若い時は、ステーション・トゥ・ステーションとか、ブラックスターとか「まちがいない」作品を推せば足りると思うかもしれないが、
そうした作品の本格性は、ボウイの本質と相容れないかもしれない、と思うようになったのは、三十歳になろうという最近のことだ
ボウイの本質は虚であり、何も根拠のないペラペラな表層の上にどれだけ留まり、踏ん張れるか、その綱渡りの曲芸を楽しむもの
そう考えると、ヤングアメリカンや、アワーズ、そして、ネバーといったB級的な作品群は、悪くないどころか、こうした作品にこそボウイのボウイ性が痛々しいほど輝き露呈しているのでは、と思う
三十歳を越えれば、嘘とわかりつつ乗る、真実だからこそ乗らない、といったややこしい局面にも出会うだろう
そういうとき、ボウイの作品は、嘘や、自分らしくなさの中でこそ輝く格好良さの存在を告げ知らせ、年を取っても格好良く生きるヒントを与えてくれる
そして、その地平でもう一度、ガチな作品を聴くと、これも嘘だ、とまた別様に感動するんだ