感想らしい感想はない。エグモント序曲を聴く限り、やっぱりシャイーは下に重心がないし、
ベト8はフィナーレの、何の力みもなく神業の鋭さで決める鮮やかさには参ったが、
曲の山がどこにあるのかの工夫がない。シャイーは結局流麗さだけだ。

後半の春祭は、とにかく“表現”というものが、小林研一郎に比べて絶無に近かった。
冒頭のファゴットが、最初の音をやけに大伸ばしにするから、
シャイーの表現意欲がいつかのマラ7の様に爆発するのかと思ったが、
全てが至ってノーマルで、抉るというものがなく、
特に管打系は品の良さに徹底的に収まっていた。