Let’s Danceでプロデュースをやったナイル・ロジャースはEMIに提示されたアルバムの制作予算に驚愕したとか。
やっぱり白人と黒人では扱いがこんなに違うのかと痛感したらしい。
当時のブラックミュージックは一曲単位で予算が組まれ、
かなりの低予算でやりくりしていたとか。
その後ナイルはインエクセスやマドンナやデュラン・デュランを手掛けて売れっ子になって、
80年代を代表するプロデューサーとなる。