おっさんが昔を懐かしむスレ23
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ブルマって興奮するものなのか?
当時は鉄腕アトムやマジンガーZのケツみたいで
こんなもの履かされて哀れに思っていた。 >こんなもの履かされて
「こんなもの」って
その手にあるものは何なんだよ
なんでお前そんなもの持ってるんだよ!! >>273
ブルマーP38…
その手の中に 抱かれたものは すべて 消え行く
運命なのさ ごめん俺、旧スク水波なんだわ・・・
なんで今のスク水のっぺりになっちゃったの?
>>271
絶対にダメ、というわけではないけど、ここでの話題はあまりエロに振らない方がいいと思う。
過去に個々人が経験・体験した、その時代の習慣や文化を聞いている方が面白いから。 吉野家のCMソング
「牛丼一筋80年〜♪」
https://www.youtube.com/watch?v=wM-MYSKkzgY
これってリメイクだよな
もっと古臭い1代目ケンちゃんの初期っぽいのがあったような気がするんだが
とすると
当時創業80年に達してないことに… >>280
博多山笠 でぐぐるとショッキングな画像多数 >>282
神様ありがとうっ!
天国ってホントにあったんだね! 俺のケツは吹き出物やら痣でボコボコなのに
博多のおっさん連中、お尻 奇麗すぎだろ 嫉妬!!!(^p^*) 皆も身に覚えあるかもしれないけど、
子供の頃って、プラモの組立説明書のことを、
「設計図」と呼んでなかった?
あれって何かの切っ掛けとか擦り込みがあって、そう呼んでたのかなぁ?
全然思い出せないが。 ごく自然に「設計図」と呼んでたな。あの頃ロボットアニメなんかで悪の組織が「設計図」を奪うとかがよくあったからかね
長谷川迷人は動画で今でも時々設計図とうっかり呼んでるな 初めてタミヤのキットを買ってインストを読んだ時は感動したな
冒頭のキットの説明はガキの頃の自分には少し難しかったけど胸をときめかせながら目を通した
あの頃は戦車でも車でもゼンマイやモーターで動いて当たり前って感じだったから動かない戦車っていうのも目から鱗だった
初めて塗装をしたのもこの頃からだな >>281
同じ頃に受験生の別バージョンCMがあったよ
壁に目指せ日大とか書いてあって笑ったw 設計図が別紙で入ってるのは高級品で俺らのチープキットは上箱の裏に印刷だったよ 「デススターの組立説明書を盗み出すのが任務」とかだと腰砕けだな きっかけも何も
子供向けキットは堂々と「せっけいず」と書いてあったような >>287
思うに、模型としてはプラモとともに当時は子供におなじみだった
ライトプレーン(ゴム動力竹ひご紙張り飛行機)キットの添付組立図が
『設計図』名称だったので、その流れじゃなかろうかと思ってるよ。 違う違う、
そのはるか昔、プラモの前身である『木製組み立てキット』ってのに入ってのが『設計図』
キットには木切れが入ってるだけで、その図に合わせて部品切り出す作業から開始というw
今日では『詐欺扱い』されそうな商品があった。
それの名残であろう…って爺ちゃんに聞いた事がある。 ダグラムで「設計図を焼け!」って言ってたな。あの文明でもデータ化してなかったのか?と。 >>298
未来の話なのに、スパイが「マイクロフィルム」や「青写真」を盗み出す作品だってあるぞ ダメだなぁ
いざというときの為に設計図は水に溶けるスパイメモに書かなきゃ ライトプレーン懐かしいなぁ
主翼の竹ヒゴがうまく曲げられなかったんだよな
で、ドラえもんでのび太のパパがアルコールランプ?であぶって曲げてるのを見て
ガスコンロで同じことをしたらあっという間に黒コゲw
結局プロペラ推進の地上専用車となりますたw アルコールランプなんてのは親がよほどのコーヒー好きでもなけりゃ、普通の庶民家庭には無かったろうし、
翼端のカーブ出しにはロウソクが定番で、夏場は蚊取り線香でも可ってとこかな。
まぁ、設計図通りに曲げるのはガキにはいずれにせよ至難だったけど、
他に鬼門だったのがニューム管とリブの接着で、まだ瞬間接着剤なんてない時代だったので
ガキ的に万能接着剤だったセメダインをこれでもかとゴッテリつけるんだけどポロッみたいなw そういや昔のコンピュータはスロットマシーンみたいなレバーが生えてたり
オープンリールが回ってたり、紙で出力してたりしてたな。。。 エンタープライズ号のコンピューターも真空管とか使ってたよな あーいうPCケースを売ればいいのにな。市松模様のモニタが点滅してアナログ目盛りが動く
科特隊の本部みたいなコンピュータ。 大型汎用機の起動シーケンスはかっこいいぞ。
電源装置のハム音が高鳴り、オーブンリールのテープデッキが開閉する。
休出時は勉強の為と称して、必ず見に行ったな。 ペリーローダンの宇宙船もモニターは真空管なんだよね
30世紀なのにw コンピューター=キーボードをタイプ入力って描写が一般的になったのは何の作品からかな?
ふた昔前は音声応答でコンピューターが「オコタエシマス」とか答えるのがデフォだったような。
反面コンピューターの利用法が広く浸透してる現在でも??と感じる描写はあり、
例えば警察の科捜研が出てくるドラマなど防犯カメラに映った小さなピンボケ像を
「解析だ!」ってボタン一発で物凄い鮮明な画像に変換できてしまったり。 俺は黒い幽霊のかな
ジョーの目が二つとも有る奴ね
(´・ω・) >>298
当時、電子データなんていう概念を予想できたわけないだろう。 >>311
そもそも凄いスピードで何をキーボードを打ち込んでるのかが謎。
マウスで素早くカチカチやるのは何となくイメージできる。 >>317
Windowsのようなインターフェースならマウス中心の操作だけど
その前身のMS-DOSなんかだと>>318のいうようにコマンドをキーボードから入力するのが中心の操作 1980年代初期から中期の頃、PC雑誌「I/O」のマシン語ダンプリストを入力する際は、
テンキーの数字とA〜Fのアルファベットばかりをカチャカチャと長時間、打ち込んでいたなぁ。
「I/O」はマシン語プログラムが多かった印象が強い。
その他のPC(当時は”マイコン”とも呼ばれていた)雑誌はBASICがほとんどのイメージがある。
当時は10代だったからゲームばかり入力していた。 >>320
懐かしいねぇ
その当時俺はナイコン族だったから
電気屋のマイコン体験コーナーにずいぶんとお世話になったものだ うる星やつらのゲームとかマイコンでやってる奴がいたな〜。
これがジャリテンだって、ただの記号だろそれw
たくましい想像力が必要な8bitにも満たない世界。 >>322
俺の場合も自分のPCじゃないよ。
父が都心部で会計事務所やってて、自宅での作業用として買った「富士通マイクロ8(通称 FM-8)」。
後に倍速ボードとPSGユニットも付けて、FM-7とほぼ同性能にした。
何か、昔のテキストアドベンチャーゲームをやりたくなった。
自分の現状や現在地を表す映像やイラストは全く無く、ただの文章だけを頼りに、方眼紙に自分で地図を記入していく。
コマンド入力は”名詞+動詞”(”ドア アケル””カベ ミル”など)。
本当に想像力勝負の世界だった。 MZで機械語やってた時はエディタのカーソル動かすのもコマンド入力してた。 この時期のPCに触れられた人がうらやましい。
親父の同業者がコンピュータなんて役に立たないものせがれにやらせちゃダメだよ!!
と言ってきたせいで興味を持つことも厳禁にされたから。
おかげで就職してからキーボードに慣れるのが大変だった。 テンキーつきなら(PC-6001などはなし)、
片手だけで入力できるように、テンキーの数字部以外のキーにアルファベットを割り当てるモニターが
普通にあったけどな
I/Oとアスキーやマイコン誌では、チェックサムの方式が違うんで、それぞれ用にもあったり
I/O方式のほうが間違いを見つけやすかった むかし用事があって特許庁に行って過去の申請をチェックしようとしたら
PCがMS-DOSでどーしたらよいかわからんかったな。 マイコン大作戦という米ドラマがNHKでやってて楽しみにしていた
人気なかったらしくてすぐに終ったけど たまたまだが、昔ログインに連載されてた寺島令子著の「墜落日誌」を読み返してたが
ぺン2が14万だとかSCSI接続やら遠い目をしたくなるようなネタだらけでw ブログラムポシェットに三回ほどプログラムを掲載してもらった。懐かしい思い出。 当時クアドラ700をメモリ64Mで150万ぐらいだして買った 昔、ソードというOAパソコンのブランドがあってだな〜
www ここの住人はロリからPCまで幅広く深い見識が半端ねえな >>337
小さいころから科学技術の発達や文化の発展などを目の当たりにし、
「見たい」、「聞きたい」、「あれがやりたい」、「これが欲しい」
と、新しいモノを吸収したい・見識を深めたいという欲望が渦巻いていたからな。
そして様々な事柄に手を出していって、我々が出来たんだよ。 >>339
車、バイク、家電、パソコン、そしてプラモも
出る新製品全てが性能アップと進化の連続だったからね
現代はモノの進化よりも相対的に時間の流れが早く感じる
21世紀になったのはつい最近だと思ってたのにもう17年か・・ 新聞配達をして貯めた金でようやく88mk2を買ったら、2週後にSRが発表、
98VMを買ったらVXが出たとか、泣くに泣けない青春を過ごしたものも多い
レプリカブームのときのバイクなんて毎年モデルチェンジだものな
3ない運動とかアホちゃうかと 80年代にいわゆる青春期を過ごしたがレーサーレプリカとかディスコ文化とか色々受け入れられなくて苦労したなぁw
カリーナEDやソアラより2CVとかビートルのほうが興味あったし、NSよりCBX400カスタムに惹かれたわ
DCブランドも苦手だったし小脇にセカンドバッグ抱えるのもダメだった
それでもそんな時代を懐かしむことがあるんだよなぁ 当時はなんかごちゃごちゃして猥雑な時代だなーと思ってたよ>80年代
今積みプラでバイファムだのの箱を見てると当時の妙な和やかさが甦る。
ネットは無いけど面白かったな。あれが人間の生理にはちょうどよかったのかもね。 好奇心を満足させてくれるようなメディアもなかった。 パソコン雑誌やメカニックマガジンを隅から隅まで読んでいたな
もちろん模型雑誌も >>342
俺もクラブマンやSRが好きだったな
人前でベンリィーが格好いいとか言えなかったよ
レーサーレプリカよりスティードとかのアメリカンの方が馴染めたな 80年代店に買いに行くのも楽しみの一つだったけど
ここ20年実店舗で買ったことがない >>341
ヤングマシンか何かのスクープ記事で、こんなスゲーの出る訳ないだろと思って現行型のバイク買ったら翌月に本当に出た時があって悔しい事があったわ。
ヤンマシも当てるなら当てる、ガセならガセとどっちかに決めてくれんかの。 12日に刊行されたばかりだが、今、コンビニや書店で、
「バリバリ伝説」の大きなサイズの特集本が売られている。 買おうかな?
そもそも、バリ伝は俺よりも姉の方が好きだった。
コミックも全巻揃えていたし。 バリ伝はレーサー編になってから読まなくなった
俺はペリカンロードのほうが好きだったな >>349
マイコンと聞いて、機動戦士ガンダムの第一話と、太陽にほえろ!を思い出しました >レーサーレプリカ
ロスマンズホンダは90年代ってイメージ
流行ってたね ウラシマン1話でワイヤーフレームを手書きで描いてぐるぐる回すのはすごいと思った。
EDの「警戒アラーム、針が飛び散る」ってのは今聞くとなんかレトロフューチャーだしw >>345
当時はマイコン雑誌だけでも
テクノポリス・LOGIN(月2刊行)・RAM・I/O・マイコンBASICマガジン・ポプコムを毎月購読し、
模型誌もHJ・MG・後に電撃などなど買い捲ってたけどよく金がもったな…
その他にも時折週刊・月刊漫画雑誌やアニメ雑誌も買ってたから、毎日本屋に寄っては何か1〜2冊
買って帰るのが日課だった。 個人的にはバリ伝よりあいララだったな、
なんかバリ伝のカッコ付け方が好きになれんかった、でもZ2でなくCB750Fを買ったがw 雑誌系は図書館に置いてるのを活用したが大学図書館にエンサイクロペディア アスキーがあって読み耽ってた
もっと時間を上手く活用していればと悔やむ サムライダーに憧れてカタナを買った人だっているんですよっ!! ♪なりたいな
なれるかな
なりたいけれど足りないな
齢も力も足りないな
でも今なりたい
まわれよ地球
働く人になりたいな〜
・・・今は若さが足りない><; 今夜誰か一緒に上野コーリン行こうぜ。
お月様みたいな顔の看板のトコで待ち合わせな。 社長御影がムリ
暴力団まで駆り出したコーリン騒動だったが客が離れて悲しいね 昔の上野聚楽が好きだったな。あの座敷には何度か上京した親戚を待たせた思い出がある。 「いいなぁ、欲しいな〜」と指をくわえて見ているしかない。
https://moto.webike.net/bike_detail/1128979/
スーパーカーブーム以来、リトラクタブルヘッドライトが大好き。
スズキのカタナも有名なモデルよりも、III型カタナが欲しい。
大型バイク免許も持っているが、もうずっとペーパーライダー状態のまま。
たとえ買っても頻繁に乗らないのは目に見えているし、家庭の家計が優先なので維持していく自信が無い。
だからここでボヤくのみ。 スレの趣旨からしたら別にかまわんだろうよ
俺も大型二輪の免許は持っているし乗ってもいたが、老親の介護でそれどころでなくなったので手放したわ
事故のリスクを考えるとねぇ・・・ 大型も含め、
126t以上の二輪車って停める場所が大きく制限されるんだよねぇ!
郊外の鉄道駅の駐輪場ってほとんど
125t以下向け。 オートバイってメチャクチャ高くなったよなー
87年式NSR250が忘れもしない47万だったな
欲しくて見積もりまでしてもらったんだが高校時代の
友人が高校3年間バイトして貯めた金でGSR買って
その2ヶ月後に事故って逝ってしまって、オートバイ
熱が覚めた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています