【平成最初の主将】 早大野球部 小宮山悟 【平成最後の監督】
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来年(平成31年)1月に早大野球部監督に就任する小宮山悟のスレ
経歴・実績などは今さら書く必要もないだろう。各自検索してくれ。
ここでは、早大野球部主将として最初に迎えた早慶戦(平成元年・春季)の早稲田スポーツ紙面での彼のプロフィールを紹介する。
===== 早稲田スポーツ 平成元年(1989年)5月27日 第223号 早慶戦特集号 =====
主将 投手 10 小宮山悟
彼がとんねるずの石橋貴明に似ているのはあまりにも有名な話ではあるが、
気迫溢れるマウンドさばきを見る限り、石橋貴明を通り越し、東大寺の金剛力士像に見えてくる。
気迫の乗り移ったボールは打者をバッタバッタと斬ってとる、といきたいところだが、
今季は他校のきついマークに遭い、思い通りのピッチングができない。 完投勝ちが一つもないのも、彼にとっては不満だろう。
そうはいっても「小宮山なくして早稲田なし」。 79代主将として、投手陣の柱として、その存在価値は計り知れないものがある。
序盤の3連敗からここまで立ち直ることができたのも、彼のキャプテンシーのたまものだ。
「野球をやってて一番楽しい時は、勝手学生席が盛り上がったときと、『ガンバレ!小宮山』の声がかかった時」と言うあたり、
大観衆の前では一層燃える男だ。 みんなで精一杯応援しよう。
試:6 勝:3 負:3 防:2.52 右投右打 1m83cm 75kg 教四 芝浦工大柏高 >その実績から、にわかには信じがたいが高校時代まで無名だった小宮山悟さん。
>しかも一般入試で2浪して早稲田大学へ入ったのだ。
https://www.fnn.jp/posts/00390840HDK
また、いつものお決まりの話か…
教育学部体育学専修なんて、偏差値52〜53程度
しかも、学科試験以外に体育実技(50m走、ハンドボール投、持久走等)が課されてたから
普通の一般受験生は受験せず学力的には実質日東駒専より低レベル
そこに二浪もして入ることはむしろ褒められたもんじゃない
小宮山の二浪目が体育学専修の最後の募集で、ぎりぎり間に合ったから入学できただけのこと
実際、翌年からは、体専を発展的に改組した形の人間科学部スポーツ科学科になり
試験科目が英国社(数)だけになって、体専より明らかに学力レベルが上がってしまった
それまで体専があったおかけで合格できていた学力低レベルの選手が合格できなくなり
部員数が目に見えて減ってしまうという現象が数年続いた
そういう経緯を知っていると、大学のイメージって本当に大きいと思う
「二浪で日東駒専以下」の小宮山のことを優秀だってみんなが思い込んでるんだから >>6
江川の屈折した学歴エリート意識は理解できんな〜
中学時代勉強ができたといっても偏差値がどのくらいとか具体的に把握できてなかったはず。
親が高卒で出世できなかったから変なコンプレックスを植え付けられたらしいが・・・ 法政の夜間に行ってしまえるなら、早稲田でもいいはずだけどな。
ま、
高校生といえどあれだけの有名人になってしまうと早慶併願というのは世間的に許してくれないのかもしれない。
その部分は気の毒。
「作新学院江川投手が慶応大学に不合格になりました」とNHKのニュース速報でやったくらいなんだから。
マスコミも異常だよ。 もしPL桑田が巨人から指名されず
翌年小宮山と桑田が早稲田で同級生になっていたとしたら、小宮山はその後どんな野球人生になったのか
非常に興味がある
究極の「たられば」だが 早稲田の監督の後は何するつもりなんだろう
プロの監督か? 肩書は大学職員なのか?
元々会社員の人が監督やるんだと出向という形にするが、この人はフリーで「野球評論家」という立場だから バレンタインのつてでメジャー行ったシェイクボールのごまかし投球の0勝ゴミ 小宮山は1年の時には、1個下の先輩に正座させられて蹴り入れられたり殴られたりしたんだろうな。 小宮山 「 >>39のように一つ二つ年上年下を気にしてるような奴は、
浪人して入るような価値がないような大学しか知らない奴だということが、 簡単にわかってしまうんだよね。 (苦笑 」
それなりに勉強しないと合格しない大学の学生 「 ですよね (失笑 」 偏差値52くらいしかないし
試験科目にハンドボール投げとか50m走とかがあって普通の受験生は誰も受験しなかった
スポーツバカの典型で
早稲田では「あそこだけは早稲田ではない」と言われていた教育学部体育学部専修出身で
「早稲田出身」を強調していつまでもメシ食ってる小宮山 現場の声
ヒダすいシュウ先生って誰?
何? 飛田穂洲?
トビタホシュ〜?
どうでもいいけど、その人の教えとかいうのが、どう今の野球に役立つの?
小宮山?
昔あった、偏差値50くらいで、ハンドボール投げとか持久走が試験科目にあった底辺専攻に
二浪もして入った先輩でしょ?
日本のプロでそこそこやったけど、メジャーじゃ相手にされなかった貧弱な人でしょ?
で、その人が昔のヒダ補修とかいう人の理論でやるの?
それでチームを強くできるの?
ほう、それは楽しみだね (冷ややかな笑い …スマホ見ながら 小宮山って「マネーのトラ」で威張ってる社長ぽい(笑)
その後、倒産sる社長に(笑) セブンイレブンでしらたき口に入れて踊って炎上した常総学院OB玉川大学野球部員みたいのが
早稲田にいたとしたら、小宮山はどうするのかな?
ハンカチと同期の奴が合宿に女連れ込んだとかでクビになってたけど、あれに近い感じか? ,,-―--、
|:::::::::::::;;;ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::::::::::( 」 < 学院・早実で優秀な者は理工へ進学する!
ノノノ ヽ_l \______________
,,-┴―┴- 、 ∩_
/,|┌-[]─┐| \ ( ノ
/ ヽ| | 早 | '、/\ / /
/ `./| | 大 | |\ /
\ ヽ| lゝ | | \__/
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⊂|______|
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| ┬ | >>49
小宮山くらいの世代の男性はサッカー嫌いが多いと思うよ。
小宮山のすぐ下の世代は感化されやすい学生時代にサッカーブームを迎えたから
サッカー好きが多いけどね。サッカーブームの頃は大学野球は既に学生の姿無しだが
小宮山の学生時代はまだ学生の観客が多く、優勝でも懸かろうなら超満員だった。 大学野球よりも
社会人野球よりも
日本のプロ野球よりも
レベルが高いメジャーまで経験していながら
自分が率いることになった大学野球部が
社会人チームに10点差で負けると
ご立派な能書きをこき始める
試合前になんでわからないの?
このチームは社会人チームと比べると
こういう点が劣っている、ここが足りない、これを補っておかなければ通用しない…等々
対戦前に修正しておくのがアンタの役目じゃないの?
なんで、試合後に急に知らなかったことを初めて知ったみたいな第三者的なコメントしてんの?
ねえ、なんで?w 小宮山悟 「 体育実技まで試験科目に含まれていて普通の受験生は受験しなくて、
偏差値52しかなかった教育学部体育学専修に、
二浪もしないと合格できなかったボクにそんな難しいことを聞かないでよ。
日東駒専に二浪して入った奴よりレベルが低い僕なんだからさあぁ…。
ってか、そんなボクでも知的に見てもらえてるんだから、早稲田ブランドってやっぱすげえよなあぁ…。 」 試合前、試合後のあいさつの時くらい、サングラスとれよ、小宮山。 てめえの率いてるチームがしょうもない試合運びで 「はらわたが煮えくり返る」
ご立派なコメントする前に
まずは
挨拶の時くらいサングラスをとれや、なあ小宮山
日本のプロと、全く通用しなかったメジャーで
野球やると
そういう最低限の礼儀がなくてもいいと
お前は思っているのか?
なあ
偏差値50そこそこ、体育実技が試験科目にあって普通の受験生が受験しなかった
教育学部体育学専修に二年間もかかって合格した小宮山さんよ 小宮山が、教育からスポ科院に転身したのはデカい。
野球部の腐敗が少しでも抑えられる。 注目されて大したことでもないことが記事になっているきらいはあるけど、能書きだけは立派だよね
もう、半年チームを見てるわりには、他人事のコメントがずいぶんと多い 1988年 昭和最後の早慶戦
慶応の主砲大森剛を抑えないと勝てない
でも抑えられない
だから、勝つために敬遠した
スタンドから「逃げるのか」と言われた
慶応に勝たないで4年生を卒業させるわけにいかないから、泣きながら敬遠した
こいつを抑えないと勝てない、そいつに勝てるように練習しておけよ小宮山
31年もたって、いい歳こいて
自らのヘタレっぷりをいまだに美談にしてるんじゃねえ 上原浩治 「自分は堂々と勝負したいのに敬遠の指示が出て泣く泣く敬遠した、ってならわかるけど
勝負しろという指示なのに、勝つために自分で敬遠することにした。
それが悔しくてマウンドでビービー泣いた、って理解不能。 何、自分に酔ってんの?」 早稲田投手 「監督、シェイクの投げ方教えてください。緩急つけたいんで」 (前向きな150キロ投手
小宮山監督 「あれは、プロレペルの緩急。まだ早い」 (後ろ向きな元130キロ投手 試合前後のあいさつの時でさえサングラスを外さない
そんな奴が何が指導者だよ 辞める時、「もう少し、強いチームの監督をしたかった」という有名な言葉を残した人です。
僕は本当にこの人が、嫌いだった。最悪だった。
実際、横浜時代にトレードでロッテに出され、ロッテにきたら、解雇された。
しかも、ロッテの監督に就任した時に、僕は自ら「あの人なら辞めます。自由契約にしてください」とお願いしたのですが
「近藤さんが必要としているので、ダメ」と言われ、11月にいきなり「やっぱ、クビ」と言われた。
これって、通常の球界の倫理から外れている。
だって、11月になると、他球団も編成がかたまり、テストも受けさしてもらえないから。
当時のフロントの担当の方も「本当に申し訳ない」と謝ってくれた。
聞いてみたら、「監督に意向だから」と。ホント、怒ったね。近藤さんに。
https://ameblo.jp/secondcareer/entry-10005122580.html 近藤とは、近藤昭仁のこと。
こんなヒトデナシを、小宮山はいたく敬愛してた。
(小宮山とはそんな輩)
早大閥だからだろう。相当に贔屓にしてもらってたのだろうな。 「いわゆる「報復措置」問題の取材を進めて、更に分かったことがあるのでお知らせする。
日本の経済産業省が日本を守るために全力で戦っていたことを。
今回の3品規制やホワイト国除外という規制は、発表当初誰もが慰安婦問題や徴用工問題での日韓関係悪化が原因のものだと思っていた。
しかし、それは誤りだった。
実は韓国による北朝鮮とイランへの戦略物資横流しという、レベルの違う重大問題が理由であったことは昨日までに書いた通りだ。
ではなぜ、「紛らわしいタイミング」で原因の異なる規制を実施するに至ったのか?
そこには経済産業省の戦いがあったのだ。
事の発端は韓国に文大統領政権が誕生したことに発している。
その直後から、日本から韓国へ輸出した戦略物資が「行方不明」になるケースが出始めたのだ。
文政権以前でも稀にはあったのだが、事務作業ミスなどでは説明がつかない件数に達した。
日本側は韓国側に説明を求めたが、韓国側はホワイト認定国に課せられている定期協議すら拒否した。
(最低2年に一度開催が日露尾なのに、文政権誕生後は韓国側の拒否により一度も開催されていない)
それでも当時はまだ日韓関係に配慮していたため、様子見することとなったらしい。
ところが、「行方不明」になる物量がどんどん増えていった。
(途中から北朝鮮向けだけでなくイラン向けにも横流しが始まったことによる)
そこで韓国側に強く警告と協議開催を要求したところ、韓国側がとんでもない態度に出てきたそうだ。
「日本は共犯である、黙っていろ。」と開き直ったらしい。
韓国側は日本を共犯どころか「主犯」にするつもりだと日本側は感じたという。
そのことは経済産業省内部で上に伝わり、「このままでは日本が危ない」と危機感を募らせることになった。
当然、優先して3品規制の実施とホワイト国からの韓国除外が経済産業省内部では方針決定された。
また、外交ルートを通じてアメリカにも「戦略物資の行方不明」が情報伝達されたようである。」 早稲田大学 学部カースト
【上位】
政経──早稲田創立以来の看板学部。特にジャーナリズムに人材を多数輩出。
法──政経に匹敵する名門学部。政界・法曹界・言論界に人材を多数輩出。
理工──就職率は早稲田最強。ノーベル賞候補レベルの研究者を多数輩出。
【中位】
商──実業界に人材を多数輩出。大学院に進学すればMBAも取れる。
文──政経法に匹敵する名門学部。文豪を多数輩出。出版業界は文学部OBの巣窟。
国教──皇族も進学された新進気鋭の学際学部。授業はほとんどが英語。
【下位】
社学──政経2部、法2部、商2部をくっつけた施設。浪人は一時の恥、社学は一生の恥。
文構──偏差値・就職率とも文学部に匹敵するが「二文の後継学部」という偏見が根強い。
教育──教育学部だが教育に興味ある人間は皆無。上中位学部に落ちた人間のふきだまり。
人科──所沢にある分校みたいなもの。何をやっている学部なのか誰も知らない。
スポ科──筋肉バカ隔離施設。 >>69
小宮山悟 : ボクが在籍した教育学部教育学科体育学専修は、【下位】のもっと下【最下位】ってとこかな?
二浪もして社学にも落ちたボクが何とか最後に引っかかった翌年、廃止になって人科になったから、
もう二度と現れることはない早稲田史上の【最下位】に最後に入ったのがボクってことね。
入試科目に50m走、ハントボール投げとかがあって、勉強の偏差値は52くらい。
人生を支えてくれて今でも利用してる早稲田ブランドを、一番低レベルで手に入れたボクって勝ち組w で
すっかり話題にならなくなったけど
最近どうなの?このへ理屈野郎 昭和末期から平成初期の早大野球部主将
82 安部_ (小倉)_ 教体・一般現役 ※甲
83 阿久根 (早実)_ 商_・系列推薦 ※甲
84 鈴木_ (静岡)_ 教体・一般現役 ※甲
85 山川_ (高松商) 社_・一般現役 ※甲
86 鳩貝_ (久我山) 社_・一般一浪 ※甲 −−教体特別選抜一期生の代:佐藤(PL)・池本(広島商)
87 江上_ (池田)_ 教体・特別選抜 ※甲(優勝)
88 黒木_ (高鍋)_ 二文・一般二浪
89 小宮山 (芝工柏) 教体・一般二浪 −−教体最後の代、次の代から人スへ改組
90 水口_ (松山商) 人ス・特別選抜 ※甲(準優勝)
91 川原_ (常総)_ 人ス・特別選抜 ※甲(準優勝)
92 鈴木_ (関東一) 社_・自己推薦 ※甲(準優勝)
93 仁志_ (常総)_ 人ス・特別選抜 ※甲(準優勝)
94 織田_ (日向)_ 社_・自己推薦 ※甲
95 大森_ (天理)_ 人ス・特別選抜 ※甲(優勝)
教体 = 教育学部体育学専修
人ス = 人間科学部スポーツ科学科
※甲 = 甲子園出場 コイツほど、桑田がプロに入るために早稲田を利用した、その恩恵を受けた奴はいない
桑田に足を向けて寝られないだろう
勉強せずふらふら遊んでてどこにも入れず二浪もしてよかったな、いいタイミングだったな
桑田が早稲田志望と表明して他球団が手を引いて、マンマと巨人単独指名されてよかったな
桑田が入らなかったおかげで下級生からベンチに入れたし、六大学でたった20勝でドラ1
ワセダブランドでプロでもいい使い方してもらえて、メジャーにもお客さんとして経験できて、早稲田の監督にもなれた
おまえがご立派なのはよ〜くわかったから、早稲田の監督として
試合前、試合後の挨拶の時くらい、そのサングラスとって礼をしろよ
なあ、小宮山 >>28
小宮山さんはインテリのイメージだったから衝撃だ…
当時の社学にも落ちていたんだね。
体育学専修の偏差値ってそんな低かったのか。今のスポ科以下とは。
理論家なのは認めるけど、見た目と早稲田の名前で得をしているのも確かだな。 小宮山が受験した当時の社学は、
17時以降の授業だけでも4年で卒業可能がウリの昼夜学部(午前に授業がない)といっても、
MARCHにも合格しても社学に入学する受験生が断然多いレベルだったんで、決してレベルが低いわけじゃなかったが、
教育学部教育学科体育学専修(体専)は、学科試験の偏差値レベル以前に、入試に体育実技が課されてたってのが大きい。
勉強しかしてない普通の受験生が、50m走・1500m・ハンドボール投等が試験科目にある学科を受験する訳がなく、
体専はスポーツ選手専門学科の典型だった。
もっとも、ちゃんと英国社といった学科試験も受けてでも入学しようと思う時点で、早稲田や筑波の選手は、
日体国士東海の体育学部に入る100%運動だけの選手よりはまだマシなんだが、
小宮山は、学科試験で見ると日東駒専未満の体専に二年も浪人してやった入った、まあそのレベルだということ。
個人的には、社学や体専なんて一番早稲田らしい学部学科なんでそのまま残してほしかったけどな。 当時、法政明治の夜間の次に合格しやすかったのが早稲田の体育学専修 小宮山の時代、半夜間学部とはいえ偏差値60はあった社学や、58くらいはあった二文でさえ
学内では肩身の狭い思いをしていたというのに
52くらいの教育体専で「オレ、早稲田」っていう振る舞いを学外でしてる小宮山のことを快く思ってない人も多いよ サンプラザ中野は早稲田文系全部受験して唯一受かったのが政経だった >>78
昭和の終わりから平成の初めころは、とにかく早稲田に行きたいから全学部受験したという、そういう受験生がたくさんいた
その中でも、体育実技があるので体育学専修は受験しないのが、スポーツ選手じゃない受験生だった
体専はそういう「スポーツしかやってない奴」のための専攻
上にも出てるけど、日東駒専よりは間違いなくレベル低かった 敬遠しないで勝負しろというベンチに指示で
勝負すると打たれるから泣きながら敬遠したという話
ヘタレ過ぎて意味がわからない 桑田が早稲田に入っていたら、小宮山は同級生としてどういう付き合い方をしてたのか非常に興味深い 前もって枠を空けてあった桑田が入らなかったおかげで
特選でロクなのが入らなかったその年の早稲田に二年遅れでちょうど入ったという幸運が大きい
毎年甲子園優勝校準優勝校の中心選手が名を連ねてたのに
その代だけは、鳥取西と甲西の誰も知らない選手だけ
鳥取西の奴なんか特選で入っておいて最後はマネージャーになったレベル 小宮山の下の代から教育学部所属の部員が極端に減少したのを見れば、どんだけそれまで教育学部体育学専修の部員が多かったのかがよくわかる 何でこの人、今まで、プロでコーチや監督の話が出なかったの? 別に頭脳派でもなんでもないってことがもうバレてる
早稲田のブランドがそう思わせてるだけ
日東駒専に二浪して入った奴を「頭脳派」という人はいないだろうから 試合開始終了時の挨拶でサングラスかけたまま
そういう人間
学生を指導する立場で
目に疾患でもあるのか? 法政に3安打完封された試合の前、後の挨拶の時には、早稲田の監督は、ちゃんとサングラスを外して礼をしましたか?
早稲田史上最低偏差値の専攻に合格するのに二年もかかったくらいだから、最低限の礼儀が身に付くまでにも二年くらいかかってしまうのか? 二試合連続完封負け
全然打てない
打てない一年生をいつまでも使い続ける
こういう無能監督でも、挨拶する時にはサングラスをとるという最低限の礼儀は、当然身に着けたんだろうな? 小宮山さんは無名の二浪受験生から這い上がったという自負から来るのか、
かなり我の強い人だから、敵も少なくないんだろうな。
今の若者に合うのか心配だ。
次は水口栄二さん辺りに監督してもらいたいな。 >>91
テレビの早慶戦解説でも空気読めない皮肉屋
とてもアマチュア競技の指導者に向いてるとは思えない
プロ仕込みの指導法や采配を期待されての起用だろうが、それも既に疑問符がつく このスレにも書かれてるが、
入試の科目が体育学生専用でその上偏差値50ちょっとしかなかった、今は亡き体育学専修が
たまたま二浪目まで存続してたおかげで入学できただけの最低辺に、そこまで都合よく自負を持たれても困るよな
二浪で日東駒専の奴が「オレ、勉強も頑張って大学入って、プロでもやれた」とか言ってるのと同じなんでね 軽く完封されて連敗であっさり勝ち点とられてるのに、その監督が無理やりな話でYahooで話題にされてることに違和感
それが早稲田のブランドなんだろうがw 小宮山の一学年上が荒木大輔
荒木が在学した頃の早実はまだ商業科もあり(荒木も商業科)
卒業生の大部分が推薦で早大に進める今と違って、当時は早大に進める枠は卒業生の半数程度
早実野球部で高校時代学業成績が良くなくて学内推薦だと体育学専修にしか行けないからと
推薦を捨てて外部を受験する野球部員がたくさんいた
早実野球部で荒木の一学年上で、今回めでたく大臣になった萩生田は推薦を使わず一般受験で明治だし
浪人して慶應に進んで神宮で活躍した選手もいる
教育学部体育学専修なんて、優秀な奴が二浪してまで入るようなところじゃないとよくわかる例 なにやら言うことだけは立派みたいだけど
まさか無いよな?
三連続完封で負けるなんて
冗談だよな?w どんなに打てなくても大阪桐蔭の一年生を使うという契約をどこかとしてるんだろうな
さすが元プロだけあって金や契約の問題なのか?
上級生が腹立てるのもよくわかる WHIP1.30で和製マダックスとかアホか
頭いいとかコントロールいいとか全部嘘 挨拶する時くらいサングラスとれ
無能のくせにカッコばかりつけるな 挨拶時にサングラスしてるような奴がどんな指導ができるというのか 2浪して早稲田に入ったと言われるとすごい努力家で頭がいい人
というイメージを受けるが、イメージに左右されてはいけないという一例だね。
MLB中継の解説を聞いていても状況を客観的に見るというより
思い込みや好き嫌いで話すことが多いから、人をまとめる役割はあまり向いてなさそう。 この一年間で完全にボロが出た
去年の今ごろはご立派なことを抜かしてたのに一年たったらこのザマ 挨拶する時にサングラスを外すという一般常識をいくつになったら身に着けるのか? >>95
荒木がドラフト前に早稲田大学進学ではという噂が少しでたころに、
「荒木の学力では難しい」と言われたのはそんな事情があったのね。
>>102
学歴がいい人=思考能力が高い人、ではないし
学歴がいい人=物事を客観的に判断できる人でもない。 シーズンが終わった今頃になって
「一年目で遠慮があった」「課題も山積してる」とか、相変わらずの他人事のコメント
コイツつくづく後になっての言い訳ばっかりだよな
単なるカッコつけ野郎
何だよコイツ >>105
日東駒専未満の当時の教育学部体育学専修の奴を、そもそも「学歴のいい人」とは言わねえしw
二浪もして日大にやっと合格した奴を「学歴のいい人」って言わないだろ?
それも、入試に体育実技があるような学科は浪人生は普通受験しないし >>108
実態が分かっている人は小宮山=インテリなんて思わないだろうが、
そこまで頭が回らない人たちは普通に小宮山は知的だ、他の野球選手とは違うとか
考えたりするからな。 江川だって、「早慶戦に出たいけど、早稲田じゃ体育科とかあって、野球で入ったと思われちゃうから」って、慶應にこだわったくらい
その体育科に二浪もしてやっと合格して、それをいまだにメシの種にしてるというのは痛い >MLB中継の解説を聞いていても状況を客観的に見るというより
思い込みや好き嫌いで話すことが多い
小宮山の解説ってそんなものなの? あいさつする時はサングラスを外すのが礼儀、という最低限の常識をまず身に着けてから、学生野球の監督という立派な肩書名乗ってくれ 早稲田ブランドをなおさら利用しようと大学監督を引き受けたことで
抽象的なことを言ってるばかりで、実は中身のない大した指導者じゃないとバレバレになってしまい
評論家としてプロ相手に上から意見してるだけでやめといた方がよかったと本人も思ってるだろう 2浪でも早稲田と言えば、受験や就職活動に縁がなかった人たちは
努力して文武両道を達成したと勘違いしてくれる。
それにいくら体育学専修でも、球界で早稲田人脈を活用できるのは大きいでしょ。 ロッテ時代同僚初芝氏がユーチューブで
金髪にしたエピソードを話してて「似合ってないね」と言ったのが小宮山さんで
どうせならとことんやれと 小宮山さんの言葉で まゆげも金髪にしたとかw
ふつーにおもしろいよw
【8回表】初芝さんの金髪の真相が明らかに!?ネットの噂を直接聞いてみた
その3
https://youtu.be/EZKft72jpcg @YouTubeさんから 挨拶する時にも頑なにサングラスとらないってどういう礼儀知らずなんだよ 2年生春の早慶戦(昭和62年・春季)の早稲田スポーツ
===== 早稲田スポーツ 昭和62年(1987年)5月30日 第206号 早慶戦特集号 =====
投手 16 小宮山悟
B型肝炎という爆弾を抱え込んでいることはみじんも感じさせない。
その屈託のない明るさでチームのムードメーカーとなっている。
対東大二回戦で先発。38回0行進だった東大打線に火をつけてしまい、3失点。
以後はワンポイントリリーフとしての登板が多かった。
まだまだ未知数の選手であるが、将来のエースとして大きな期待が寄せられている。
最後に、彼は生きうつしと言われるほど、とんねるずの貴明に似ています。確かめたい方はぜひ神宮へ。
試:3 勝:0 負:0 防:0.00 右投右打 1m83cm 75kg 教二 芝浦工大柏高
※小宮山が二年生のこの代の早稲田の主将:江上光治(池田高)、一年生:水口栄二(松山商)
立教の主将:長嶋一茂(立教高)
明治の主将:坂口裕之(高鍋高・現高校野球解説者)、エース:武田一浩(明大中野)
立命館の主将:古田敦也
名古屋商大の四番:大豊泰昭 石橋貴明にそんな似てたのかな。
一茂さんは立教新座高校なんだね。
高校入学時は小宮山さんより学力高かったのかも。 >>119
当時の立教高、立教大はスポーツ推薦はなかったけど、一茂に関しては「あの長嶋茂雄の息子」ってことで、野球云々でなく
「長嶋ワク」のような形で高校入学時何らかの下駄を履かせたことはあるかもしれない。(一茂が成績良くなかったと言ってるわけではないw)
そもそも一茂は中学校では野球をやってなくて、野球による高校入学ではないのは確か。
学業に関しては
何故か一茂の代だけ高校から大学に上がる推薦枠が増えていて
それは成績がよくなかった一茂を枠に押し込む為だったんじゃないかという都市伝説みたいな話がある。(真偽は不明w)
当時の立教高、立教大は、偶然いい選手が揃ったのか、野球推薦なんかなかったのに異様に強かった。
1982(昭和57)年春 立教高 埼玉準優勝・関東大会出場 (一茂が高二・関東大会での背番号はたしか16)
1983(昭和58)年夏 立教高 埼玉ベスト4 (一茂が高三、背番号3で四番)
1985(昭和60)年夏 立教高 埼玉優勝で甲子園初出場
(この年が埼玉県初の私立校甲子園出場 春:秀明、夏:立教 それまでは公立しか出たことがなかった)
1987(昭和62)年秋 立教大 東京六大学で優勝争いするも、最後に法政に敗れ惜しくも二位 (一茂が主将四番、立教高出身の高柴がエース)
1989(平成元)年秋 立教大 東京六大学で優勝 (立教高甲子園メンバーや甲子園出場の磐城高金賀捕手等、スタメン7〜8人が甲子園経験者)
1990(平成2) 年秋 立教大 東京六大学で優勝・明治神宮大会で準優勝 (湘南高から一浪後入学した現立教大監督の溝口智成が主将)
一茂以下3年連続で立教大主将がドラフト指名 1987:長嶋一茂 88:矢作公一 89:黒須陽一郎(※黒須同期の高林孝行は日本石油時代全日本)
当時の立教大は推薦制度は指定校しかないこともあり、他大と比較すると圧倒的に部員数が少なく選手層も薄かった。
法明早慶とは大きく差をつけられ、常に東大と最下位争いをしている状態。
立教高も、今の早実や慶應高のような野球推薦があるわけでもなく
「埼玉近辺の育ちのいい子たちが野球をやってる」って感じの野球部だったけど、この「一茂世代」周辺は戦力はかなり高かった。
この辺も、一茂が「もっている」ところなのかもしれないw >>120
めちゃくちゃ詳しいな。
小宮山が立教、明治辺りの野球部に入ってたら、どうなってたんだろうな。
栄光の野球人生ではなかったかも。 学年でいうと小宮山の一つ上だったか
早稲田の攻撃中、石井連蔵監督が出てきて審判に選手交代を告げ
コーチスボックスから走ってきて打席に入る岩本ってのがいた
鎌倉学園出身
あんな形の代打なんか、もう絶対にないだろうな 高校の時の監督に早慶のどちらがが自分に向いているか尋ねて、早稲田と言われて志望校に決めたらしい。もし仮に慶應に進学したとしても浪人多い環境だし馴染めてただろうね。 〜〜〜【早稲田以外の六大学野球部に小宮山が入部していたら、活躍したかどうか?】〜〜〜 …勝手な考察w
・以下の三点で考察 〇→可能 △→微妙、可能性はあったかも ×→無理 ※甲=甲子園出場
@大学に合格できるか?
A野球部に入部させてもらえるか?
B入部したら活躍できたか?(部の風土・起用法等)
・前提条件 : 1:小宮山の受験結果 二浪で社会科学部不合格・教育学部体育学専修合格
(当時の社学は完全夜間学部ではなく3、4限から授業がある昼夜併用学部だったとはいえ、
MARCHと同等かそれ以上の難易度。実際に社学MARCH双方合格者は社学に進学する者が多かった)
2:部員少数選手層薄い当時の早稲田とはいえ二浪入部で一年からベンチ入り。4年時主将。ドラフト一位 法政 @ 〇(夜間学部なら可)
△(昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A × セレクション組のみ。高校時代無名の二浪選手は門前払い
※参考:のちの日本シリーズMVP石井丈裕(早実で荒木の控え・小宮山の1歳上・現役合格・甲)も当初入部拒否
入部後は同期の猪俣隆〈堀越高・阪神〉らとダブルエースで活躍
B ―— 入部できないから、活躍はあり得ない
明治 @ 〇(夜間学部なら可)
△(昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A 〇 一般入試組・浪人組でも入部可、小宮山の同い年一浪の飯島泰臣〈松商学園〉が主将
B 〇 早稲田の独特な空気でもやれたから活躍できたはず。ただ、当時明治の部員数は早稲田の倍。それがどうか? 立教 @ △ 微妙。合格した可能性はあったかもしれないが…。(当時から夜間学部はなかった)
A 〇 入部可。付属・現役一般入試・一浪・二浪何でも可、当時は部員数が東大並みの少なさ
B 〇 活躍したはず
※参考:2歳下一浪の溝口智成〈湘南〉、4歳下二浪の田代則雄〈東海大浦安・甲〉が主将。田代は首位打者
慶應 @ × 合格できる学部がない (参考:SFCのAO入試は小宮山プロ入り後)
A ―— 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ―— 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:2歳上二浪の猿田和三〈秋田高〉・鈴木哲〈福島高・西武広島〉で大学日本一。
同い年一浪の堤辰佳〈濟々黌・元巨人GM〉、2歳下一浪の橋口〈三国丘・甲・大阪ガス監督〉が主将
東大 @ × 説明不要
A ―— 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ―— 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:4歳上一浪の大越健介〈新潟高・現NHK〉、2歳上一浪の市川武〈国立高・甲〉がエース
2歳下一浪の小林至〈県多摩高・元ロッテ〉と1歳下二浪の階猛〈盛岡一高・現衆院議員〉がエース争う
2歳下二浪の藤沢章雄〈土佐高〉が主将 >>124
>>125の修正
〜〜〜【早稲田以外の六大学野球部に小宮山が入部していたら、活躍したかどうか?】〜〜〜 …勝手な考察w
・以下の三点で考察 〇→可能 △→微妙、可能性はあったかも ×→無理 ※甲=甲子園出場
@大学に合格できるか?
A野球部に入部させてもらえるか?
B入部したら活躍できたか?(部の風土・起用法等)
・前提条件 : 1:小宮山の受験結果 二浪で社会科学部不合格・教育学部体育学専修合格
(当時の社学は完全夜間学部ではなく3、4限から授業がある昼夜併用学部だったとはいえ、
MARCHと同等かそれ以上の難易度。実際に社学MARCH双方合格者は社学に進学する者が多かった)
2:部員少数選手層薄い当時の早稲田とはいえ二浪入部で一年からベンチ入り。4年時主将。ドラフト一位
法政 @ 〇 (夜間学部なら可)
△ (昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A × セレクション組のみ。高校時代無名の二浪選手は門前払い
※参考:のちの日本シリーズMVP石井丈裕(早実で荒木の控え・小宮山の1歳上・現役合格・甲)も当初入部拒否されるも
入部後は同期の猪俣隆〈堀越高・阪神〉とダブルエースで活躍
小宮山と大学同期の主将は大島公一〈法政二・甲・オリックス〉、エースは葛西稔〈東北高佐々木主浩の控・甲・阪神〉
B ― 入部できないから、活躍はあり得ない >>125
>>126の修正
明治 @ 〇 (夜間学部なら可)
△ (昼間学部でも学部によっては合格したかも)
A 〇 一般入試組・浪人組でも入部可、小宮山の同い年一浪の飯島泰臣〈松商学園〉が主将
※小宮山と大学同期の主将は今久留主成幸〈PLで桑田の女房役・背番号12・甲・大洋〉
B 〇 早稲田の独特な空気でもやれたから活躍できたはず。ただ、当時明治の部員数は早稲田の倍。それがどうか?
立教 @ △ 微妙。合格した可能性はあったかもしれないが…。(当時から夜間学部はなかった)
A 〇 入部可。付属・現役一般入試・一浪・二浪何でも可、当時は部員数が東大並みの少なさ
B 〇 活躍したはず
※参考:2歳下一浪の溝口智成〈湘南〉、4歳下二浪の田代則雄〈東海大浦安・甲〉が主将。田代は首位打者
慶應 @ × 合格できる学部がない (参考:SFCのAO入試は小宮山プロ入り後
小宮山と大学同期の大森剛〈高松商・巨人〉は高松商英語実務科の商学部指定校推薦)
A ― 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ― 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:2歳上二浪の猿田和三〈秋田高〉・鈴木哲〈福島高・西武広島〉で大学日本一
同い年一浪の堤辰佳〈濟々黌・元巨人GM〉、2歳下一浪の橋口〈三国丘・甲・大阪ガス監督〉が主将
東大 @ × 説明不要
A ― 合格できないから、入部はあり得ない(合格できたら、入部可)
B ― 入部できないから、活躍はあり得ない(部の風土だけで言えば、活躍できたはず)
※参考:4歳上一浪の大越健介〈新潟高・現NHK〉、3歳上一浪の市川武〈国立高・甲〉がエース
2歳下一浪の小林至〈県多摩高・元ロッテ〉と1歳下二浪の階猛〈盛岡一高・現衆院議員〉がエース争う
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