>>765
羽原監督の存在感
それは違いますね。
2202は『小林誠』『羽原信義』『ブンゴー』という3人の『俺ヤマト』の競演であったのですね。
羽原監督は昭和気質のアニメーターさんであるが故に作品世界の統一感を図るというよりも各スタッフの個性を壊さないように気を配る方向性であったのでしょうね。
ブンゴーが「羽原監督はお母さんのような存在であった」と振り返っているように、ワガママ言いたい放題の子供たちの意見を聞いてまとめ上げる調整役なような存在であった。
「ヤマト乗組員はお互いを思い遣る存在」
と羽原監督はインタビューで答えていましたが、それが羽原信義の人生哲学、そのような姿勢を制作現場でも貫き、そして作品の中にも色濃く反映されていたのではないですか?
山寺宏一が歌う『大いなる和』は『ヤマトより愛をこめて』のアンサーソングとして作詞作曲されたモノなのですね。歌詞を書く際に羽原監督の意見がかなり取り入れられているらしいのです。『さらば』を観て育った我々が今の視点から『さらば』へのアンサーをしてみたい。安彦氏が描いた古代と雪。2人の視線は死と向き合うというよりも未来を見つめていた筈だ、大切な仲間や生まれ故郷である地球を見つめる優しい目線なのではないのか?というのが羽原監督の想い。
それが『2202』の第26話のエンディングでした。
これでも羽原監督の存在感が薄いと申すのならば、君の完成は愚鈍に満ちているのでしょう。