よくもまあ、同じものを、大方の意見とは裏腹にばかりこきおろしてくれるよなあ。
こうしたマイナス酷評には共通点がある。
熱狂やブームに冷笑的な姿勢で、話題作や評判の良い作品、ヒット作に限って、狙い撃ちで酷評レビューをぶちまけ、
「こんなものに浮かれてる奴は、まだまだだな」と、見下した態度をシニカルに示し続ける。
だけどそもそも、それは破壊行為だから、創作とか創造という建設的行為とは正反対なので、この手の否定的な見方は、映画と言う創作活動にはまるで不向きで、しっくり来ない。
だいたい、やり玉の映画テク(脚本・演出・撮影等)にケチをつけるクセに、
本人のレビューテクが未熟で、「以外/意外」「驚異/脅威」等の漢字の誤用はしょっちゅう、やたらとネタバレが多いのもルール違反じゃないか。なのになんで、この全否定病が蔓延(まんえん)してるかというと、やはりネット社会に移行中の悪影響なのかも。
10年前に、『スター・ウォーズ・ヴォールト』で翻訳を担当したが、
Amazonのレビューがひどくて迷惑だった。
否定レビューはしかし、
『ヴォールト』の中身だとか出版意図を知っていれば、そこに期待する方がどうかしているものを勝手に期待し、その期待が裏切られたと勝手に文句を言っていた。
そんな期待に応えられるわけないじゃんか!
なのにその酷評レビューを「役に立った」と評価する人が実に多い。
このカラクリを分析すると、欲しいと思っているが高価で買えない。 買わなくて良かった、と思い込める言い訳を探し始める。 否定レビューを見つけて、「そんなにひどいのか。買わなくて良かった」と安心する。
かくして、ルサンチマンや酸っぱいブドウの不満解消の手段が否定レビューになってしまい、
観たい映画があってもお金と時間がなくて観られない時の心理的言い訳が、
☆1つのYahoo!レビューを読んで、
「そんなにひどい映画なのか! 観なくてよかった、ありがとう」
と、「役に立った」のムダ票を投じてしまい、
これに増長した酷評レビュワーが、また過ちを繰り返すという悪循環。