竹村延和は「脱DJ宣言」みたいな事を言い出してて、でもあの当時の日本には、彼が何をしたいのか理解できる的確にモデルになるような存在が無かった
「リチャードDジェームスの真似?」みたいな感じ、ロン毛も含めて
日本で「WIRE(テクノフェス)」が始まったのが1999年だから、やっぱ、あの当時のこの国でテクノと言えば「ダンスミュージック」だったんだよ
IDMというカテゴリはあったけど、そいつらは「変態」とか呼ばれて隅っこに追いやられてたw

実は、マウス・オン・マーズは、YMO&細野晴臣のファンで、ファンだとも公言していた
だから数年後、細野&高橋が「スケッチ・ショウ」でエレクトロニカを大々的にやり出すキッカケは、向こうのラブコールに応える形になってたわけ
ただ、高橋幸宏はデトロイト・テクノやレイブカルチャーが嫌いで、90年代のUKテクノは全く聴いてなかったんだよ
彼はエイフェックス・ツインの曲を、最近(2015年ぐらい)まで知らなかったw

エレクトロニカが「テクノ(4つ打ちの)」ではなく「テクノ・ポップ」から進化したジャンルであることを理解していた人は
あの当時の日本ではあまりいなかったわけだな