「社会的にどうなの!?」とずっと怒っていた自分ですが、
最近は同性愛の苦しさがなんとなくわかるような気がして、
(もちろん自分が目覚めたわけではないけど(笑))
近年は「仕方ないのかな」と思うようになりました。

「好きな相手にフラれる」ことも許されない、
「好き」と口にしただけで相手を傷つけてしまう。
彼にとって恋愛感情そのものがもはや罪であり罰であったなら、
わかり合える人に出会った喜びは計り知れないと思うんです。

槇原の曲にはいつもどこか
「好きになることに対する後ろめたさ」がある。
好きになってごめんなさい。自分にはどうすることもできない。
それならばせめて「君の幸せを祈らせて」と叫んでいる。
「WE LOVE YOU.」で「I LOVE YOU.」と
言えないのは
軒下からモンスターのように君を見ている心境なのではないか。
どれだけ大好きでも空や風や椅子と同じ立場。

信じられる相手に出会い、
「好きなものは好き」と言っていいんだ、
「素直な心が一番キレイなんだ」と
ようやく心から言えるようになったんです。

さんざん槇原を苦しめてきた「社会的な常識」。
「社会的な常識が足りない」なんて非難されたところで
そんな下らないものに今さら従うなんてできやしない、
反発して当然なんじゃないかと思います。

長々とスミマセン。