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第154回 音楽評論家 吉見佑子氏【後半】

吉見:まぁ、そうですね。1983年頃、私は『若い女性』いう雑誌のグラビア3ページの
取材交渉から原稿、カメラマンの選定、タイトルから全部やっていたんですが、そこで井上陽水さんを取り上げたんです。
まず1ページ目で築地の魚河岸に陽水さんが立っている。
で、パッとページを開けると陽水さんと着物を着た私が物干し台に一緒に立っているというグラビア。
取材後、陽水さんから「こんなに取材でもてなしてもらったのは初めてです。感謝しています」って葉書が来たんですよ。
これをもらったときは本当に嬉しかったですね。

それで「来年は陽水さんと仕事しよう!」と思って売り込みに行くんですよ。
「私と契約してください。必ず役に立ちます」って言ったら、すんなり契約してくれたんです。
陽水さんと契約したとき、彼がリリースしたアルバム『バレリーナ』の売り上げって7万枚だったんですね。
で、私が契約したその1年半後にリリースした『9,5カラット』は150万枚いくんです。
私は何もしてないんですけど、フォーライフは「吉見は魔法使いだ」と勘違いしてくれて(笑)。

――いや、本当は何かしたんでしょう?(笑)

吉見:たいしたことはしてないですよ(笑)。それから7年くらい契約してもらって、陽水さんのパブリシストみたいな形でお仕事をもらっていました。