「アイスクリーム」

駅のエレベーターがあまりにも唯物的で
この六月のとある一日ですらとても唯物的に思えて
だから僕は僕の情緒と秘密を交わし合う

→この世界は自分の意志とは無関係に、常に機械的に動いている。唯物的な世界にあって、精神というものは常に個の内側にしか存在しない。だから僕は僕という存在を確かめるために、自分の内側へと問い掛け、自己へと閉塞する。

改札を抜けると少し夏の匂いがして
色んな人が最大公約数的に笑って
その重量が個人的な空白と釣り合わず
僕は僕の情緒と秘密を交わし合う

→機械的な空間を出て、人(つまり精神的なもの)と関わろうとしても、上手く他人と笑い合えない。だから僕はここでもまた、自己に閉塞することしか出来ない。

虚しい寂しいと言ったら終わり

→この孤独に逐一虚しいとほざいていたら、僕は生きていくことが出来なくなる。耐えるしかない。じゃなきゃ死ぬしかない。

虚しい寂しい

→それでも僕は、僕と世界とを結びつける何かが欲しくてたまらないのだ。

石畳の歩道が日照りでとても熱そうだから
今年の六月はここに捨てて行こうと
アイスクリーム屋の看板をみて
思った

→アイスクリームという「物体」を自らの捨てるという「意志」によって「変化」させる。
(アイスが溶ける直接要因である「六月の日照り」も、唯物的・唯心的では片付けられない自然の荘厳さの様なものを感じる)
そうやって僕は、精神(自分)と物体(世界)の間に因果関係という繋がりを得て、孤独な僕を救いたいのだ。