0065名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!
2017/10/10(火) 09:27:53.80ID:qwl59t2uベト8はフィナーレの、何の力みもなく神業の鋭さで決める鮮やかさには参ったが、
曲の山がどこにあるのかの工夫がない。シャイーは結局流麗さだけだ。
後半の春祭は、とにかく“表現”というものが、小林研一郎に比べて絶無に近かった。
冒頭のファゴットが、最初の音をやけに大伸ばしにするから、
シャイーの表現意欲がいつかのマラ7の様に爆発するのかと思ったが、
全てが至ってノーマルで、抉るというものがなく、
特に管打系は品の良さに徹底的に収まっていた。