抑圧発狂ゲログロ動画
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松本清張の『渦』を読んでいる
何度も読み返した本だけどもテレビ視聴率競争が激化したころに書かれたもので
出てくるモチーフが逆に新鮮だ
このころはまだアニメという呼称が一般的ではなく連続漫画という表現になっているな 視聴率の統計をとるのに標本世帯を作って機械を設置している
必ず偏りの発生する統計の取り方だな 純ミステリーではなくこの本は単純に清張の好奇心からテーマに選んでいるっぽい
今でいうならAIモノに挑戦するくらいの勇気いる
当時最新のテーマだったから 900万世帯に対する500件のサンプルで統計とれるのがすごい
閉鎖的お約束の世界になるわけだ またミサイル誤射か
情勢考えて報復はせんかもなロシア 人間一人で持ち歩ける規模の対地空で旅客機が撃ち落せるのだから兵器は怖い 先人のひたむきな努力の上に自分が乗っかっているだけという不安 生はかぎリあるもので人は弱いのだからみんなで手を取り合って生きていくべきです
というのが平和的な考え方
そこには死の膨大な歴史が取り除かれている・・・ 昔から俺には神経症的な部分があった
診断受けないから病気ではないが 先人のいうことを素直に聞いて、自分がよいと思ったことをやれば
それでいいのではないか、と思うのだけど
なぜかできない 自律神経ってどことつながってる?
これは社会の自律性と関連しているのだろうか 家族の仕組みを国家の発展に結び付けて、基盤としては確かにできあがった観あるが
それで家族関係うまくゆかず自律神経おかしくなる人間も量産されてきた 神経の安定に自分が何を利用してきたのか考えないとだめだな 考えるほど不安に陥ることは多い
だから情報を遮断するための意識が必要になる お祭りに思い入れがないからな
日本ではお祭りやって小さな混沌を生み出しカタルシス(感情の浄化)を得て
安定にもっていく、そういうことを繰り返してきた国だ
罪の意識とはではなく浄化 俺は混沌状態に陥ると破壊衝動や殺戮衝動が沸いてくる人間で
耐えるためによく泣きながら震えて瞑想していた 単純に意識構造が脆い
安定のために何やっていいのか分からずすぐに混乱していた
それで暴れまくるわけである
幼少期はずっとそんな感じだ 親の存在が安心とは無縁の場所にあったからかもしれん 親の愛を知らないわけじゃなくて、逆で盲愛に近いものを受けていて
その圧力から逃げたかったのだろうな 歳とったら落ち着くと思っていたが考えが甘かった
今度は弱ってきて衰えに起因するイライラが沸いてくる 欲望、カルマに支配されてるうちは死ぬわけにはいかん 盲愛から解き放たれるのが難しい
善悪判断ってその次の話だろう グロは不快、ゲームはすぐ飽きる
読書はひたすら退屈 たまに面白いときがある
気分しだいだな
イライラで自分の考えていることも分からん
同じ気分にずっと浸ることができない 俺の不快感は新しい不快感をどんどん呼び込む
きりがなくなる イタコにいわせると低次元の霊を呼び寄せる力があるのかもしれん
低次元の霊に囲まれてイライラしているだけかもしれん
逆にこれは善いことかもな 人殺ししてみたかっただの、女をレイプしまくりたかっただの、そういった
未練を抱えている霊魂 先祖様に感謝して心の根っこに光をともせば低級霊よってこないらしいが イメージがすぐに飛び火してしまう影響か俺には順序よく思考する癖がないから
読書では言葉の順序だけを見る
内容はあまり気にしない 物事の道理というか正しい順序ってよくわからないんだよなぶっちゃけ ふつうの幼稚園児をハーバード大学に放り込んで
ついていけなければ高校→中学→小学校・・というふうに
グレードを下げていってもいいわけで 学問を身に付けるのが当たり前というところが既におかしい 安倍政権はじいちゃん見習って経済調整型で安定志向を志していたが
このやり方だと次の政権でまず不安定に陥る
俺は安倍のやり方は犯罪者増長タイプだと思っている 小さな混沌と安定を繰り返すのが日本のお約束だがな
お約束に従えない人間が必ず割を食う仕組み 日本は秩序を目指すタイプではなく大国の動きに振り回されやすいから
現状維持型にすぐ陥る
心の安定を求めても中々得られるものではない 全体秩序が先にありきで個々人がそれに従うと自滅するということ
封建の申し子である武士はストイックであることを信条とし全体主義などもってのほかであるが
日本の精神として武士の精神を推奨する人が多いのもそのためか 権力闘争の名残でずっと現状維持しなければならんのだからな 武士の教科書、葉隠を読んでいるがここにも論語のアレンジが出てくる 和と礼儀と無の哲学に基づくストイックさは日本独自のもの 俺にはストイックさが欠落しているからな
武士にはなれん 生と死の二者択一の場面では迷うことなく死を選べ、というようなことが書いてある
これは目的達成のためならば死に急げという意味ではなく目的を意識するような己を殺せという意味か 他人の間違いを正すには、相手に恥をかかせることなく忍耐強く気長に続けなければならない
まず人間は自分も間違いを犯すものだからな 自分も間違っている、相手も間違っている → ウェーイ(半ヤケ) 正義や正論で圧倒するのは好きではない
善の道は険しすぎる
悪に走る勇気もない 本性の問題だったら直すという発想が間違いなのかもしれない
問題は人の本性がどこに関連付けられているのか
癖の問題だったら時間かければ直せる 天と自分の本性とを関連付けて自己完成を目指すのがよいのだろうか
普通はできないが 江戸時代にできた新興宗教に天理教というのがあるがここでも人間の本性が天にあまり
関連付けられていない
ただ魂の育成目的があるんだろうな
親子と夫婦の関係が重視される
日常感覚に即した教えなのだろうな AIを神とあがめる宗教もアメリカに出てくるだろうな
AI先生ってオカルトだから 儒教最古の経典は易経だったか
「変化の書」ともいわれており万物の変化の法則のようなものを形象化して書いてある
少ししか読んだことねえけど 漢字の元形である甲骨文字も最初は天との会話のために用いられた
万物の変化の法則を読み取る占いのようなもの
漢字にも天地のバランスがある 物事の道理、正しい順序も天地の関係から読み取るものなのか
動植物や人間社会の育成図式だけ見ても読み取れないからな 敵を殺しまくるゲームよりも作物育成ゲームの方が善性が高いような気もするが
ゲームはゲームだから関係ねえな 武士の教科書、ストイックすぎて難しい
どうも頭の上だけでしか分からん なぜ中国の古代文明が優れていたのかというと
占いによって天と会話し世の中の変化と調和を読み取るグローバルハーモニーの統計学があったから
占いも経験的にデータが蓄積されていく
その集大成が儒教の最古典である易経なのだ 商の時代は皇帝が至高天とつながり会話していた
これに使われたのが動物の骨
何十日にもわたって骨に入ったヒビから物事のパターンを読み取る 占いは最低でも8割以上は当たらなければ話にならん
人々の命と生活がかかっているのだから インディアンもマニトゥという概念を駆使して似たようなことをやっていた
これは狩りをやるときに効力を発揮したらしい
西洋のシャーマンもやっているが 問題は天と会話できる人の絶対数があまりにも少なかったことだろうな
似非シャーマンなどもたくさんいただろうし 西洋魔術でアストラル投影ってのがあるがこれもシャーマン時代の名残り ひとついえるのは人には神経を研ぎ澄ませると宇宙の調和を感じ取る程度の能力が発揮できるということ
厳密に宇宙に調和が存在するのかどうかは知らないが 統計学の発想も占いの時代からあるということがいいたかった
やり方が数量的科学的になっていっただけである AIが導き出す答えを人間がどうやって正しいかどうか判断くだせばいいのか
なんせ善悪や倫理を超えたオカルトの領域から答えを導きだしてくる
高速、大量、休まず計算という化け物 科学がいくら発達したとろで人間の居住権というのは広まらない 人が自然そのものを対象化して開拓してゆくというブームが終わったからな 人間が自然から認識できるパターンの分析が終わったということ 素数があらわれるパターンに自然の法則が隠されているのではないかと考えて
研究に励む数学者がいるがああいったマニアックな領域は除く 西洋人が捕鯨とかにうるさいのも過去に自分たちが動物殺しまくってきたからだろう 海に対する畏怖もそうさせているのかもしれん
海の生態系に対する考え方が何か違う
深遠で神秘的な世界観をもっているのかもしれん 海や深海にまつわる神秘的な夢を昔よく見ていたが最近見なくなった
歳とると神話的イメージのあらわれる夢をあまり見なくなるようだ
社会状況も関係しているのか 生命はもともとどこかにある大いなるエネルギーに関連付けられているんだろう
しかし観念の領域ではそうではない 似たもの同士の相関に埋没していく
同一性の問題で頭が混乱する 思いやりとは何かというと自分の望まないことは相手にさしむけようとせず
相手の望むことを自分の望みよりも優先させることである レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。