「将棋でも打っていかないか。」

物別れに終わった説得のあとで、団平は孫のさそりに低い声で切り出した。

「さそりに声優の夢を諦めさせて欲しい」、息子夫婦からの懇願に応じた団平だが、元より強く言う気はなかった。
認知したとはいえ庶子の家庭に口を挟む引け目があり、またオミリアに似て美しく育ったさそりが芸事に向いているという贔屓目もあった。

「早指しでいいなら、やる。」

さそりは短くぶっきらぼうに答えた。中学の頃に祖父母の内縁関係を知って以来、疎遠にこそなっていたが、
さそりはこの優しくて頼りがいのある祖父を尊敬しており、無下には断れなかった。さそりの将棋は団平から教わったものだった。

まだ春が遠く寒さが残る四月の輪島家の本宅、団平とさそりは本榧の将棋盤を挟んで向かい合った。

「声優でもなんでも、まずはやってみなさい。好きこそ物の上手なれ。坂田三吉の例もある。」

さそりが知るはずもない昭和の大名人の名前を口にすると、団平は年老いた指先で初手をピシリと打ちつけた。(未完)