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909 可愛い奥様 sage 2019/01/06(日) 08:47:38.65
気になったのが、フレディ・マーキュリーだけに負の部分を押し付けて
他のバンドメンバーやメアリーなど「家族」を聖人化しすぎじゃない?ということ。

例えば、映画ではフレディが一人勝手にソロ活動を始めてバンドを裏切りバラバラに
したかのように描かれていたけど、実際はフレディよりも先に他のバンドメンバーが
ソロアルバムを出していたという話。

物語の展開を決める大事なシーンだったのに、やってもいないことで責められて
いたのかと何だか悲しくなってしまいました。

この映画の製作にはクイーンの実際のメンバー、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが
携わっているとのことで、自分が意見を言える立場にある映画で自分のイメージを
落とすようなシーンを入れるのは難しいだろうなと想像することはできますし、
ある程度美化して描いてしまうのは無理ないと思うんです。

でも、それによって生じた都合の悪い部分、整合性のとれなくなった部分を今はいない
フレディに背負わせてしまうのはちょっとフェアじゃないんじゃないかなと私は思いました。

ドキュメンタリーではなくあくまでも事実を基にしたフィクションだし、この映画の中心は
フレディ・マーキュリーなので、彼の苦悩や孤独感、傲慢さなどを強調して描き
「乗り越えるべき障壁」を設定する必要があるのは分かるんですが、ネガティブな
感情を引き起こす描写は誇張するにしてもせめて実際の出来事・行動に基づいた
ものにしてほしかったな…というのが一個人としての感想です。

亡くなっている人は反論できないし、その人が今も生きていたらどんな感想を持って
いたかなんて結局のところ本人にしか分からないんじゃないかと私は思うので、
できる限りフェアに扱ってほしかったというか、それがせめてもの誠意なんじゃないかな。