>>309
現在の学者や有識者の“学術的な物の見方”と言うのは二次的なモノであって本質ではない
人類史全体で見れば途中経過の不完全な結論に過ぎない、と言う事だ

何か新しい発見があれば全く逆にひっくり返ってしまう程度のモノを
我々は理論だとか科学だとか呼んでいるに過ぎない

嘘だと思うなら、過去の人類史からそう言う歴史を見ていけばいい
我々は今の科学を過信しているが俺から見ればまるで天動説を妄信してるかの様に見えて滑稽だ

なぜもっとゆとりを持って情報に接しないのだろうか?
それは間違いだとか、これで間違い無いとか周りの意見で判断するのだろうか?

もしかしたらオカシイのは自分の思考そのものでは?とか
疑って掛からないのだろうか?

本当に信用ならないのは自分の認識そのものだからである