母からの電話はこうだった。母ももう何年も父と会っていない、

「昨日のお昼頃、管理会社から職場に電話があって、部屋の異臭がひどいので、近所の〇〇さんからの電話で中をみたら、お父さんが亡くなっていたの。
私、動揺しちゃって、いま司法解剖から帰ってきたところ。お義父さん、お義母さんとももう音信がないし、どうしようかと思ったけれど、みなでお葬式
をするからいらっしゃい。大丈夫、もうあの人は居ないから。怒ったりしない。」

父は私たちが一緒に住んでいた港区の1LDK暮らしのままだった。母と家を出る時、「随分広い部屋だったんだな。男の一人暮らしには丁度良いよ。」と、
笑ってるんだか睨んでいるんだかよくわからない表情をしていた父のことを思い出した。父は、いつもの食卓に突っ伏したままだったそうだ。正面には、
昼間、スタバで充電してきたらしいMacBookと、ワインのコルクがたくさん入ったペットボトルの焼酎が置かれていたらしい。ずっとつづけている、
ブログの更新中に亡くなった様だ。あの人らしい最期だ。

通夜の晩、久しぶりに、父方の親族と再会した。

「おお、大きくなったな戦子ちゃん。お母さんに似て美人になったね。」

叔父はそう言った。私は叔父にはよく懐いていて、父はそのことを面白く思っていなかった様だが、とても快活な人だ。友達も多く、屈託がない。
SNSでみる叔父はいつも友人たちに囲まれてにこにこと笑っている。叔父は、私を早朝から連れ出して、寒空の下、自分の撃った野鳥を拾いに
いかせる様なこともしないし、いやがる私に死んだばかりの野鳥を解体をさせることも無い。

できれば、この叔父が父親だったら良いなと何度も思った。

私が中学に入ってすぐ、二人ぐらしになり、私は母に「なぜお父さんと結婚したの?おじさんみたいな人が良かった」と言ったことがある。

母はタバコに火をつけて、大きく吸い込んだあと、煙を吐き、こう言った。

「あの頃のあの人は悪くなかったのよ、不器用で難しい人だと思ったけれど、就職が内定した時、食事に誘われたの。」(つづく)