>>421
デザインに関しては何も言及する必要性が無いほどありきたりでしたよ。そもそも怪獣に対して愛情が無かったのは意外でしたね。単なる生物兵器扱いだったじゃないですか?
ザラブ星人の空中戦だけは楽しかった。
作品を俯瞰してみたら。
物語的には「そこまで人間を好きになった」というウエットな部分を描きたいという意図があるにも関わらず、作品全体に流れるタッチは比較的ドライじゃないですか?
『野性の思考』を読んで、情報だけから人間を理解しようと努めたけれども、実際は人との関わりという実体験から知る事になる。
顔を平手打ちされる、体臭を嗅ぐわう、という体感を受け、やがてウルトラマンは肉感を持つ事を渇望するようになる、
シンエヴァのアスカとシンジが組んず解れつ取っ組み合いをしたシーンのように。
そして肉感を持つ個人の集合体が身を寄せ合って生きている事に対して愛情を抱くようになり、自分の命を懸けてでも地球人類を守りたいと確信に至るまでになる、それが『そこまで好きになった』という事。
冷めた感情がやがて熱い情熱が迸るまで変化するという魂の遍歴というウエットな部分を描きたいにも関わらず、描写的にはそこら辺は省かれて、ドライなタッチで描かれてしまっている。物語全体を与えられた時間内でダイジェストで完結させてしまおうという意図を感じた。
ウエットとドライの乖離感が頓珍漢であるということ。
一般的な邦画を観る感覚でシアターを訪れた客層は『乖離感』をどのように感じるのか?
そこがこの映画の評価の分かれ目、ですね。
それでもネタバレを検索してパクって書いた、コバヤシはシンウルを観ていないと申すのならばどうぞお好きにしてくださいませ。