確かに、リベラルの建前の生硬な理想を、ムリヤリ既製部品を嵌め込むようにして作品にねじ込んでいると思うことがしばしばあるな。
例えば米国社会が実はサラダボウルではなく棲み分け社会である部分が強いとか、様々な実情を知るにつけ尚更そう感じる。
これはPC設定か?、その度合いが高いか低いか?、と訝って見る習慣がついた。あと米国社会の「現実」を知ろうとすることも。
イーストウッド監督も言ってたが、映画・ドラマがPCに屈して自由度を失っているという側面はあるだろう、特にそれが人間ドラマだったらもう絶対一級の作品にはならねえだろうと思う。