このスレはスルーしようかと思ったが、以前違うスレで「花菱にて」を書き込んだ故に又書いてみる。

確かにあいつの噛み付く泣き声はどこか全てが負けていた、そのあいつ以上に自分が負けている、そう思わせる解釈である。

ただし剛特有の前後の説明もなしにその刹那を切り取った情景描写は、花菱にてにおいても秀逸である。

自分は頭を冷ます為、酔いを冷ます為、居酒屋「花菱」の二階和室の窓を開け、夜風が頬に冷たくそよぐ中、眼下の小川を見つめているだけ。。。
その脳裏を行き交う心象風景を、言葉を、歌にしてるように思う。

まずは今しがたの痴話喧嘩のようなもつれが脳裏を覆う。
一途に自分を愛してくれている女(あいつ)を何らの形で裏切ったが故に、酒の勢いで、涙ながらに、自分に噛み付き責め立てた。

カッとなった自分は、仲間に「酒の席だから許してやれ」となだめられたが、ぶちまけた女がぶざまであり、どこか全てが負けているように見える。

しかし、好きでいてくれ、信じてくれた女を、ここまで泣かせたのはうだつの上がらない、やさぐれた自分。
結局、誰が悪いのか?誰が負けているのか?
他ならぬ自分である。。。

夢に向かって生きる勇気もなく、かと言って死ぬ事も出来ない。夜風にそよぐ根無し草のように、世間の荒波にもまれ漂う、すれっからしの自分。

しかしそんなちんけな自分の泥のような心の水底の中にも、いまだくすぶり続け、どっかっと居座る魂があり、それを実感できる。

そんなすさんだ心の退廃さと根強さといった矛盾を噛み締めながら、ドブ川の水面に揺れる自分を見つめているような、心の中の沈殿された悲しみが浮かび上がるような、どん底を描いた実に味わい深く奥深い名曲だと思う。。。(私の解釈)
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