>>433
は?客観的主観的というのは総集編の事ですか?全26話の何処の部分の映像を抽出して何を伝えるのか?という。
文豪はフェイクドキュメンタリーというスタイルの似非客観的手法を選択したのですね。
フェイクドキュメンタリーの肝の部分とは『嘘の部分』、現実の流れに突如現れた異端という嘘。嘘を注入する事で何を浮かび上がらせたいのか?そこまで考えて作劇すべきなのですね。その為に客観性あるドキュメンタリーを装いながら嘘を際立たせていく手法。
何か胡散臭い嘘という日常に紛れ込んだ非日常性を楽しむ映像作品なのですね。
しかし文豪はそのセオリーではなくて、長丁場のストーリーを手堅くまとめる為に報道ドキュメンタリー的スタイルを利用したに過ぎないのではないか?という疑問が浮かぶのですね。それが小林誠氏が呟いている『説明』の正体ですね。ニュース映像は淡々と映像が流れてニュースキャスターが出来事のあらましを淡々と説明していく、そしてニュース解説員がニュースを解説するだけですから。
2時間も続く解説動画。謎解き本の解説を読んでいる感覚。それはどうなんだ?小林誠氏の疑問なのですね。