佐藤忠男『低俗文化とは何か』(1977年)より、【ポルノ文化の隆盛】に関する引用部分の続き。>>526
《その種の性関係にふける者はなんと言っても少数である。それにやはり、正規の結婚のように
いつでも存分に、というわけにはゆかないし、そうとうな後ろめたさを意識しなければならない。
さらに、相手を得るのにそのつど、惚れたとか嫌いになったとか、好かれているとか嫌われた
とかいう精神的な緊張をかいくぐらねばならない。十分に性欲が開花してから正規の結婚に達する
までの期間がひじょうに長いということは、その間ずっと、自分は性的に異性に好まれる人間で
あるかそうでないか、という自問自答をくり返していなければならないということである。
この種の辛い問いは、彼あるいは彼女の良き伴侶となってくれる人物にしか答えることのできない
性質のものであり、他の誰もが決して一緒に悩んでくれるものではない。つまり一人で孤立して
悩まねばならない種類の悩みであり、孤立した孤独な悩みは、愚痴となり、妄想とならざるを
得ないのである。仲間と語り合える悩みなら、仲間の眼を意識して自分を格好よく見せなければ
ならないという自制心が働くが、一人で悩む悩みは自制心が働かず、妄想的にふくれ上がる。つまり
破廉恥になる。その種の破廉恥な妄想を鏡のように写し出し、もっと妄想をふくらませろ、もっと
破廉恥になれ、と心理的にけしかけるのがポルノ文化である。》 ※[小見出し]⇒【大部分を占める
ポルノ調劇画の背景】⇒《 すなわち、ポルノ文化の隆盛は、性の解放にともなってそれを謳歌
する意味あいで起こったものではなく、むしろ実質的には性の飢餓状態が進行したことによって、
それをイメージのなかで過剰に補償するかたちで起こったのである。》 ⇒続く(次回が最後です)。