伊藤勝男>>459氏の単著『B級ビデオ発掘カタログ』(1988年/青弓社)の姉妹編?という形で
刊行された『珍作ビデオのたのしみ』(1989年/青弓社)。その102ページに掲載されている
「監修者」の立場で本書に関わっている伊藤氏の文章⇒ 《珍作、怪作、駄作、愚作は
結果としてのこと、その過程に遊びがあったら上等だ。それも愉しむことのできない
奴などが映画をみたって仕方あるまい。〜〜映画を紹介するのは難しい。自分の趣味
としての好みは明確にすることはできるが、それとて知性、感性を含めた貧しさを
露呈するばかりだ。かの淀川長治さんにして“私は映画の下僕です。批評などおこがましい”と
語るほど映画は大きな存在だ。批評することより愉しむ心の方がどれだけ重要か――。
新聞、雑誌等で作品に◯や×、あるいは☆が二つだ四つだと採点する者は多い。いい度胸だと
ほめたいが、彼らの採点そのものには評者としての貧しさが浮きでている事にも気づくのだ。
映画を簡単に扱って恥をかく事もまた多い。書かれた評を鵜のみせず、愉しむことを
知ってこそ映画は発見されるのだ。(伊)》 私は「どうせ“個人の評価”なんて大して当てに
ならない(期待されるのは一部のカリスマだけ)」ので、点数でも☆でも自分に正直に書けば
いいと思う。何かへの評価によって「評者自身が他人から評価を下される」のは誰も避け
られない。《映画は大きな存在》=多面的?だし。「旧作洋画」でIMDbやRotten Tomatoesを
参考にするのは、「たった一人の評価」よりも「妥当な評価が多い」と経験的に感じるから。