【僕、蛭子能収さんが好きなんですけど、蛭子さんは以前「僕、東大卒なんです」と学歴を自慢してきた人を自分のマンガの中で刺し殺したそうなんですよ。それって現実世界でやってしまったら事件じゃないですか。でも表現の中では何をやっても自由だし、蛭子さんはそれによって心の均等を保ってるんじゃないかなって。僕もそうなんですよ。(2017年インタビュー)】

新曲が死体遺棄であれセクースソングであれ、映画やドラマや漫画なんかではその表現は許されてるのに、同じ表現術として音楽でやると引くファン正直頭悪いと思うわ
散々インタビューでそういう言及してたじゃん
何もかもファンに対して愛を歌ってるわけがないし、ファンが知ってる長澤の周りの人間関係に限定され続けるわけないだろう
表現したい感情をフィクションとノンフィクション織り交ぜながら作品にする才能が天才的なんだから、そこを信頼してればなんでもいいと思うわ
表現の善し悪しをモラルや時代性で決めつけちゃって周りが干渉し続けた結果、色んな作品がつまらなくなっていくわけだし、商業作家でもない長澤にお利口な詩を期待するのはあまりにお門違いだろ
もう一回名前見たほうがいいと思うわ
「長澤知之」って書いてあるだろ、じゃあそういうことだわ