演
小宮山采配レベルのひどさだったな >>190
何の関係もない心当たりがない奴が、そんな一言をなんでわざわざ書いてるんだ?答えてみ?
隠し球をしようとしてぎこちない動きをしている野手、それにそっくりなんだけどw >>191
関係なくないよ。186と188と190を書いたのは俺だもん。そして187は全く別の人。よって妄想乙!
残念だったな。これからも妄想頑張ってね。 >>193
ありがとう。これからも必死にがんばるね! へ理屈ばかりの小宮山スレだけあって
変なのがムキになって幅利かせようと涙ぐましい努力してる 桑田が巨人の指名がなくて早稲田に入っていたら、二浪して同級生になってた小宮山はどうなってたのかな? 小宮山は、4冠達成されると悔しいから明日の決勝で慶應が負けることを祈ってそう。
中央学院は地元だし、なおさら。 小宮山にとっては当時の早稲田の野球部は一番おいしい野球部だったろう。
特別選抜二人以外は付属出身か指定校か一般受験しかない時代で、少ない部員の中から誰かを使うしかなかったから。
桑田も来なかったし時代的にタイミングが良すぎた感はある。本人の努力を否定する気はないけど。 現役時に明治受かったのに早稲田に来てくれた。
感謝しかない。 当時あった明治法政の夜間でさえ合格してない小宮山
二浪もしてやっと偏差値52の体育学専修だと何度言ったら 石井連蔵もかなり偏った感覚の持ち主だったが、それにこんなに必要以上に心酔してる小宮山もちょっとおかしいだろうな
恩師だといっても、そもそもその出身高校は小宮山には全く関係ない
抽象的な話が多いと部員に聞いたことがあるが、こういう宗教的な言動を見てもその理由がわかるような気がする
https://news.yahoo.co.jp/articles/4db56d950e824a5be3d27721d8ee843c82a56711
早大・小宮山悟監督が水戸一を訪問 殿堂入りした故・石井連蔵氏の記念碑に誓う「天皇杯奪回へ頑張りたい」 >>181
20年秋は、慶応の堀井が
ここ一番でエースを降ろしてしまうというお得意のめっちゃくちゃ継投クソ采配してくれたおかげでの棚ぼた優勝だからな
さんざん偉そうな能書き言ってるわりには全然結果出せてない
その上、負けた試合後に選手のせいにするコメントが目立ってるようじゃ二流指導者としか言いようがない 難しい顔してわかりにくいことを言ってる指導者が名指導者と思われがちだが
新庄BigBossのような存在が結果を出すとプロアマ問わず指導者像の風向きが一気に変わる気がする >>204
経験やイメージからかなり期待してたけどやらせてみたら大したことなかった、という典型 とにかく結果が全て
優勝目指してひたむきに頑張るしかない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています