夕刊フジ連載 【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】
「禁区」に続くシングルが本当の勝負 発揮し始めた自身のセンス

82年デビューの中でやや出遅れ感のあった明菜だったが
コンセプトを重視し、当初からボーカルを生かし、企画性も伴った作品を前面にだして
他のアイドルとの差別化を図り、ある意味でアイドルの概念を突き破ったとも言えた
それだけに次のシングルが明菜にとって本当の意味での勝負曲だと誰もが感じてた
当時の明菜の変化について「禁区」のあたりから明菜の自我が目覚め始めていた
時代の空気感を敏感に嗅ぎ取る明菜の意見が制作現場でも強くなっていく
情緒が不安定になり始めたのもこの頃だったようで
売れれば売れるほど不安になるもので明菜のように一気に売れてしまうと
今度は逆に売れなくなる恐怖にさいなまれてしまうものなのだ
ディレクターとの距離や現場でもどこかギクシャクし始めた部分もあり
とにかく作品や衣装に自身のセンスを反映させ始めたのである
作品的には徐々にアーティスティックなものを求めようとしていた
そんな中、「禁区」に続くシングルの制作過程で明菜が「この作家で・・・」と
自ら指名したのが作詞家の康珍化と作曲家でアレンジャーの林哲司だった
しかも、シングル発売のわずか3か月前、9月中旬のことだった