>>368
手前にあるから流れ無視して(収集がつかなくなったワケじゃないゾ)答えるね。

音楽評論をビジネスとして言うならば答えはイエス。

個人的意見では評論家気取りは叩くし(最近そうでもないかな)叩かれるべき。
ただ逆に叩かれるべき存在として評論家気取りもまた今後必要な存在だと思う。
そもそもが大衆娯楽に純化を求めて何になるっていう。
音楽が茶道のような世界になればむしろお前らがそれを望まないだろう。
あーだーこーだが無くなった時こそ、ホントに音楽は終わりを迎えるということだろう。

音楽が自由であるように、リスナーもまた自由なのだ。