>>302

私の名は「お前」ではない。また「ボケ老人」でもない。
このことをまず念押ししておく。

ところで、多摩キャンパスからの経済学部・社会学部の市ヶ谷への復帰について申し添える。
このことについては、彼らが多摩へ移った経緯からひも解く必要がある。青木宗也総長時代に多摩全面移転を計画したものの、
青木総長の足元の法学部、とくにマツケイこと松下圭一教授らから反対論が噴出した。その結果、経済学部と社会学部が多摩に移っていった。

その後、最近になり経済学部あたりから市ヶ谷へ復帰したいとの声があるも、既存の市ヶ谷各学部からは「何を今になって」と冷淡な反応であった。
しかし、法政の看板でもあった経済学部にも多摩移転後偏差値が伸び悩み、指定校推薦等でもって学生を満たさねばならぬ有様になったとの事情があったようだ。

だが私は、狭隘な市ヶ谷キャンパスという物理的事情もあり、上述復帰は困難だと考えてきた。しかし、現執行部が立てた将来像には経済学部移転が含まれているようである。
でも現実的に、市ヶ谷のどこにその余裕があるのだろうか。
三輪田学園か東京逓信病院あたりを買い占めねば、今後の大きな飛躍は望めないと思われるのだが。だが、三輪田が嘉悦のように売却に首を縦に振らないらしい。