別に発達が音楽やってもいい
発達をアンチ材料にする選民思想はいただけない

自分は道端の草だ
その特別ではない末端のありふれたものですら
アンチになるマネージメントの危うさに気がついているだろうか?
広げた風呂敷の分本人が苦しくなる
自分を磨かなければと言っていたが何のために磨くというのか?
ただ意味もなくひたすら磨くことは自分の身を削ること
いつの間にか自分自身を失うこと
己の何を何のために磨くのか?