水野良樹 (from いきものがかり) part 1
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いきものがかりのギター&リーダー 水野良樹 がソロとしてライブに出演決定。
さらに、そのライブで披露する曲はすべて自身書き下ろしの「新曲」とのこと。
今後いきものがかりと並行して本格的なソロ活動スタートが期待される。
水野良樹 ソロとして出演予定のライブ
▽4月14日 「良いライブはじめました」 O-WEST
▽4月20日 「音魂フォレストスタジオ in 秋川渓谷」 十里木ランド
▽5月5日 「OTOSATAロックフェスティバル2014」 茅野市民館
■水野良樹 (みずの よしき) 1982年12月17日生まれ。31歳既婚。
神奈川県立厚木高等学校 → 明治大学政治経済学部 (中退) → 一橋大学社会学部卒業。
いきものがかりの代表曲ほとんどの作詞・作曲を手がける。
主な作品 : 「ありがとう」「YELL」「SAKURA」「じょいふる」「気まぐれロマンティック」
「風が吹いている」「ブルーバード」「帰りたくなったよ」「歩いていこう」
「茜色の約束」「花は桜 君は美し」「コイスルオトメ」「笑顔」
「笑ってたいんだ」「青春ライン」「1 2 3〜恋がはじまる〜」「ふたり」「ノスタルジア」
「ホタルノヒカリ」「夏空グラフィティ」「HANABI」「うるわしきひと」「なくもんか」
「NEW WORLD MUSIC」「KISS KISS BANG BANG」「Happy Smile Again」 他多数
http://car.watch.impress.co.jp/img/car/docs/405/592/58.jpg むかし僕は、もしほんとにカメハメハが出ちゃったら建物が壊れてしまうので、空に打っていました。 (2014.7.5) 今は、ファンタジーを描くことのほうが現実に近づいて、リアリティを描くことのほうが虚構に近づいていく。そんな感じなのかもしれませんね。なんとなく、うすらぼんやり。(2014.7.4) 「解釈の変更」という方法論の前例を公然なるかたちでつくることが、将来にわたってどれだけの危険性を生むかは、政治家であり政治”屋”である人々のほうが、市井の人々より、より理解し、認識しているだろうと思う。暴挙であると思う。 (2014.7.4) 書けなくなったら、自分で退路を断たないとダメだな。そこで終えないと。恩を返すとか、義理を通すとか、それを大義名分にして、生きながらえてしまうのなら、つくるひととしては、ようは「お前はもう死んでいる」だな。
笑い話のようだけれど、いやはや、「はい、それまでよ」は、いつもすぐそこに。 (2014.10.24) 曲をつくるとき。産みの苦しみ…なんて言うと、ずいぶんと高尚なことをやっているように聞こえるけど。そんな格好のいい感じじゃない。
だいたい才能のある人は、そんなに苦しまない。 (2009.2.8) シャンプーとか、ほとんど使い終わっても、ふたの部分あけてパパって振ったら、内側にくっついてたシャンプーが出てくるじゃん。
頭を押してシャンプー出てこなくても、簡単に「もうないな」って買い替えないでしょ。多少、ねばるじゃん。自分の曲作りって、そんな感じ。
からっからっ、すかっすかっの頭を、振りまくって、なんとか出てきたもんを、こねくりまわして。あぁ、また頭、振るよ。(2009.2.8) 「売れれば好きなことができる」について言えば「売れてもいないのに生意気な」と言われていたものが「売れたら変わった。生意気になった」と言われるように変わるだけなので、
やはりそんなことは気にせず、どれだけ自分の仕事で仲間の心を動かせるか、まっすぐ頑張るしかないかなと思う。(2012.9.9) 最近、糸がこんがらがったような不安とイライラにさいなまれていて、どうも困ったなぁという感じなのだけれど、
やはり曲で事態を解決するというか、動かしていくしかないわけで、それが十分にできていない今現在の自分に、やはりいちばん腹が立っているのだろうと思う。(2012.9.9) 結成してわずか13年あまりでも、それなりに苦境があったり、かっこよく言えば壁のようなものがあったけれど、自分がそれに対して出せる突破法は結局は曲だった。
自分は曲で打開したし、吉岡は歌で打開した。そこから逃げてしまう、もしくは逃げざるをえない状況ならば、もう一度足下を見直すしかない。(2012.9.9) あ、これ話ずれるけど。誹謗中傷とかを受けている人に対して善意で「言いたい奴には言わせておけばいい!気にするな!」的な言葉を投げかけたりしてしまったりってよくあると思うんだけど。
これ極端に言うと「気にするお前が悪い」に向かっていって本質から外れていったりもするんだよね。(2012.9.9) うちらみたいな顔出し名前出しの商売は「気にしない」強さも、現実的にはある程度もってた方がいい(もってないとやってけない)ってのはたしかにあるんだけれど。ま、それとは、別の一般論として。(2012.9.9) やっぱ面識のない人間に、殆ど事情も知らないままで、さらっと「更年期」とか言っちゃう感じはデリカシーってのがないんじゃないですかね。こういうのをさらりさらりとスルーすれば「チキンだ」と言われ、まともに受けたら「気にしすぎだ」と言われ。(2012.9.9) 今更だけれど。「それは今から言ってもしょうがない」って言われたことをいまさら思い出して、心から腹がたったりするわけです。それこそ今から言ってもしょうがないけど。 (2012.9.8) 9月7日@mizunoyoshiki
水野良樹@mizunoyoshiki
まぁ語弊はあるけれど極端な言い方をすれば(出来ないことが多いゆえに)音楽”タレント”的側面に、随分と寄っていたから維持できた速度感ではある。
多少の無理が生じる速度で走っていないと世間の速度に向き合えないという事態が目の前にはあった。それは今も。それについてはほんといろいろ考える。
で、卵が先か鶏が先かみたいな話だけれど、この速度感をチームとして維持するにはある規模のヒットが必要で、ヒットには速度感はひとつの大切な要素だ。
この微妙なバランスが崩れると、途端にシングルが切りにくくなり、ツアーが切りにくくなり、分業も維持できなくなる。 (2012.9.7) たまげたね。たまげた、たまげた。日刊スポーツ買ってしまったもん。あんまりこの手のことには慣れてないから、戸惑ったっていうのが正直なところだよね。知り合いからメールたくさん来たし。いきものがかり活動休止!!ってでかいよ、文字が。 (2010.11.10) ばれましたか。RT よっちゃんて髪の毛伸びるの早いですよね!エロいんですか?
(2010.11.18) 1982年生まれ。小学校に入る頃、昭和が終わり平成へ。
バブルが崩壊し失われた10年とかなんだとか言う時代に思春期を過ごす。キレる14歳とか荒れる17歳とか。インターネット、携帯電話の急速な普及を体感し「IT革命」なんて言葉を聞く。ちなみに、この言葉は同い年の子が考えた言葉。 (2010.11.14) 車も持たず、ブランドものにも興味がなく、やたら自然やエコを叫び、質素を美徳とし、そのなかでいかに”自然体”(のようにみえるもの)を維持するか。
”自分らしく”というある種の幻想を具現化するか。真綿で首をしめられてたんじゃないの?うちらの世代。と、なんとなくね。思う。(2010.11.14) 自分がポップソングに惹かれるのは、「個」に傾いた時代に対する、反逆。自分がポップソングに惹かれるのは、「ポップソング」自体はもうポップじゃないから。マイノリティだから。 (2010.11.14) でも僕は体罰だけは絶対反対なんですよ。これはもう自分の体験によるものなので客観的な議論にはならないんですが。
実社会で暴力が問題解決の手段として使われてはいけないんです。建前としてでも。それが教育の分野で「愛の鞭」とかいう曖昧な言語で一般化されると綻んだところで犠牲者が出るんです (2010.11.15) もっと厳密に言えば、体罰を一般化するなということ。その方式を曖昧な世界で拡散するなと。やるなら個別の問題として。
教師や親が、子供を殴るなら、自分も首をくくる覚悟で殴れと。この子の人生を変えるかもしれないという覚悟を持てと。そう27歳になった自分は当時の野球部の顧問に言いたい(笑) (2010.11.15) 「なぜ?」を繰り返していろんなものを削ぎ落としていくと”ポップ”的なものも”アート”的なものも、それを作り出す理由は、たぶんすごく近いところに行き着くんじゃないかなって思ったりします。
だから”アート”を掲げているところに”ポップ”をぶつけていきたいなと (2010.11.10) 作詞作曲者個人として許される範囲の中で言えば自分個人としては替え歌とか、プロの芸人さんが面白おかしくネタにしてくれたりとか、嬉しいなって素直に思ってるよ。
ま、そこに自分たちも絡むってなると別の話だけど。ポップソングだから。冗談言えるくらいの身近な距離感で皆の側に曲が在ってほしい。 (2012.8.6) 「自分の人生のすべてをかけてつくりました」と言って投げたものが、街中のハンバーガーみたいに、無造作に、受けとられていく。それはポップソングのあるべき姿のひとつだと思う。 (2012.8.6) だいたい、人生をかけていようが、生活をかけていようが、プライドをかけていようが、時間をかけていようが、労力をかけていようが、そんなことはやっぱり”物語”であって”作品”ではないよなぁ。
この”物語”と”作品”のバランスは、この生業を続けていく中で、現実問題として本当に難しいなぁ。 (2012.8.6) 作り手の文脈や時間軸から解放され、受け手の文脈、時間軸にちゃんと曲が移っていくこと。無数の”誰か”のものになっていくこと。僕はそれが大事なことだと思っています。 (2012.8.6) 好印象にしても悪印象にしてもおそらく正直どっちでもよくて、漠然と「いきものがかりっぽい」という言葉を世間に言わせられたらと無邪気な野心を持って20代はやってきた。
でもそれは曲が曲だけで成立するためには邪魔な気がするので、やっぱりわさわさ適当に揺さぶらないとダメか…とは最近思ってる。 (2012.8.5) 作者は「ありがとう」という非常に一般性の高い単語を「ドレミファソ」というある意味で最もよく世間に認知されている旋律に乗せたことにより、聴き手への楽曲の親和性を高めている。
分析すればそのように考えられるが作者の能力の程度からしてそれを作曲時に意識していたかは疑わしく、偶然と思われる(2012.9.27) 「好かれたい」とか「嫌われたくない」とか、そういう欲望はないわけじゃないけど、本質的にはどうでもいいことなんだと思う。勝手に嫌ってくれ、知らん。と言える。
ただ「認められたい」という欲望は、確実にここにある。これは、強い。これを適当にぼやかして見て見ぬふりをすると、あやうい。(2012.11.1) 自分という存在を商品化することに、私生活・人生の多くの部分を賭けて 真正面から向き合い、各方面にオールマイティプレーヤーであろうとする アイドルと呼ばれる人たちは、本当に尊敬に値します。
ものつくってたり、人前に出る人で”アイドルなんて”って簡単にいう人を僕は信用できない。(2012.10.28) 「お前さ、俺のこと好きなの?」わーーーっ!!きゃーーーっ!!!うわーーーーーっ!!! (2014.12.16) わーーーっ!!きゃーーーっ!!!うわーーーーーっ!!! (2014.12.16) 物怖じはいつもしていますが"社交性"がないことと"社会性のあるコミュニケーション"に向き合うこととは、別のことなので。後者は何らかの形で向き合わないと。(2012.3.28) 僕が考えているのは、社会に対して己を、どう向き合わせるか、どうつなぎ合わせるか、ということです。(2012.7.18) あと何年この世界にいられるかわからないけれど。「NEWTRAL」は全てが終わったときに必ず思い出す作品のひとつになると思います。自分の音楽人生にとって、いきものがかりというグループにとって、そういう作品。(2012.1.18) 「続けること」が目標と言っているが、いつでもやめるつもりでいる。(2013.7.3) いまだに走りつづけ、悩みつづけ、つくり続ける…。(2014.5.28) いきもの171班で推奨してるので来てみたが…………
なんだコリャ??
あ、いいこと教えよう。
今IKEAに逝くと¥499でスイーツ食べ放題だぞ。
2月15日の18時までだぞ。 いきもの171班で推奨してるので来てみたが…………
なんだコリャ??
あ、いいこと教えよう。
今IKEAに逝くと¥499でスイーツ食べ放題だぞ。
2月15日の18時までだぞ。 いろいろと細かい条件があるらしいですが、IKEAのHPには一切書いてません。 僕はネットでの誹謗中傷を許容するわけではないし、ましてや奨励するわけでもないです。ただ、ネットでの誹謗中傷より実行動をとって眼前で言われる方が、安全上、”僕個人は”、より恐怖を感じるということを述べたまでです。 (2012.7.10) より踏み込めばネット上での誹謗中傷に関しても、それが実行動を示唆したり、実行動を促したりする内容、個人情報を暴露するような内容については、漠然とした暴言に比べより強い恐怖を感じます。
そして実際に家に来られたりするのはもっと怖いよ、と。ただそれだけのことです。 (2012.7.10) 単純に性格的なものもありますが。でもモノをつくって名と顔をさらして世の中に投げているので、いろんな声を聞かないと、それこそ風を感じておかないと、と。 (2012.7.9) 曲をつくるのに長い時間をかけるのは、単に優柔不断と技術不足でメロディをなかなか決めにかかれないというのもあるけれど、メロディの耐性を確かめるところもある。耐性のないメロディだと、何十時間も付き合いきれないし、書き終わるまで信じきれない。 (2012.7.8) 遠回りしたけれど、何曲かつくったし、それっぽい雰囲気の自己満足はもう充分したし、ちょうどいい頃合いの撤収かと思う。 (2012.7.8) 作り手中心じゃなくて、聴き手も含めた皆で、歌を育てる”場”をつくれないか。という試行錯誤の苦しまぎれの一歩目です。 (2013.7.28) うちのグループは歌い手と作り手が違う…というところに生まれる客観性が特徴で、その点で僕は”グループ内職業作家”としての性格を持っています。個としての自分と曲との距離を、それを背景としてはかっているというのが、その姿です。
でも最近は個を曲につとめて近づけて作っている気がします。 (2012.5.22) 「コイスルオトメ」は人生を変えた曲です。あれは自分が表現の主体じゃないこのグループで、なにを書いたらいいんだっていうことのヒントと、それを書くことの自分にとっての価値を経験として教えてくれた曲なので。 (2011.9.29) とくに横浜アリーナの「コイスルオトメ」は、ちゃんと盤として残せてよかったなぁ。「コイスルオトメ」はライブでやるたびにうちらの成長に合わせ、どんどん変化していくので。他の曲も少なからずそうなんだろうけど、とくにこの曲は。 (2012.3.16) 意外と知られていないかもしれませんが「コイスルオトメ」はいきものがかり24枚のシングル中、もっとも売れなかったシングルなんです(笑) (2012.12.21) 水野「次でさぁ、1万ツイート目なんだけどさぁ、なにつぶやいたらいいと思う?」吉岡「へぇ、なやむね〜」水野「きよえが言った通りにつぶやくよ」吉岡「1万ツイート目!おれ、お、で、め、と!!!」水野「はい。」 (2012.12.21) 「コイスルオトメ」っていろんなところで”自分にとっては重要な曲なんだ!!”って語ってきたのだけど。
実際、今でもライブでやることが多いし、むしろライブでやるうえでは一番の自信曲。この曲があったから書けた曲ってのもたくさんあって、ほんと自分にとっては大きな曲。(2008.7.22) 実はさ。ぶっちゃけるとさ。この曲。あんま売れなかったんだよね(笑)!!はははははっーーーー(笑涙)!!当時はちょっと落ち込んだ(笑)(2008.7.22) デビューした頃、1年さえ続けられるかどうかわからないなかで常に思っていたのは「今出している楽曲だけで自分たちの音楽人生が評価されてしまうのは、絶対に嫌だ。」ということだった。そんな気持ちのなか、デビュー当時はいきものを走らせていた。(2014.5.6) てかさ、みんな割と!セロリが苦手な人多いんだね!!あたしは好きなんだけどな〜(;_;)/~~
マヨネーズをつけて食べ始めたら・・・もう止まらないおいしさですよ。やめられない・・・!あれまっ!またセロリトークしちゃった。(2007.9.27付 きよえのとどろきより) ソフトそのものの洗練と突破力、それのみに心を囚われ(半ば絶望し)ていた自分にとって
「ソフトを楽しむ環境」というハードウェア、インフラを含めた二段階論の視点は「片手だけじゃなくて両手使うんだよ」と考えれば当前なはずなのに気張ってる人間が気づけないこと、を教えられたようなものだった。 (2013.7.18) 思えば、いちばん「片手」でやることだけにこだわり、「片手」を妄信し、すっぽりもっていかれ、大コケしてしまっているのが自分たち界隈の人たちで。
これを読んで以来もう一方の手に、僕はやたら首を突っ込もうとしだしそこに変化を加えようと試みて、チーム内で「かぶれてる」と面倒くさがれている (2013.7.18) 「カラオケは音ゲーであり、ニ次創作的」というのもまさにそうで、「ですよね〜」としか言いようがないくらい”その通り”だ。
考えてみれば僕らはもともと、ゆずさんがポップ化させた路上ライブという”環境”に生まれた”二次創作者”だったわけで、よーするに、俺らそのもののことじゃねぇかと (2013.7.18) ポップミュージックというのは、そもそも、その人のパーソナルな部分と、どれだけ繋がれるか、どれだけ一体化できるかだと、いつも思っている。端的に表すと「聴かれる歌より、歌われる歌」歌われているものは死なない。民謡や童謡のあり方は、その体現だ。 (2013.7.18) 「上を向いて歩こう」と坂本九さんも言ってるじゃないか?と言う人は少なくて、かの曲は聴き手がそのままその言葉の主となるからこそ、今も生きている。” 歌の主体”という席が、だれにも解放されている。 (2013.7.18) 僕らはいつも”リスナー”を探し”受け手”を探す。
言葉の使い方は時に便宜的だけれども、ちょっと厳密にいくのなら”リスナー”を増やすのではなく、ソフトを中心に醸成される文化をともに集合知的につくっていく"プレイヤー"を探し、場合によっては”生み出す”という視点が必要なんだと思う。 (2013.7.18) 「ここではない、どこか」を作りあげることではなくリスナー(プレイヤー)の「いま、ここ」とどれだけリンクできるか、共振できるか、一体化できるか。それは自分がポップミュージックということについて考えてきた事と思いっきり繋がっているのではないか。 (2013.7.18) 「とりもどす」「もういちど」という言葉たちからの脱却。向き合うべきは"あの日の輝き"ではない。「はじまり」をいくつ創りだせるか。(2015.2.2) 「リスナー」になってくれた人達とより親密になることも大切だけど、「リスナーではないひと」に「リスナー」になってもらうこと。新しい場所に「リスナー」を生むこと。外へ、外へ。遠くへ、遠くへ。その意識だけは、忘れないようにしたいんです。(2013.7.24) 路上ライブっていうのは目の前で歩いているひとのことを「リスナー」とは思わないんです。
通り過ぎてしまう「リスナーではなかったひと」の足を止め、顔を振り向かせ、意識を引き寄せて「リスナー」にするんです。自分たちのなかではそれが、いま、この瞬間も続いているんです。(2013.7.24) でも大事なのは聴き手”ひとり””ひとり”からどれだけ声が生まれるか、反応が起こるかなので。
それを立ち上がらせるためのタイトルを考えたしそのために作者としてできることを、可能な限り。語られて、共有されて、ともに育ててもらう。それが作品にとっていちばん幸福で、いちばん過酷であるはずだ(2013.5.20) 面倒くさいこと言ってくるひとは、ずーっと面倒くさいこと言ってるし、ちょっとずれてるひとは、ずーっとちょっとずれてるし、ひとりよがりなひとは、ずーっとひとりよがりだ。そして決まって自分のことを言われてるとは思わない。「そうですよね」と本人が言ってくる。
俺もそうなのかな。(2012.12.30) 「ありがとうございます。嬉しいです。そんなことないです。」くらいの月並みな言葉を返さないと怒られるかもしれない(←実際、怒るひとがいる。)
けれど、むしろ素晴らしい人間ではないという、自分の限界を越えんがために曲をつくってたりするわけで、そこは本当に面倒くさい人ですみませんとなる。(2013.3.7) 歌で解決することなど、なにひとつない。世界を変えるのは「ひと」だ。そう思いながら、それでも歌をつくっている。(2012.7.22) 「上を向いて歩こう」は、聴き手が「上を向いて歩こう」と"呼びかけられる存在"ではなく、「上を向いて歩こう」と歌う"主体"であれるところが曲が優しい理由のひとつだと思うんだな。
その言葉を"うたう"かどうかを、聴き手が決められる余地ってのはあるべきだなと、いつも思います。(2012.3.10) 「上を向いて歩こう」も「卒業写真」も、そして「たしかなこと」も。夢憧れるものは、たしかにそこにある。たしかにそこにあるからまさに希望にもなるけれど、気が遠くなるし、途方にも暮れる。(2014.4.26) 「上を向いて歩こう」と坂本九さんも言ってるじゃないか?と言う人は少なくて、かの曲は聴き手がそのままその言葉の主となるからこそ、今も生きている。” 歌の主体”という席が、だれにも解放されている。(2013.7.18) 坂本九の『上を向いて歩こう』。老若男女を問わず口ずさめる名曲ですが、広く影響を及ぼしているという意味では暴力的とも言える。(livedoorNEWS) 感情を"伝える"こともポップミュージックの大切なことだけれど、感情を"引き出し"、許されるのならそれに"寄り添う"こともまた、ポップミュージックだからこその大切な役割だと思う。…し、それを信じて、曲をつくってる。(2012.3.10) 風うける強きひとに、手紙を書いた。(2014.12.27) そして、ただ、そこに風が吹いている。(2012.7.17) それがそのひとにとって、追い風なのか、向かい風なのか。希望の風なのか、絶望の風なのか。それぞれの置かれている、それぞれの物語のなかで、風の”意義”は違う。でも、同じ時代に生きていて、そこに吹く同じ風に、それぞれの”意義”を見ている。(2012.7.17) そして、それらの一連の総てが、いつか、振り返ったときにあらためてはっきりと”時代”と呼ばれる。(2012.7.17) いつか僕も、僕らも、僕らではない誰かも、この今を生きる人々すべてと、彼らが生きたことのそのすべてが、やがて”時代”と呼ばれる。(2012.7.17) まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩き出すよ よっちゃん似の人を今日街で見かけた。
よっちゃんだったのかな。 よっちゃん…あと28日…
あと28日でよっちゃんに会える…
それまでの辛抱だ…(>_<) http://girlschannel.net/topics/178699/
188. 匿名 2014/08/05(火) 09:30:38
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ん?でも、個人的にいきものがかりは水野さん?がめちゃくちゃ面倒臭い人ってイメージあるからこれもちょい納得。
反原発とかやってた斉藤和義への文句を、Twitterで20くらいツイート分けてダラダラダラダラ書いてるのを見てうーわーと引いた思い出がある。
202. 匿名 2014/08/05(火) 10:02:38
いきものがかりは曲は普通に好きだし、きよえちゃんのキャラもうっとーしーと思ったことはないけど、水野さんのTwitter見て、「あ、この人相当拗らせてる人だ・・・」って思ったね。
セカオワ深瀬とはベクトル違うけど、かなり勘違い男だと思う。
221. 匿名 2014/08/05(火) 10:33:26
いきものがかりそこそこ好きな私は、Twitterを絶対に見ないでおこうと決めたわ(笑)
227. 匿名 2014/08/05(火) 10:43:01
いきものがかりの水野って人も結構イッチャってると思ったけどなあ
ファンじゃないからそう思うのかね?
277. 匿名 2014/08/05(火) 13:27:39
いきものがかりが今みたいに売れる前、地方のライブに行って出待ちたことあったけど聖恵ちゃんはハイタッチをしてくれた!山下君は「ありがとう、気をつけて帰ってね!」
と言ってマイクロバスに乗った後も手を振り続けてくれた!水野君だけ愛想悪かった
今は聖恵ちゃんと山下君はどうなのかわからないけど水野君は前から冷たい感じです。番組とかではよくしゃべるけどね 唯一無二の転才。
他の二人イラネ。
こんにちわー挨拶よっちゃん化アコギハーモニーのギターソロ阻止。
スキル好きすぎて〜好きすぎて〜好きすぎて〜。 好きすぎる。
コンサートよっちゃんだけ出てくれば良いのに。今からソロ頼んだらやってくれるかな。みんなよっちゃん目当
てなのにな。 よっちゃん好きだよ…
好きだよ、早く会いたいよ。
いきものがかりを自らプロデュースしていくよっちゃんはとてもカッコいいと思います!いつも応援しています!Twitterも毎日見てるので、リプ返して下さい!お願いします! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています